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恥っかき

 いかなる理由で自分がその辺りの地面を掘り返してみようと思ったのか。楠木庸次郎は忘れてしまった。ただ、無性に地面のその場所を掘ってみたくなったのである。
 納屋から鋤を持ち出し、地面に突き立てる。途端にいいようのない爽快感におそわれて、庸次郎は夢中になった。穴を掘るのは、かなり久しぶりのことである。
 目的は、何もない。強いて言うならば、穴を掘ることそのものが目的である。
 庸次郎は入り婿であった。身分と禄高の低い実家から、裕福で身分も高いここ妻の実家へと婿養子に入ったのである。そのことについては、さしたる不満もないつもりだった。が、やはり心の奥深い所では、何かが燻り続けていたのであろう。その燻りが、この様に何かの拍子に発火するのだ。そして庸次郎を無意味な何物も生み出さないような行動に誘うのである。
 穴を掘り始めて、四半刻ほどが過ぎた頃――
 庸次郎は、鋤の先端に、何やらぬめっとした感触を得て、思わず手の力を緩めた。
「痛い!」
 という甲高い、悲鳴のような声も聞いたように思い、ぎょっとした。
 二尺ほど掘り進んだ穴の、新しく掘り返された土の中に、何やら白いものが見えた。庸次郎は鋤を横向きにし、そっといたわるようにその白いものの上から土を除けていった。
 それはぶよぶよと柔らかいものだった。生きているもののようであり、しかしこれ迄の生涯で一度も目にしたことのない物体でもあった。庸次郎は更に慎重になった。白いものを傷つけぬよう、周辺を掘り下げて穴の径を広げていった。更に四半刻ほどかけて掘り進むと、どうやらその白いものの全体が現れたように思えた。白いものはひくひくと顫動していた。
「何ものだ……」
 庸次郎は作業の手を止めて、呟いた。
「ああ恥ずかしい、恥ずかしい」
 白いものが身悶えして言葉を発した。その言葉は驚いたことに、耳からではなく、庸次郎の頭の中に直接響いてきたのである。庸次郎は鋤を逆さにして、柄の尻で白いものを突いてみた。やはり、ぶよぶよとしている。
「よくもわしに恥をかかせおって」
 またしても、頭の中に言葉が直接響いてきた。庸次郎はその白いものを掘り出してみることにした。あと僅かの土を取り除けば、それはすっかり姿を見せる筈である。手で丁寧に周りの土を除けていった。

 ふいに、その白いものはひっくり返った。どうやら、これまで見えていた部分は背中のようだった。つまり、ひっくり返って腹の方を見せた訳だ。小さな頭のようなものがあった。そこには目、鼻、口も備わっている。体の四隅には手脚のようなものもある。白いものはガタガタと震えていた。逃れたがっていた。小さな手脚をバタバタと動かし、よっこらしょと立ち上がった。背丈は二尺ほどである。何かをひどく恥じているように見えた。小さな顔の頬っぺたが朱く染まっている。
「お主、何ものじゃ」
 庸次郎は思い切ってその白いものに問いかけた。白いものはその問いには答えなかった。ただ、甲高い幼児のような声で、
「おのれわしにこれ程の恥をかかせるとは。ただでは済まさぬぞ。お主が死にたくなるような恥をかかせてやるからな」
 というと、庸次郎にくるりと背を向け、あっという間に母屋の軒下に駆け込むようにして姿を消した。
「おい、待て——」
 言って待つような相手ではないことはわかっていたが、庸次郎はいちおうその背中に声をかけた。無論、いかなる返事も返ってこない。その時庸次郎は、自分が取り返しのつかないことをしてしまった事に初めて気づいたのである。
 裏庭は、しんと静まりかえっていた。

「それは、恥っかきという妖でござりましょうな」
 老人はそういうと、さも旨そうに茶をすすった。向かいの座布団に座しているのは庸次郎である。自宅の裏庭から、奇怪な妖怪を掘り出してしまった庸次郎は、すぐさま物知りで知られる町の御隠居を訪ねたのだ。
「はじっかき、でござりまするか」
 庸次郎は御隠居の方へ身をすこし乗り出した。
「左様。ひどく恥をかかされた者の念がこり固まってそのような妖怪に化すと申しましてな」
 柔和な微笑みを浮かべた老人は庸次郎の顔を見た。「それを掘り出してしまったとはちと厄介——」
「や、厄介とは」
 庸次郎は更に身を乗り出した。近隣では小心者として名の知れた男である。やにわに心の臓がどくどくと脈打つのを感じていた。
「祟るのでございますよ、恥っかきは。自分を掘り出した者に」
「なんと」
 庸次郎は御隠居の次の言葉を促した。「してその祟りとはどのような」
 そういうと老人はホ、ホ、ホと笑った。「それは誰にも言えぬようなすさまじい恥をかかされる、そういう祟りと聞きましたなあ」
「祟りから逃れる術はございませぬか」
「そのような術はないと聞いております。恥っかきを掘り出したのが運の尽き。諦めることですな。まあ命まではとられますまい」
「そこを何とか」
「どうにもならぬ」
 老人は最後に突き放すように宣告した。「この際恥をかきなされ。思いっきり恥をかくことじゃ。逃れる術はない」

 問題は、それがいかなる類の恥であるかだ。庸次郎は外出を極力控えようかとも考えた。人前に出なければ、恥をかくこともない。しかし、生きて、食っていくためには引きこもりをずっと続ける訳にはいかないのだ。しかも翌日にはのっぴきならない用事が控えていた。庸次郎はその夜、帰りぎわに御隠居から言われた言葉を思い出した。
「死ぬ時には死ぬがよかろう。災難に会う時は会うがよかろう」
 昔の高僧の言葉だという。その後に御隠居が続けた言葉が庸次郎にとってのただひとつの救いとなっている。
「恥をかく時は、恥をかくがよかろう」
「なる程、そうするか」
 庸次郎は、寝床の暗闇に向かってそう呟いた。

(了)


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