魔源郷 第35話「不安」
第35話「不安」
文字数 5,423文字
夜。
昼間はあまり行動出来ない分、フィンたちは夜に活動するようになっていた。
それだけ、魔物との接触の危険性は高まる。魔物は夜の方が活発になるのだ。
フィンはいつも以上に慎重に周囲を警戒しながら進んでいた。
今は、なるべく、魔物を避けたかった。
だが、そうもいかなかった。フィンは、魔物の気配を察知した。
「気をつけろ。近くに魔物がいる。お前らはここにいるんだ。」
「フィン。浄化するつもりかい?」
「当然だ。」
「無理だよ。今の君では。」
「……。」
フィンはラムの声を無視して、魔物の気配がする方へと向かった。
黒い毛で覆われた大きな魔物がいた。よく見るタイプの魔物だった。
フィンは魔物に向かって心で呼びかけてみた。
だが、魔物はフィンの姿を見るなり、いきなり襲い掛かってきた。
魔物にフィンの心の声は届いていないようだった。
「久々に殺してやるか。」
そこへ、長い銃を持ってラムが現れた。そして、襲い掛かって来た魔物の心臓に向かって素早く弾丸を撃ち込んだ。
「ギャアアアア…!」
魔物は苦しげな悲鳴を上げて倒れた。
「何をするんだ!」
フィンが叫んだ。
「浄化出来なかっただろ。だから殺したんだ。フィン。今の君は無力だ。そんなんじゃ、何も守れないよ。僕は魔物なんかどうだっていいのさ。むしろ殺したくてたまらなかった。」
その言葉を聞いて、フィンはラムを殴り飛ばした。
「魔物を…殺すな!」
「それで仲間が傷ついても構わないのかい?」
「……。」
「この際、使命なんて捨てたらどうだい?そうすれば、気が楽になれるよ。誰が見張ってるわけでもないんだしさ。そんなに使命とやらにこだわる必要なんてないんじゃないの?魔物なんか殺した方が楽だよ。そうしなよ。」
「そうはいかない。」
「使命を捨てれば、仲間たちと一緒にいたって構わないんだ。過去のことなんか忘れて、楽しく生きればいいじゃないか。何故、君がそこまでして使命に縛られなきゃいけないんだい?」
「…魔物に罪はないんだ。」
「その魔物を造った奴に罪があるんじゃないのかい?君が一人で背負うことに何の意味があるってのさ。バカみたいだよ。」
「ビールは確かに悪だ。だが、過去の過ちを犯した俺もまた悪。俺は一度死んで生まれ変わったようなもんだ。だから、今の俺は、過去の過ちを償うために生きている。」
「それで人間らしさを失くしてもいいっての?」
「…これ以上お前と話したくない。」
フィンはラムに背を向けた。
アクア研究所。
次にフィンたちが目指している場所。
だが、フィンの不安は消えなかった。
いつもより、重く感じる背中。乱れた心。
ラムの視線を鋭く感じた。
「見るな!」
思わず、フィンはラムに向かって叫んだ。
「何だってのさ?この頃、フィンはおかしいよ。何だか悩んでいるみたいだね。」
ラムは楽しげに言った。
「別に…。」
「あいつらの存在が、君の使命の妨げになってるんだろう?いい加減、あいつらとは別れるんだ。そうすれば、君は元の孤独な罪人として、バンバン魔物を浄化出来る。そうだろう?」
「お前の意見など聞いてない。聞きたくもない。」
フィンは冷たく言い放ち、顔を背けた。
「また、お前はフィンに突っかかってるのか?」
そこへジンジャーが来て、ラムを突き飛ばした。
「ふふん。」
ラムはニヤリと笑って、その場を離れた。
「気にするな。あいつの言う事なんか。」
「気にしてないさ。」
そして、辿り着いた場所は、古い地図にはアクア研究所と載っていたが、そこには何もなかった。廃墟すらなかった。ただの荒地と化していた。
「人魚のミイラにでも出会えるかと期待してたのになあ。」
ラムが言った。
「本当にここなの?」
アリスが首を傾げた。
「まあ、何百年も昔のことだからな。なくなっていても不思議ではない。」
フィンが答えた。
「…シーラさんたち…どうなったのかしらね。」
アリスがフィンに聞いた。
「とっくに死んでるさ。人魚はバンパイアと違って、不死ではないからな。人間よりは長く生きるようだが…。もし生きていたとしても、相棒の方は死んでるだろう。」
「悲しかったでしょうね…。自分より先に死んでしまうなんて。」
「その点、アリスには俺もテキーラもいる。ずっと一緒だ。」
ジンジャーはそう言って、アリスに微笑んだ。
「うん…。」
「そうさ。」
ラムが口を挟んだ。
「君たち、もういい加減フィンの邪魔をするのは止めてくれないかな。フィンは魔物を浄化するって使命があるんだ。君たちは君たちで、仲間でも何でも探せばいいじゃないか。フィンは本当は、君たちが邪魔なんだ。だから悩んでるんだよ。本当にフィンのことを思ってるんなら、ここらでフィンを解放してやったらどうなんだい?」
「またお前はそうやって…!」
ジンジャーがラムに突っかかった。
「僕は、フィンが言えない本音を言ってあげてるんだよ。」
「やめろ!」
フィンがジンジャーとラムを引き離した。
「…魔物を浄化出来なかったのは、俺の心の弱さのせいだ。お前たちのせいじゃない。」
「フィン…。」
アリスは、フィンの顔を見上げた。その視線に気付き、フィンはアリスに言った。
「お前のせいでもない。」
「フィン…。」
そんなふうに、優しく声を掛けられると、逆にアリスは不安になった。今までは、氷のように冷たく接していたフィンが、近頃は、優しい目で見てくれるようになった。それは素直に嬉しかった。だが、それと同時に、アリスの小さな胸には、不安が芽生えてきていた。
ラムの言う通り、フィンにとって大事な使命の邪魔になっているのかもしれない。今までは、フィンに見て欲しい、構って欲しいとばかり思っていた。しかしそれは、ただの自分の我儘なのかもしれない。フィンのことを本当に大切に思うのなら、フィンのことも考えなければ。ただ、自分の思いをぶつけるだけで、フィンの使命について考えもしなかった自分が、身勝手に思えた。
フィンは、自分を仲間と会わせてくれた。そればかりか、何者か分からなかった自分の正体を見つけてくれた。今、自分は幸せだ。フィンと出会ってから、アリスは幸せになった。
アリスは思った。フィンが幸せになるためには、どうしたらいいのか。このまま、フィンの使命の邪魔をして、苦しませるよりも、フィンと出会う前の状態に戻った方が、フィンにとっては、気楽なのかもしれない。それが、恩返しになるのなら。
アリスは皆から離れて一人、夕闇の木陰で膝を抱えていた。
そんなアリスを、ジンジャーは不安そうに見守っていた。
「アリス。どうしたんだ?」
ジンジャーがアリスに声を掛けた。
「あたし…ずっとこのまま、大きくなれないのかなあって…。」
「バンパイアは年を取らないからな。」
「でも、心は大きくなれるよね。心は成長するよね。いろんなことがあって、いろんなことを見て、いろんなことを考えて。…あたし、フィンと別れることにするわ。だって、フィンは辛そうなんだもの。使命とあたしたちとの間で、フィンは悩んでる。このままついて行ったら、フィンは使命を果たせない。だから…。あたし、今までずっと自分のことしか考えてなかった。フィンのことなんて考えてなかった。フィンがあんなに苦しんでるなんて…。」
アリスは涙を零した。
「アリスは…本当にフィンのことを深く想っているんだね。」
ジンジャーが微笑んだ。
「…でも、俺はあいつを一人にしてはおけない。別に、仲間探しのためとか、そんなんじゃない。確かに最初は、あいつを利用していた所もある。だが今は、あいつをほっとけないんだ。フィンは、一人で抱えすぎてる。何か分からんが、あいつは苦しんでる。その苦しみを、俺は知りたいんだ。仲間なら、仲間の苦しみも全て受け入れて、分かち合うべきさ。俺はあいつの力になりたい。アリスの気持ちも、無駄にしたくない。俺は、絶対にあいつから離れない。アリス、そんなに苦しむことはないさ。フィンもアリスも、一人で悩みすぎてる。」
「ウアア~~…。」
そこへ、あくびをしながら、テキーラが現れた。
「ウウ。」
テキーラは、涙を流しているアリスを見ると、アリスに駆け寄っていって、その顔の涙を舌で舐めて、アリスを抱きしめた。
「テキー…ラ…。」
ぼろぼろと、後から後から、アリスの目から涙が溢れ出してきた。ジンジャーと、テキーラの愛情に触れて。孤独だったアリスは、いつの間にか、こんなにも大切にしてくれる仲間を得た。
それは、フィンとの出会いから始まった。
そんな人と、別れるなんて。考えられなかった。
ドオオーーン
突如、銃声が響いて、魔物の悲鳴が響き渡った。
「何だ!?」
フィンと、ジンジャーたちは銃声のした方へ向かった。
そこには、銃を持って立っているラムがいた。ラムの後ろには、苦しみ喘ぐ魔物がいた。
「ラム!やめろ!」
フィンは叫んだが、ラムはにやりと笑って、銃を魔物に突き付けた。
「こんなもの、なくても殺せるよ。」
ラムは銃を捨てて、魔物に向かって手をかざした。すると、手から鋭い閃光が走って、光の刃が魔物の心臓を貫いた。
「グオオオオ!!」
「はははははははは!!」
ラムは狂ったように笑った。そして既に死んだ魔物の体を、ラムは「力」を使ってずたずたに引き裂き、粉々にされた魔物の肉片が飛び散った。その返り血を浴びて、ラムは赤く染まりながら、笑っていた。
「なんてことを…。」
フィンは思わず拳を握り締めた。そして、笑い転げているラムの顔をその拳で殴りつけた。
「お前は…最低だ!」
「フフ…。」
倒れたまま、それでもラムは笑っていた。
「君の心が分かるよ。前は分からなかったのに、最近はすごくよく分かるんだ。君の心が弱くなってるからさ。僕には分かるよ。はっきりとね。なんでだろうね?不思議なんだ。君とは逆のことをするとすごく楽しいんだ。魔物を殺すとスッキリする。すごく楽しいんだ!!」
ラムはギラギラと目を光らせて、フィンに顔を近付けた。
「見えるよ。君が僕を嫌悪している。僕はもっと、君を破壊したい。君の心が壊れるまで。僕は魔物を殺してやる。君が僕に近付くまで。君が僕になるまで。君の心を失くしてやる。君を殺してやる。殺してやりたい!」
「何を言ってるんだ!」
フィンは、ラムの目の奥を見た。
フィンは、そこに映っている自分の姿を見た。
それは、過去の自分だった。
人々を殺したときの、自分。
罪を犯した、自分。
その顔は、醜く歪んでいた。
「何故…。」
フィンは、はっとして、ラムから離れた。
ラムが現れてからだ。心がだんだん乱れていったのは。
時に、鋭く自分の本音を言い当てられる。
そして、気付かされる。自分が罪人であると同時に、一人の人間であるということを。
使命に縛られて、身動きが出来ない。
そんな「自分」を意識したことはなかった。ラムが現れてからだ。
「自分」を思い出したのは。
ラムという男の正体。それが突然分かった。
フィンは、目の前の「自分」を見つめた。
「分かった…。お前は、俺だったんだ…。」
フィンは、ラムを見つめた。
「罪を犯した過去の俺…。それがお前の正体だったんだ。」
ラムは無表情で、フィンを見ていた。
「どういうことなんだ?」
ジンジャーが不審そうに言った。
「こいつの体は間違いなくブランデーだ。だが、死んだブランデーの体に、俺の闇の部分…怨念…とでも言おうか、それが入り込んでしまった。」
「じゃあ、ラムという名は…?」
ジンジャーの問いに対して、ラムは首を振って言った。
「知らないね。僕は気が付いたらいたんだ。名前?その辺に捨ててあった酒の名前を付けただけさ。安っぽい名前だろ。名前なんかどうだっていいのさ。僕は誰かを殺したくてたまらなくて。それだけが僕を駆り立てていた。今もそうさ。僕は、フィン。君を殺したくてたまらないんだ。君の光を奪いたいんだ。君を暗闇に突き落としてやりたいのさ。だけど、君を見るとその衝動が抑えられてしまう。君の言う通り、僕が君の分身だからなのかな。」
「ちょっと待て。フィン。俺には何が何だか分からないが、今、ブランデーが死んだ、と言ったのか?」
ジンジャーがフィンに詰め寄った。
「ああ。ブランデーは死んだんだ。」
「じゃあ、今ここにいるこいつは…何なんだ?ブランデーの体に、取り憑いているとでも言うのか?」
「取り憑く…というのとは違う。肉体を動かしている…と言った方が近いかな。まあ、似たようなもんだが。つまり、こいつは、ラムは、過去の俺なんだ。人殺しをした俺。」
「とても信じられないが…。」
「俺だってそうさ。まさかラムが過去の自分だったなんてな…。」
フィンは頭を抱えた。
あの儀式で、闇の部分の自分を、引き剥がしたはずだった。
それが、今になって自分を苦しめに来たのだ。
フィーネを自らの手で殺したとき、自分の心は壊れた。
そして、人々をその壊れた心で殺した。
妹を失ったとき、全てがなくなればいいと思った。
何もかも、滅べばいいと思った。
自分さえも、消えてしまえばいいと思った。
光と闇。表と裏。
光を失ったとき、闇が広がる。
まさに、あの時の自分の状態は、世界が暗闇に覆われたようだった。
深い愛情。強すぎる絆。
フィンにとって、妹のフィーネが世界の全てだった。
二人の心は、二人で一つだったから。
「銀の民」の末裔。それが、フィンとフィーネだったのだ。