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オーストリアのゼメリング鉄道で(2)


飛行中、ヘリコプターの助手席で、ぼくはモニターを抱えていた。カメラから送り出される映像がそこには映し出されていた筈である。

本来ならディレクターはその映像をチェックしていなくてはならないのだが、ヘリの空撮でそんなことをしようものならたちまち酔ってしまうのだ。一瞬で乗り物酔いの酷い状態に陥ってしまう。それは以前日本国内の空撮で経験済みだったので、ぼくは空撮の時、モニターは極力見ないことにしている。どうしてもという場合は半眼でなんとなく視界に入れておくぐらいにしている。決して画面に見入ってはいけないのである。あまりに馬鹿正直では仕事にならないこともあるのだ。人間、職務に忠実すぎるのも考えものである。とにかくぼくはヘリコプターの機内でげろを吐くのはまっぴら御免だった。飛行機と違ってそれ用の袋の用意もないのである。

「次に飛ぶ時はどんな感じでいきましょうか」
カメラマンは執拗に質問してきた。
だが、なにしろこちらはちゃんとモニターで映像をチェックしていないので実のところ何もわかっていないのだ。意見も何もあったものではない。そこでぼくは、
「いや、あの方向でいいと思いますよ」
と適当に答えておいた。
「わかりました! あれでいいんですね」
とカメラマンは素直に喜んでいる。しかし、それ以上空撮の中身について突っ込まれるのはいやなので、
「それにしてもパイロットの腕前はすごかったね」
とぼくは話を別の方向にふった。
「ああ、彼はすごかったなあ。ほんとにうまい」
カメラマンは素直にパイロットの腕をほめたたえた。根が正直な男なのである。「ナンバー5があれほどの腕前だったら、その上の奴らはどんだけうまいんだって思いましたよ」
「まったくだね」
この点ではぼくは100パーセントカメラマンに同意した。

当時、ヘリによる空撮では、運転席(いや操縦席か)の反対側の後部ドアを取り外してカメラを突き出すというやり方が主流だった。そこに空撮用マウントという、カメラを安定させる装置を取り付け、カメラマンは命綱を付けた上でヘリコプーターの外に半身を乗り出して撮影する。
しぜん、パイロットは機体の左後部をつねに意識していなくてはならない。もし被写体に向かって真っ直ぐ突っ込んでいきたいとカメラマンが要求した時には、ヘリは横向きで直進する。目標に機体の左側面を正対させ突っ込んでいくことになるのだ。自分の体の左サイドに眼がついている、そういう感覚がパイロットには要求される。
車の運転に例えてみると、上手い人は自分の身体と車体が一体化している。車の四隅まで神経が通っている、そんな感じ。対して下手な人は、身体と車体が分離している感がある。自分は自分、車は車。
この時のヘリのパイロットは、完全に自分と機体が一体化している感じだった。ヘリコプターはまるで彼の身体の一部なのである。軍人というにはなよっとした男で、初対面では、
(これがNATOナンバー5かよ)
と疑わしく見ていたが、最初のフライトを経験すると完全にぼくたちの見方は変わっていた。思わず彼のことを「先生」と呼びたくなったほどである。人は見かけによらないということが身に染みてわかった。
実は、ヘリに乗る前ぼくたちは、
「へー、それではNATOナンバー5のお手並み拝見といきますか」
とパイロットのことをちょっと小馬鹿にしていたのであった。
なにしろナンバー5であって、ナンバーワンではないのである。それに外見はなんだかなよっとしていた。彼の見た目があまり軍人らしくなかったこともその原因だった。最初のフライトの前は、
「せめてナンバー2とかナンバー3ぐらいよこしてくれりゃあよかったのに」
などとぼくたちは不遜な言葉を吐いていたのだ。

「きっとナンバー4とかそれ以上の人は本業で忙しいんですよ」
とパイロットの姿を眺めながらカメラマンが呟いた。NATOナンバー5のパイロットは操縦席で計器のチェックに余念がなかった。その姿を見ているとやはりプロフェッショナルな感じがする。
「本業って、つまり戦争とか」
「そう。戦争に行ったら、こんなもんじゃ済まないでしょうからね」
カメラマンのいうことはもっともだった。戦場ならアルプスの崖すれすれに接近するより危険な状況などざらにあるだろう。
「戦争はいやだよなあ」
「そうですね、行きたくないですね」
映像の仕事など平和産業の最たるものである。アルプスの山岳鉄道を美しく、かつ迫力ある映像で捉えたところで、こんなもの別に世の中に必要ないですよ、といわれてしまえばそれまでなのだ。
そういう意味では、NATOナンバー5のパイロットとこういう状況で出会い、一緒にいられるのはかなりの僥倖だったといわなければならない。
なにしろヘリコプターの最大の欠点は、
「よく落ちる」
ということなのだ。
NATOナンバー5と一緒ならその点は回避できる確率が高いだろうとぼくは考えたのだった。

毎年、日本あるいは世界のどこかでヘリコプターの墜落事故が報じられ、たいてい乗員は全員死亡と伝えられる。運がよければ「腰の骨を折る重症」程度で助かる人がいるぐらいだ。墜落する確率は、航空機の比ではなく高く、とにかくよく落ちる。つまり、ヘリコプターに乗るには、「相当の覚悟」が要るということだ。乗るだけで死ぬ確率は飛行機よりかなり上がるし、死んだところで文句はいえない。もっとも死んでしまえば文句どころか何もいえないのは当たり前なのだが。

そして関係者の話によれば、ヘリコプターという乗物は、「何でもないところでストンと落ちる」というのである。
ヘリが離陸する、あのすうっと地面を離れる瞬間は何度経験してもいやなものだ。何しろいきなり両足が地面と切り離されてしまう。途端に足元がおぼつかなくなるあの感覚。ぞわぞわする。足の下がいきなりすうすうする寄る辺なき不安感とでもいうか。自分が地面に立ってないというだけで、人間はとたんにおそろしほど弱い存在に突き落とされてしまうのだ。かなり高度が上がってしまえば不安感はかなり薄れるが、離陸の瞬間だけはどうにもいけません。やっぱり、
(あ、これは落ちる時はストンと落ちるだろうな)
という納得感がある。

離陸の時より特に危ないのが着陸する時だという。NATOナンバー5もやはりそう言っていた。最も気を使うのは着陸の時だと。
この時は使っていない牧場を離着陸のために借りていたのだが、その近くを高圧電線が通っていて、
「あれがいちばん危険なのだ」
と言うのである。

実際、着陸の時の彼は相当慎重だった。何度か侵入コースを確認しては、ゆっくりと降りていった。崖スレスレに列車を追いかけながら飛ぶ時よりもはるかに気を遣うらしいのだ。我々しろうとからするとアルプスの断崖絶壁の方がはるかに危険に見えるのですが実はそうではないらしい。
名人のいうことは面白いものである。ぼくは彼の言葉に徒然草の一節を思い出した。
「過ちは、易きところになりて必ず仕るものに候」
つまり重大事故は誰が見ても危険なところではなくて、え? こんなところで? と思うような一見安全なところで起こるものだというくだりである。さすがNATOナンバー5は名人なんだなとぼくは納得し、かつ安心したのであった。

ヘリコプターの弱点はもうひとつある。給油問題。給油は基本、陸上でしかできない。つまり、燃料が尽きそうな場所に車で燃料を運んでおく必要があるのだ。これに意外とコストと手間がかかる。

ヘリコプターで行けば直線ですぐの距離でも、そこまでの下道、道路はまっすぐとは限らない。舗装されたいい道路とも限らないのだ。

特にこの時のようにアルプスの山中に着陸ポイントを設定した場合、給油のための車両はそこまでの山道を延々と走る必要がある。しかもヘリコプターが燃料切れになる前に到着していなければならないのは当然のことだ。これが避けられない以上ヘリコプターによる空撮は相当なコストがかかる。実はものすごく贅沢な撮影なのである。

しかしそういう贅沢な撮影をしているのだという感覚は当時のぼくにはまったくなかった。まあ、撮る前からカネのことを考えてびびっていてはろくなものは撮れないという気はする。
どうもディレクターとして生き残っていく連中はカネのことなど考えないようである。人間としてはどちらかといえば欠陥品。ぼくもどうやらそちら側の人間のようだ。ちゃんとしているかちゃんとしてないかで分けるなら、ちゃんとしてない側の人間なのである。それでもここまで生きのびてこられたのはやはり運がよかったというかついていたというか。人間関係に恵まれていたというか。それだけの理由にすぎないのだとつくづく思う。神様がいるなら神に感謝だ。

ぼくは人生の大半を旅番組を手がけることで生きてきた。日本国内をくまなく巡る旅もあったし、世界を旅して回るものもあった。オーストリアのゼメリング鉄道の撮影は、世界遺産を紹介する番組の取材だった。

撮影対象のゼメリング鉄道、これは端的にいうと「ヨーロッパアルプスの崖に張り付いた鉄道」である。世界で初めてアルプス越えを果たした鉄道路線なのだが、アルプスといっても山脈の東の端なので標高はさほど高くない。ただ、途中にゼメリング峠という難所がある。標高890メートルほどの峠である。ウィーンからイタリアへ直線的に抜けるためにはここをクリアーすればかなり楽になるのは明らかで、そのために計画された鉄道といってよかった。

アルプス越えと言っても山頂まで登って降りる訳ではない。話はそう単純ではないのだ。なぜならあまりにきつい傾斜に線路はひけないから。なるべく水平な地形が望ましいのである。でなければ緩やかな傾斜の上に、ということだ。

工事中は多くの人が亡くなったという。アルプスの山肌を削り、線路をひくためのテラスを作り、それが叶わぬ所ではトンネルを掘り列車を通過させるという大工事。無理からぬことである。

また、峡谷には山と山を結ぶ橋を渡した。これがまたローマ風の石造りで見事なものである。つまり景観を損なっていないのだ。このあたりがヨーロッパ人の美意識というか長年培われてきた美的遺伝子というかであって、それは見事なものだった。

山の天気は変わりやすく、ぼくたちが訪れたのは夏だったが、くっきりした晴天がいきなりかき曇り、大粒の雹が降ってくることもあった。その時は大きな石の陸橋の近くにいたおかげでその下に逃げ込みことなきを得た。たまたまその場所にいたおかげで難を逃れたのである。しかしその逆もあるかもしれない。たまたまその場所に居合わせたおかげで災難に遭うとか。それが運命の分かれ目というところだろう。鉄道の工事中もこういう天候の変化はあったはずだ。現地に行かなければ、そういう思いに至ることはないのである。

ヘリコプターによる上空からの撮影は、そういう鉄道の全体像を明らかに示してくれる筈だった。そして実際その通りになった。空撮なくしてはちょっと表現が難しい被写体だったといえる。

もうひとつぼくが理解したことといえば、設計者カール・ゲーガは実に偉大な人物であったということだ。
鉄道のルートを探し、全体をイメージするために、ゲーガは連日のように高い峰の頂に登り、現場を俯瞰していたという。ぼくたちも実際その山に登った。その映像は結局使うことはなかったが、そういう努力というか一見無駄に見える行動も実は大切なのだ。高い所にはまず登ってみる、それはディレクターの必要最低限の仕事である。大きい被写体だと、それで全体のイメージがつかめることもあるのだ。

列車はほぼ一時間に一本という間隔で運行されていた。上下線があるので、一時間に二回は撮影ができるという計算である。列車が走ってない間はどうしているかというと、上空で待つのであった。上空で、ひたすら列車が来るのを待っているのだ。列車の時刻表を睨みながら。

撮りたいシーンは幾つかあった。列車が緩くカーブした大陸橋を通過するシーン、崖に張り付くように掘られた幾つかのトンネルをくぐり抜けては出て来るシーン、最も険しそうな山を背景に走るシーン、そういう「画になる」シーンを狙える箇所はいくつかパイロットとの打ち合わせの中で押さえてあった。
いちおう、安全も考えて二時間飛んだら一旦ヘリコプターを着陸させ、給油をする段取りになっていた。一時間で二回チャンスがあるのだから、一回のフライト、二時間では四回、それが二度飛ぶから合計八回列車を撮影するチャンスがある訳だ。

狙い所以外ではアルプスの峰と峰の間を飛行した。それはそれで気持ちのいいものだった。

不思議な体験をしたのは、二度目のフライトの最中だった。
最初の列車が通過して、二本目の列車を上空で待っている時のことだった。ヘリコプターは山脈の間、峰から別の峰へ向かって飛んでいた。高度は千メートルほどだったと思われる。
 
それは、ふいにやって来た。なんだか体がふわりと自由になったような気がして、地球と大気と自分が一体となった感じに襲われたのだ。
空気の粒が自分の体の中をすいすい通り抜けてていく感じがあった。
そして空気の粒子と自分の細胞ひとつひとつの区分がつかないというか、空気と細胞が一体になっている感覚。
目眩く気持ちよさ。
気が遠くなりそうでならない浮遊感。
もちろんヘリコプターの助手席に乗っているのだからしっかりシートベルトは締めていたのだが。
その時ふいに、
(ああ、自分は地球や大気を構成する粒子の一部なんだ……)
とぼくは感じたのだ。
(ああぼくは地球の一部なんだ)
と。

そういう感覚はもちろん初めてのことだった。
今にして思えば、さまざまな条件が重なって、起きた現象なのだろう。
気流、その日の気温、ヘリコプターの速度、そして自分の体調、精神的コンディションとか。
あとは物理的な条件というか。ヘリの左後部のドアは取り外してあり、そこから絶え間なくフレッシュな風と空気が吹き込んできていた。
フロントガラスからは柔かな日の光が差しこんでいた。
飛行していた高度も関係あったかもしれない。
そうした条件が偶然揃ってしまったというか。ヨーロッパアルプスの上空で。
(これがひょっとして神に遭うってことなのかな)
とぼくは感じたのだ。

その後、こういう「神に遭う」ような感覚を味わうことは長らくなかった。ナスカの地上絵があるペルーのフマナ平原に行くまでは。それについては改めて記したいと思う。

念のため、ヘリコプターを降りてから、ぼくはカメラマンに聞いてみた。
「飛んでる最中なんか妙な感じがしなかった?」
彼もまた、ひょっとしたらあれに遭遇したのではないかと思い尋ねてみたのだ。あれ、つまり神のようなものとの遭遇というか地球との一体感を味わったかということである。
「と、いうと?」
と無邪気に返してくるカメラマンの顔を見て、
(あ、こりゃないな)
とぼくは瞬時に悟った。きっと彼にはあの感じが来なかったんだということが何故か分かってしまったのだ。
やはりあれは極めてインディビジュアルな、個人的な体験だったのだと思い、逆にうれしくなった。
「いや、なんでもないんだ」
とぼくは無理に笑顔をつくり、
「いやー、いい空撮だったなあ」
と天を仰いだ。

後にぼくは「神に遭う」、或いは「神を見る」という感覚はこういうものかと立花隆氏の著書「宇宙からの帰還」を読んで知った。
どうやらぼくがヨーロッパアルプスを飛行中のヘリコプターで味わった感覚は、宇宙飛行士たちが味わったものに近いようである。

即ち、地球との一体感。自分の体を構成する粒子が、周囲の空気の粒子と一体化するというか、外の空気の粒子が自分の体内をどんどんすり抜けていくというか、そんな感じ。
ただし、ぼくはまだ宇宙には行ったことがないので、それがまったく同じ感覚かどうかはわからない。

(続く)

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