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魔源郷 第15話「疑問」

 とぼとぼと、力なく歩いている一人の青年がいた。
 擦り切れた緑色のマントに、黒い帽子。腰には銀色の剣。
 男装の猟師、マリーだった。
 マリーは、しばらくの間、猟師としての仕事が出来ずにいた。
 覇気を失っていた。
 あの火刑の町での一件が、彼女の心を苦しめていた。
 人間が、人間を――。
 それも、集団で。
 皆、狂っていた。おかしかった。
 それも、本物の魔物が原因だったとしても、やっぱり納得出来ない。
 魔物への恐怖が、人間に狂気を与えて、人間自身も魔物化したというのか。
 だとしたら、やはり原因は魔物にあるのか。
 いや、それは短絡的すぎる。
 魔物は考えることをしない。
 しかし、人間は考える。
 自身の身の安全を図るために、他人を疑い、事件が起こる前に、他人を犠牲にして自分を守る。
 結局は、自分のために。
 自分の身を守るために、他人を犠牲にしている。
 大抵の人間は、聖人でもなければそうして生きている部分は多少なりともあるだろう。
 しかし、人が人を殺すことはそれとは別だ。
 そのように考えてきて、ふと、マリーは、自分が魔物を殺すことの意味を考えた。
 悲しみがはじめにあった。そして憎んだ。
 自分の家族を魔物に殺されて、魔物に怒りを感じた。
 そして、人を苦しめている魔物たちに怒りを感じた。
 一つの憎悪が、大きな憎悪へと変わっていった。
 自分もどこか狂っているのだろうか。
 マリーは、考えれば考えるほど、混乱していった。

 鏡の前に立ち、マリーは帽子を取って自分の顔を見た。
 やつれた顔があった。
 復讐のために、猟師になると決意した。
 そして旅立ったときの顔は、何の迷いもない顔だった。
 だが、今は迷いに満ちている。
 もう、辞めたい。
 ジェイクに会ったときを思い出した。
 あのときは、自信を持っていた。何の迷いもなかった。
 猟師として生きていくことが自分の使命だと、そう思い続けてきた。
 人のために、人を守るために、猟師をしている。そう思っていた。
 それは単なるおごりだったのだろうか。
 一度や二度の悲劇を目の当たりにして、このもろさはどうだろう、
 やはり、私はただの女だ。
 強くなったつもりだったのに。
 誰にも負けない。そうして剣の腕を磨いてきたのに。
 心はか弱い女のまま。
 家族を失った子供のときと同じ。
 今は、とても悲しかった。
 長い間、我慢していた涙がこぼれて止まらなかった。

 誰もいない所に逃げ込みたかった。
 マリーは、一人で寂しい町の外れの、雑木林までやって来た。
 宿は取ってあったが、野宿しても構わなかった。
 しかしそこに誰かが倒れていた。
 一人の男。痩せ細り、青白い顔をしていた。
 死んでいるように見えた。
「…大丈夫ですか?」
 声を掛けてみたが、反応がない。
「これは…。」
 マリーは、顔をしかめた。男の奇妙な耳の形を見て、魔物であることに気付いたのだ。
 男はかすかに息をしていた。
 マリーは、腰に手を当て、剣に手をかけようとした。
 今、こいつをここで殺せばいい。
 目の前にいるのは、弱り切った魔物。
 しかし、マリーは剣を抜かなかった。
 こいつが、何をしたのか。
 魔物という理由だけで殺してよいものか。
 初めて起こった疑問だった。
 今までは、明らかに人を苦しめている魔物を殺してきた。
 しかし、今目の前に倒れている魔物は…。
 やつれた様子が哀れに見えた。
 マリーは、何も見なかったことにして、その場を立ち去った。
 見殺しにすることにしたのだ。

 宿に帰ってからも、さっき見た魔物のことを考えていた。
 今頃、もう死んだだろうか。
 気になって仕方がない。
 マリーは、真夜中の外に飛び出した。
 向かった所は、先程魔物が倒れていた場所。
 魔物は倒れたままだったが、まだ生きていた。
 マリーは無言で、魔物の口を開いて、持ってきた水を押し込んで飲ませた。
「ごほっ…。」
 魔物は、息を吹き返した。
 その魔物の男は、白髪頭で、生気のない顔をしており、老人のように見えた。
「…あ…。」
 男は、しわがれた声を出した。
「お前は…。」
「私は人間。あなたは魔物ですね。でも、あなたは死にかけていた。そういうの、放っておけない性質たちで。」
 マリーは、立ち去ろうとした。
「待て。」
 魔物の老人が、ゆっくりと立ち上がった。
「今、私に何をしたのだ?」
「水をあげただけですが。」
「水…。」
 魔物の老人は、自分の皺だらけの手を見つめた。
 マリーはふと思いついたように立ち止まって、老人に向かって言った。
「あなたが人間に危害を加えたら、私があなたを殺しますからね。」
「…私を助けておいて、今更何を言う…。後悔することになる…。」
 老人は、突然マリーの腕を掴んで引き倒した。
 物凄い力だった。老人とは思えないほどの。
 老人の口から鋭い牙が飛び出した。
 抵抗する隙も与えず、老人は、マリーの首に噛み付いた。
 どくどくと、マリーの新鮮な血が老人の喉に流れ込んでいく。
 老人は、バンパイアだった。
 マリーの血が流れ込むにつれて、老人の体に変化が起こった。
 まるで若返っていくかのように、生気がみなぎり始めたのだ。
 手の皺も消えていた。白髪もみるみるうちに、黒々と変化していった。
 先程まで老人だった男は、青年の姿になった。
 しかし、顔だけは不気味なほど青白く、生気がなかった。
 その中で、鋭い目だけがぎょろりと飛び出し、光っていた。
 バンパイアの腕に抱かれたまま、マリーは気を失っていた。
 そこへ、突然、猟師の姿をした青年が現れた。
 バンパイアは、マリーの血を全て吸い尽くそうと、マリーの喉に噛み付いたままだったので、青年が近付いて来る気配には気付いていないようだった。
 猟師の青年は、そっと近付き、バンパイアの後頭部に両手を当てた。
 すると、バンパイアはマリーの喉から口を離したかと思うと、その場に倒れた。だが、バンパイアは静かに呼吸しており、ただ眠っているだけだった。
 猟師の青年は、バンパイアの状態を確認すると、マリーの方に向き直った。そしてマリーを抱えて歩き出した。

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