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アルゼンチンのサルタでサルタビールを飲む

サルタはアルゼンチン北部のそこそこ大きな町です。人口は四十六万人。四十六万人もいる、というか四十六万人しかいない、というかは人によって意見が分かれるところでしょう。いずれにしろたぶん、ほとんどの日本人がその存在を知らない町だと思われます。まあ、サルタを知っていようが知っていまいがおそらくその人の人生に影響はないからいいのですが。
しかし人は時として、自分でも思いがけない場所に出かけてしまうものです。そして思いもかけない人との出会いが生まれます。それが人生を変えてしまうこともあるのだから、面白いのです。

サルタでは、当然のようにサルタビールを飲みます。札幌でサッポロビールを飲むようなものです。そういえば昔、札幌にはサッポロビールしかなかったという記憶があります。飲食店に入り、「とりあえずビール」と言おうものなら出て来るのはまずサッポロビールでした。店員に、「ビールは何がありますか?」と尋ねようものなら、怪訝な顔をされたものです。そういえばあの頃は毛蟹が今よりもっと旨かったような気がします。札幌のビールが当然の如く〔サッポロビール〕でなくなったのはいつの頃からなんでしょう。

おっと脱線しました。アルゼンチン、サルタのことでした。サルタではサルタビールを飲む、という話です。
瓶を見るとちょっとびっくりします。何しろ一リットルなのです。どーんとしています。かなりの存在感があります。一リットル、ビール好きにとっては嬉しいサイズです。日本の大瓶ビール二本分にはちょっと足りない量ではありますが、なかなかなくならないのがいい。安心して飲み続けることができます。夕方、暮れなずむ広場の光景を眺めながらひたすらぼんやりとした時間を過ごすためには最高のビールなのす。

しかし二本目を注文するにはちょっと勇気が要ります。酔っ払ってしまうこと確実だからです。でもやっぱり頼んでしまいます。まあいいや、と思って。
(どうせこの後は晩めしを食うだけなのだから……)
と言い訳をして。ぼくも含めて酒飲みは言い訳がうまいのです。酒飲みが酒を飲むための言い訳をする時はまさに天才だと思います。
サルタビール二リットル。これは確実に酔っ払う量です。もっとも、酒というものは酔っ払うために飲むものですから、これでいいのかもしれません。

サルタに滞在中、ぼくは夕方になると決まって、酒でも飲まなければやってられないという気分になりました。それは何故かというと、日中子供たちの凍りついた亡骸を見ているせいなのです。
この日は、〔少年〕と名付けられている冷凍遺体した。ぼくは仕事として彼を撮影するためにこの町にやって来たのです。
彼が亡くなったのはおよそ四百年前と考えられています。インカ帝国の時代です。
発見されたのはアンデス山脈の山の頂——六千メートルの高みでした。山の名は〔ユヤイヤコ〕。アルゼンチンとチリの国境にまたがる単独峰です。発見時の推定年齢は五才——何ともやりきれない話ではありませんか。彼といっしょに、推定年齢十才の女の子、通称〔雷の少女〕と十六才の少女〔乙女〕も見つかりました。やはり凍りついた亡骸として。ますますもって、やりきれません。

彼らは人身御供にされたのです。インカ帝国にはそういう習わしがありました。何か大きな天変地異があった時とか、天候が悪く飢饉が起きた時などにその儀式は行われたと考えられています。儀式の名は「カパコチャ」。
彼らを発見したのはアメリカ人考古学研究家、ヨハン・ラインハルトでした。1999年のことです。その後、三人の冷凍遺体を保存、展示するためにMAAM——高地考古学博物館が作られたという訳です。

ミイラ、いや冷凍遺体はローテーションを組み、一体ずつ展示されています。亡骸は透明なカプセルの中にあって凍てついたままです。顔面や衣服に付いた霜がよく見るとそのままになっています。皮膚の色は茶色く変質しています。このあたりはいかにも人間の遺体なのです。しかし、たとえば〔少年〕を見ていると、頬のふっくらとした感じや、生者と変わらない艶を持ったまつ毛の感じがよくわかる。そこが痛々しいのです。やはり、
(つい最近まで生きていた人のようだ)
という気がしてきます。

彼らをこの状態に保存せしめたのはユヤイヤコ山の標高でした。その頂は六千メートル以上あるのです。
どうやら、インカは色んな「聖なる山」の頂でこのような人身供養の儀式を行っていたようです。そのひとつがペルー、アンパト山で発見された〔フワニータ〕です。少女の冷凍遺体だ。やはり発見者はヨハン・ラインハルトでした。
フワニータは日本でも展示され、かなりの話題を呼びました。それはデパートの催事でした。たしか、銀座三越。
ぼくはそのことは憶えていません。後から植え付けられた記憶です。そういえば古代のミイラや副葬品の展示が、かなりの人気を博した時代があったのです。今なら「死者の尊厳」などを持ち出す人がいて、とても実現できないのではないでしょうか。
フワニータの冷凍遺体を保存、展示するために、日本のある電機メーカーが技術を提供しました。そのことも展示の話題のひとつでした。今はどうなっているのでしょう。わからない。あの冷蔵庫とて寿命を迎える筈です。そうなったらどうするのか? 協力した日本の電機メーカーはどうなったのか? 気になるところではあります。

ユヤイヤコ山の子供たちも、やはり保存のための設備、施設作りにずいぶん時間を費やしたそうです。それはそうでしょう。何しろ、三体もあるのです。一体と比較すると、単純に三倍の経費がかかる筈です。
ラインハルトは発掘を急ぎました。それには理由があります。墓泥棒の存在です。考古学上の貴重な発見があった場合、早く発掘しないと墓泥棒に先を越されてしまうのです。墓泥棒の目当ては金や銀を使った副葬品で、他のものには興味がありません。時には荒っぽい手段も使います。ダイナマイトで遺跡を爆破し、飛び散った副葬品だけを持ち去ったりするのです。
インカは黄金の国でした。最後の皇帝マンコ・カパックが命乞いのため侵略者フランシスコ・ピサロに部屋いっぱいの黄金を差し出したこともあるといいます。結局、彼の生命は救われなかったわけですが。ピサロはまんまと黄金だけを騙し取ったのです。たぶんそれはピサロが貧乏人だったからと思われます。母国スペインで彼は極貧の生活を送っていたというのです。その状況から抜け出すために命懸けで新大陸を目指したのでした。
(ハングリー精神は世界を変えてしまうこともあるから恐いよなあ)
そんなことを、サルタでサルタビールを飲みながら考えていたりもしました。


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