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スペインのマヨルカ島で

夏になると、地中海の島々を思い出す。
中でも印象に残っているのは、スペイン領バレアレス諸島のマヨルカ島で遭った幻の泥棒だ。

何年か前の夏のことだった。わたしたちはマヨルカ島を旅していた。旅といっても仕事なのだが。
マヨルカ島といえばまず思い浮かぶのがショパンである。そしてジョルジュ・サンド。天才作曲家と年上の女流作家は恋に落ち、この島で暮らしていた。
わたしたちの仕事はその住居の撮影だった。まずは撮影前の下見ということでその家を訪ねた。今では博物館になっている。当然入場料金も取られる。一人数ユーロ(金額は忘れた)を支払い、わたしたちは中に入った。

家は大きな僧院の一部で、中にはショパンの弾いたピアノがあり、よく整備された、色鮮やかな花々が植えられた庭園があった。ショパンはこの家で、このピアノで名曲「雨だれ」を作曲したのである。
その時のエピソードの解説があった。曰く、ジョルジュ・サンドが買い物に行ったままなかなか戻って来ない。そのうちに雨が降り出し、雨脚が次第に強まってゆく。恋人の安否が心配になったショパンは、いても立ってもいられなくなり、ピアノを弾いた。その時生まれたのが名曲「雨だれ」なのだ……そんな感じの内容だった。
ジョルジュ・サンドはその時、馬車で買い物に出かけたのである。当然ながら、一人ではない。従者も連れてだ。
ショパンの心配は、当時の道路事情によるものだった。マヨルカ島の道はとても悪かったのである。当然まだ舗装もされておらず、崖崩れの心配のある箇所もあったという。
そんな道を、次第に激しくなる雨の中、不安定な馬車に乗った恋人が家路を急いでいる、崖崩れがあるかもしれない、大雨で道じたいが崩落するかもしれない、そういうシーンをショパンは想像し、いても立ってもいられなくなったのだという。その手の馬車の事故は、実際に多かったのだろう。そうでなければ、いくら繊細なショパンだからといって、そこまで心配する理由は無いように思われる。
(へえ、そんなとるにたらない理由からあの名曲が生まれたのか……)
「雨だれ」のイメージとして、もっとすごい、壮大で芸術的な理由があったのではと考えていたわたしは正直なところすこしがっかりした。

メンバーは四人だった。ディレクターのわたしと、スペイン在住の女性コーディネーターHさん、カメラマンのKさんと撮影助手のRくんである。たわたしたちは家の下見を午前中に終え、「昼めしでも食おうか」という話になった。
「ここは、治安的にはけっこう危ないトコロですよ」
とコーディネーターのHさんが言うので、荷物に目が届くような席のある店がいいナ、という話になった。何しろ、そこそこ高額な撮影機材を携えてきている。
幸い(というか幸いではない結果に終わるのだが)、現場から少し歩いた場所に、オープンテラス席があるアメリカ料理の店があった。
「味には期待出来ないけど、荷物の安全を考えるとここでいいんじゃない?」
というふうに話がまとまり、わたしたちは店に入り、外にあるテラスの一角のテーブル席についたのである。大切な機材やバッグは各自テーブルの下の足元に置いた。

異変らしき異変があったのは、一度きりだった。後になって、みんなで一生懸命思い出してみたけれど、どう考えてもあの時たった一度なのである。
どこか店の近くで、ドン! という音がしたのだ。かなり大きな音だった。爆発音のようでもあった。当時はスペインでもイスラム過激派による自爆テロが起きていたので、まず考えたのはその可能性だった。料理は既に運ばれてきており、みんなでメシを食っている最中の出来事だった。
「何だ何だ」
思わず全員が浮き足立ち、辺りを見回したほど大きな音だった。しかし周りにはどんな異変も見つからなかった。
「何だったんだろう、アレは?」
と話しながらみんな食事を再開した。

やられた、と気付いたのは、食事を終え支払いも済み、さあ午後の仕事にとりかかろうかとみんなで席から立ち上がった時の事だった。
「あれ? 無い」
と撮影助手のRくんがテーブルの下を覗き込んだのである。
「どうしたの?」
とわたしが訊くと、
「無いんです。見当たらないんです僕のセカンドバッグが」
と心持ち青ざめた顔でR君は答えた。
どこに置いてあったのかを尋ねると、足元のテーブルの下だという。
「おおかたさっきの現場に忘れてきたんだろう」
とカメラマンのKさんが言うと、Rくんは、
「この店に入って来た時は、確かにありましたよ」
と口を尖らせて反論した。
「中には何が入ってたの?」
とKさんが尋ねると、
「撮影現場で使う小道具です。ガムテープやビニールテープ、ドライバーなんか、中身は大したことないんですけど」
とR君が言った。物を入れる部分が30センチほどの、肩からかけられる小さなバッグである。幸い、財布やパスポートはウェストバッグに移してあったそうだ。
「中身より、あのバッグの方が値段は高いと思います」
とR君はうなだれた。

「そんなものだったら、盗った奴も中身を見て、何だこんなもんかと怒って中身もバッグも捨ててしまうかもね」
とコーディネーターのHさんが言った。
「そんなことってあるんですか?」
とRくんは近くにあるゴミ箱を覗きに行った。しかし結局見つからなかったようで、三十分ほどしてすごすごと帰って来た。
バッグは結局失われてしまった。何者かにひっそりと盗られたのである。
それにしても凄い腕前の泥棒だ。なにしろ店に入ってテーブルの下に荷物を置き、食事を終えて席から立ち上がるまで店の従業員以外は誰か怪しげな人物が近付いてくることもなかったし、いかなる他人の気配すら誰一人として感じなかったのだ。つまり、わたしたちはその泥棒の姿を誰一人目撃していないのである。幻の泥棒だ。

ひょっとしてと思うのは、怪音が聞こえたあの一瞬だ。しかしそれは本当に一瞬で、基本的には四人みんなでテーブルの下の荷物には気を配り、注意のアンテナを張り続けていたのである。そんな状況下で、あの瞬間撮影助手のセカンドバッグを盗っていったとすれば、それはまさに神業である。
幻の泥棒にとって惜しまれるのは、バッグの中身が撮影助手くんが言うように「大したものではなかった」という点だ。犯人は、バッグを開けてみて、さぞかし悔しがったに違いない。しかし、
(モノは盗られる時には盗られるんだなあ)
とみんなで感心してしまった。

マヨルカ島には、神のような腕前を持った泥棒がいる。どこかで大きな音が鳴った時には、くれぐれも用心を。

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