【台風からは遠く離れ、荒川河川敷で風に吹かれる】
台風が8号、9号、10号と3つ続けて沖縄に接近したわけだが、わたしの東京長期滞在は続いている。
様々なアクシデントとちょっとした戦いの連続の毎日である。それはさておき…。
土曜日(9月5日)、アップリンク渋谷で都鳥伸也監督の映画「私たちが生まれた島~OKINAWA2018」を観たあと(➡️感想は追って機会をあらためまする!)、一時帰沖のため羽田空港へ直行予定だった。
余裕をみて土曜日の夜に那覇に入り、石川真生写真展「大琉球写真絵巻2020」を翌日最終日の日曜にじっくり見る予定だった。
が、台風10号の影響で、その夕方の便から日曜まで、那覇行きが全便欠航となり、今年は自分が出演した作品がどんな仕上がりになったのか確かめることさえできなかった。何から何まで異例の年、2020である。
けれども、悪いことばかりではない。
わたしの「引きの強さ」は健在だった。
土曜は、渋谷から羽田へ急ぐ必要かなくなって、映画を見終わったあとに、上映館のアップリンク渋谷でバッタリ居合わせたある沖縄メディアに属する有能な人物と、那覇軍港移設=浦添新軍港建設問題について意見交換できた。この人は、何年か前にもこの問題について意見交換させてもらった相手であり、また「軍港問題」が8月15日以降大きくクローズアップされてきているテーマだということもあり、今回は、小生の問題意識と危機感に対して打てば響くような理解力を示してくださり、大変ありがたかった。
つまり、この問題について、わたしは数年前から複数のメディアの記者、デスク、編集局幹部、ディレクター、プロデューサーといった人たちに水を向けてきたのである。ところが、個人的には渡瀬に同感だという皆さんも、いざ仕事としては、なかなか身を乗り出してくれず、もどかしい思いを抱いてきた次第。
しかしこの日は違った。
今後その人の所属するメディアでは、言わば社をあげて、本格的な問題提起、世論形成の努力をしてくれる可能性があると知り、じつに心強く感じたのである。
さてそれから、渋谷から(羽田ではなく)墨田区八広の荒川河川敷へと直行した。
そして「関東大震災97周年 韓国朝鮮人犠牲者追悼式」に参加することができた。
前日金曜日に現地の土手沿いの慰霊碑前で、初対面ながら長い長い立ち話をさせていただいた方が、今年はコロナの影響で実際にどうなるのかわからないけれど、河川敷での追悼式は毎年9月の第1土曜日です、と教えてくださり、わたしは河川敷での追悼式のことを、恥ずかしながら初めて知ったのである。
その時わたしは当然「じつは明日の夕方には沖縄に帰っているので、来年あらためて来ますね」と告げ、その方は「わたしも明日来られないので今日お祈りに来たんです」と言われた。聴きながら相槌さえ打てず絶句するほどの、リアルな非常に深いお話を、土砂降りのにわか雨のなか、土手沿いの歩道橋ガード下でたくさんうかがった。ただ、取材ではなくあくまで世間話、という大前提の約束のもとになされた対話ゆえ、ここにもどこにも、一切書けない。いつか(死ぬまでに!)、しかるべき文章を書けるようになったとき、その方の思いがわが原稿の行間に滲み出す、そういう日が来ることを、今は自ら祈るほかない。
その翌日、やや遅刻しつつも、荒川河川敷での追悼セレモニーのプログラムの数々に立ち会えていた。そんな自分が不思議だった。
1週間前には、出身地の埼玉県の朝鮮文化と縁の深い土地=その名も「高麗郷」周辺(現日高市)を散策していた。
1300年前にその地に移り住み、集団で暮らしたいわゆる帰化人たち (そのしばらく前に高句麗から移り住んだ)の残した巾着田(高麗川の流れを円形に近い弧を描く格好に婉曲させ、巾着型の水田を残した)にしばらく佇んだ。
日本文化に多大な影響を与えた朝鮮文化と己の現在との繋がりに思いを馳せていた少年時代(中学2年生頃)。当時の己の心中そのものを回想なんぞしたりして…。
巾着田から程近い高麗神社にもお参りした。
その神社には、じつは、 天皇時代の現上皇夫妻や、皇太子時代の今上天皇もお参りしていることを、期せずして知ることとなった。
「天皇制」の功罪や天皇の戦争責任について、そろそろわたしなりに真摯に考察し、思索を深化させるべきだと考えていた矢先だけに、目からウロコの事実発見であった。これまた死ぬまでにはきちんと書かねばならんテーマである。
そんな時間の流れのなかで、9月4日、両国の横網公園の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の碑から、八広の荒川河川敷近くの「悼」の碑へと、初めてお参りし、そして、翌5日、その荒川河川敷に舞い戻って、97年前に日本人によって虐殺された韓国朝鮮人犠牲者追悼の場に立ち会うことができたのだ。
その様子の一部(プンムルからパギやんこと趙博さんソロライブに至るまで)は、リアルタイムでFacebookライブ配信をしたので、ぜひご覧ください。
選挙権を持たない在日コリアンのパギやんが、わたしたち日本人に突きつける疑問と怒りの刃は、鋭く温かく、そして激しく優しい。
根源的な真っ当な問いを、わたしたちは必然的に、彼の語りと歌から受けとる。劇団石(トル)の、きむきがんさんの一人芝居「キャラメル」を即座に思い起こしたことは言うまでもない。
愚かなマスメディアに誘導されるままに思考停止に陥って、安倍政権や小池都政や維新府政などを支持してしまっている多くの日本人有権者たちの胸に、その鋭く温かい刃よ、届け!と叫びたい気持ちになった。
わたし自身「叱咤激励を受けるとはこのことだ!」と大いに感謝しつつ、ライブ終了後、パギやんと名刺交換をさせていただいた。
「共通の知人も多い気がします」と申すわたしの顔と名刺をじっと見て、「どこかでお会いしてません?夏彦さん」と言ってくれたのは、たとえパギやんの勘違いだとしても光栄であった。
「沖縄で親しくさせてもらってるのは、金城実さん、知花昌一さん、石川真生さん……」と次々とパギやんが挙げるお名前に、「はい、皆さんにお世話になってきてます」とわたし。世間は狭くて恐ろしい。
河川敷の追悼式会場でバッタリ会えた旧知の人は、ジャーナリストの安田浩一さん、のりこえねっとの川原栄一さん、編集者であの劣悪なヘイト&デマ番組「ニュース女子」ヘの抗議行動をいち早く起こし持続してきた川名真理さん、先だって本郷の辺野古・大浦湾写真展会場でお会いした川上直子さん…。
そう言えば、安田浩一さんはその日のTwitterで渡瀬とバッタリ会ったとわざわざ書いてくれて、恐縮至極だった。なにせわたしは安田さんと違って、ひょんなことからブラリとそこにたどり着いた不勉強な一見さんにすぎないわけで。
それでも、そんなわけで、去る週末、台風から遠く離れていながら、わたしの頭と心には激しく熱い風が吹き抜けた。
あらゆる差別と暴力を許さない。
わが人生の残り時間を使って、そのことをもっともっと突き詰めて考え抜きたい。
反レイシズム、反ファシズム、 脱基地、脱原発、脱環境破壊、食の安全、地方の復権、マイノリティの連帯、弱者・被害者の連帯、先住民の思想・文化の豊かさ、天皇制の本質とは何か、多様な価値を認め会うことの大切さ、誰ひとり取り残さない世界、一人ひとりの人権が尊重され、尊厳が保たれる世界を、いつになったらつくることができるのか……わたしが今関心を寄せているテーマは、すべてつながっている。
そう強く再認識させてくれた週末の時間の流れに、感謝。