魔源郷 第21話「廃墟の記憶」
大昔には都だった所が、今では廃墟と化している。
全ては、変化していく。
化石はものを言わないが、存在した時間の痕跡が記されている。
長い時間。歴史。
気の遠くなるような変化と繰り返し。
そして現在に至る虚しさだけが残る。
かつてルビーと呼ばれていた場所に到着した。
ぼろぼろに崩れた廃墟だけが残っていた。
「ここで…バンパイアが創り出された…。」
ジンジャーが呟いた。
「こんな所を探しても無駄さ。」
ラムが吐き捨てるように言った。
「何もないじゃないか。」
フィンは何も言わずに廃墟へ向かって行った。
「何だか怖い…。」
アリスは廃墟を見て立ち止まって震えていたが、すぐにフィンの後を追いかけていった。
廃墟は入り口もなく崩れた外壁だけが露わになっていたが、下り階段のようになっている所があり、それは地下に続いていた。下を見ても暗闇で何も見えない。
フィンは蝋燭に火を灯して、崩れた階段を下り始めた。
「怖いわ…!何か嫌な感じがするの。」
アリスはフィンの手を引っ張った。
「嫌なら上で待ってろ。」
「……。」
アリスは唇を噛みしめて黙り込んだ。
「アリス?」
後からやって来たジンジャーが、立ち止まっているアリスに声を掛けた。
「だめ…。行かないで。」
アリスは青ざめた顔で、震えていた。
「テキーラ。」
ジンジャーが、人型のテキーラの方を見た。
「ここで、アリスと待っててくれ。」
「ウウ?」
「確かにこの先は危険かもしれない。二人で、ここで待ってた方がいい。」
テキーラは、固まっているアリスを見つめた。
「ウイ。」
アリスの手を握って、テキーラはジンジャーに頷いて見せた。
「賢明だね。だけど僕は行くよ。フィンの行くとこならどこでも見てやるさ。」
ラムはにやりと笑って言った。
フィンの後に続いて、ジンジャーとラムが地下へと降りて行った。
それをアリスは、不安そうに見ていた。
「面白いね。こんなふうになってたとは。」
ラムが言った。
闇の中を照らすのはフィンの持っている蝋燭だけ。
どんどん奥へ深く進んで行く。
黴臭くて嫌な臭いが漂っていた。
淀んだ空気が溜まっている。
内部も崩れており、壊れたがらくただらけだった。
「こんな所に何があるってのさ。探しても無駄だよ。」
「お前は黙ってろ。」
ジンジャーがラムに言った。
暗闇でほとんど何も見えないが、かつて研究所だった名残が所々に残っていた。
何に使われたのか分からない機械のようなもの。
至る所に散乱している人骨。
頭が人間で、体が獣で作られた、グロテスクな像まで飾られていた。
その像も既に腐敗し、骨だけになっている。
更に奥へ進むと、やがて赤い光が見え始めた。
暗闇に光る血のような赤。
その赤い光の差す方向へ進んで行くと、広い部屋に出た。
円形の部屋。
部屋の奥に、球の形をした赤い石があった。
人の拳ほどの大きさの石だ。
その石は、透明の筒状の容器の中に飾られていた。
そこだけは、腐敗を免れており、綺麗に保存されていた。
石は、赤い輝きを放っていた。
その輝きが周囲を照らしていた。
「変な石だね。」
ラムが胡散臭そうにして言った。
「お父さん…。」
どこからか声がした。
「待ってたわ…。やっと…来たのね…。」
女の子の声だった。
「何だ…?」
フィンは赤い石を見つめた。
声がその石から聞こえてきた気がしたのだ。
石が形を変え始めた。
固体から液体になるようにどろりと溶け出したかと思うと、赤い石は、みるみるうちに人の姿形に変形していった。
変形と共に、容器は破壊された。
「お父さん…。」
目の前に現れたのは、全身赤い人間。幼い少女の姿の人間だった。
裸の体は全身に血を浴びたように真っ赤で、髪の毛も赤く、目も赤く光っていた。
「うああああッッ!!」
突然、ラムが頭を抱えて苦しみ出した。
「やめろ!!」
「何が起こったんだ!?」
ジンジャーは戸惑っていた。
「私を覚えてないの…。」
赤い人間が手を伸ばしてきた。
「お前は誰だ?」
フィンが言った。
「フィズよ。」
「フィズ…!?」
ジンジャーが驚いて言った。
「ええ。あなたたちがお父さんをここへ連れて来たの?」
「ブランデーのことか…?」
ジンジャーは、苦しんでいるラムを横目で見た。
「そうよ。私、ずっと待ってたの。」
赤い人間、フィズはラムに手を触れた。
「触るな!近付くな!」
ラムは震えながらフィズから逃れた。
「どうして…?お父さん…。」
「違う!そんなのじゃない!僕は…僕は…!」
ラムは倒れた。
「…僕は誰でもない…何者でもない…。」
ラムは気を失った。
「どうしてなの?私…待ってたのに。」
「石になって?」
フィンが言った。
「石にされたの。私の心だけが。私の体は違う所にあるみたい。でもそれだってすぐ近くにあるわ。それを取り戻せば、私は蘇れる。」
「フィズ。俺は君のお父さんのブランデーと友達だった。こいつは、姿はブランデーだが何故か記憶がない。ブランデーかどうかも分からないんだ。」
「そんな…。私には分かるわ。間違いなくお父さんよ。記憶がないなんて…。」
「俺たちはここに来れば、過去が分かると思ったんだ。」
「私は覚えてるわ。ここで私は体を失ったの。引き剥がされたの。他の人間に体を奪われて。私は石の中に閉じ込められた。それをしたのはビールよ。そのときの記憶があるわ。見せてあげましょうか。私に触れてみて。石に記憶されてるの。」
「兄さん。やっぱり僕は…娘を化け物に変えるようなことは出来ない。」
エールが言った。
「化け物ではない。進化した人間になれるのだ。」
「兄さんは間違っている。今していることは、神に背く恐ろしい行為だ。人間を…別のものに変えるなんて…。おかしいよ。」
「神だと?何を言い出すんだ。おかしいのはお前の方ではないか?私は人間を更なる高みへ近付けたいだけだ。進化させたい。人間には力がある。その力で、何でも可能なのだ。それの何が悪い?神だの何だのというのは、人間の進化を妨げるものでしかない。」
「踏み込んではならない領域なんだよ。人間は全能じゃない。不老不死なんて有り得ない。人間はいつか死ぬんだ。だから悲しい。だから人生を楽しむ。僕だって、娘がこのまま死ぬなんて考えたくないよ。だけど…娘を別の生き物に変えてまで、その命を長らえさせようとは思わない。誰にだって、いつか別れの時は来るんだ。その日まで、娘を大切にしてあげたい。それがいちばん幸せなんだと思う…。」
「本当にそう思うのか?娘を失くしたくないだろう?ずっと娘の顔を見ていたいだろう?バンパイアになれば、お前の娘はいつまでもこのまま、歳も取らず、お前の傍を離れることもない。お前の妻は既に死んでしまった。この上、娘までいなくなったら、お前は悲しいだろう。」
ビールは、エールに顔を近付けて、その肩に手をそっと置いた。
「私はお前の気持ちを分かっている。娘を失いたくないだろう。私はお前の悲しむ姿をこれ以上見たくない。助けたいんだ。どんなことをしてでもな。私はそのためなら、神に背いても構わない。人間を幸福にしたいんだよ。それの何がいけない?人間の幸せを願うことの何が?」
「でも…、娘のために他の人間を犠牲にするなんて…。」
「ムーの人間は危険だ。我々とは違う。奴らは恐ろしい力を持っている。やがてアトランティスを滅ぼすだろう。全人類のために、奴らを生かしておいてはならないのだ。」
「それはあまりにも極端だよ。彼らが何をしたんだ?人間の幸福を願うなら、彼らにだって幸福の権利はあるはずだよ。僕は自分だけの都合で、他のものを犠牲にしたいとは思わない。」
「本当にそう思うのか?それでいいのか?心の奥底は違うのではないか?お前はただ恐れているだけなんだ。」
ビールは、うっすらと笑みを浮かべた。
「誰でもこうしたい、ああしたいという欲望がある。それを抑えているのは、神とかモラルとか、そういった、人間自身が作り出したもの…。人間は人間であることに誇りを持つと同時に、本来の姿になることに罪を感じるのだ。その罪ですら、人間自身が作り上げたものに過ぎない。何故本当の姿を隠す?…それは怖いからさ。人間は人間であるということで、守られていると安心している。人間は自分の身を守るための家が欲しいのだ。人間は安息を求めている。究極の安息。それこそが不老不死なのだ。人間の欲望の頂点。それが不老不死。それを実現しようというのだ。嫌とは言わせん。お前の生ぬるい良心とやらがある限り、頷いてはくれないだろうことは分かっていた。とっくにお前の娘、アリスは、今頃手術室の中さ。」
「なんだって!?」
エールは、ビールに激しく掴みかかった。
「何てことを…!アリスを返してくれ!!」
「終わりだ。お前とはもう…。」
ズドオーーーン
ビールは、ズボンのポケットから素早く銃を取り出して、エールめがけて撃った。
エールはそのまま後ろに倒れていった。
「ア…リス…。」
動かなくなったエールを、ビールは無表情で眺めていた。
白い手術室の空間で、それは行われた。
二つの体が手術台に並べられていた。
二人とも、同じ年頃の幼い少女。
一人は、不治の病を患い、いつ死ぬかも分からない金髪の少女。
もう一人は、黒髪の少女。ムーの民だった。
「始めよう…。」
室内に、ビールの声だけが響き渡った。他には誰もいない。
ビールの両手が、黒い光を帯びた。
「兄さん!ここを開けて!アリスを返してくれ!!」
ドンドンと、激しく扉を叩くのはアリスの父、エール。
しばらくして、ギイイと重い扉が開いた。
「兄さん!!」
「思ったより麻酔の効き目が弱かったようだな…。もう目覚めてしまったのか。」
「アリスは!?」
エールは目を見開いて、ビールに掴みかかった。
「もう終わったよ。」
「まさか…。」
エールの顔から血の気がひいていった。
「成功だ。アリスは新しい肉体を得た。生まれ変わったのだ。見なさい。」
エールは、ビールを押しのけて、手術室へと急いで入り込んだ。
「ア…。」
目の前に立っていたのは、黒髪の少女だった。金髪のアリスとは似ても似つかない少女だった。
「誰だ…?」
少女はぼんやりと立っていた。
「アリス…なのか…?」
「ア…リ…ス…。」
少女は、ゆっくりと言葉を発した。
「違う!!」
エールが大声で叫んだ。
「こんなのアリスじゃない!!アリスじゃない!!」
「落ち着きなさい。」
背後から、ビールが声を掛けた。
「アリスは目覚めたばかりだ。新たな自分に。だからまだ、意識ははっきりしていない。だが、魂はアリスのものだ。お前のことも知っている。体は違えど、中身はアリスなのだ。そのうち慣れる。」
「こんな…こんな…。…アリス…。」
エールは力なくその場に両手をついた。
もう一つの手術台には、金髪の少女の死体が横たわっていた。
「言うなれば魂の交換…というわけか。」
フィンが言った。
「そうよ。ビールは私の魂を取り出して、石に閉じ込めたの。そのために、体を失っても私はこうして今でも生きて続けていられた。…ずっと、ずっと待ってたの。お父さんが来るのを。お父さんが私を迎えに来てくれるのを…。」
「残念だが、こいつはお前の父親ではないらしい。姿はそっくりでもな。こいつもおそらく、そんな方法で変えられたんだろう。」
「いいえ!私には分かるの!その人は間違いなく私のお父さんよ!なのに、どうして…。」
「…仮に、体がどこかにあるとして、どうやって元に戻るんだ?」
「ただ、体の中に入り込めばいいと思う。今は心と体が離れた状態だから。体さえ取り戻せばいいの。そうすれば、今の石の状態ではなくなると思うわ。ビールが言ってた。」
「ビールが…?」
「うん。ビールはね、自分自身も石になって生きようとしていたらしいの。でもそれは叶わなかったみたいだけど…。」
「そうか。ビールは不老不死を願っていたな。そんなことをしてまでもか…。」
「フィン…。どうするんだ?」
小声でジンジャーがフィンに耳打ちした。
「こいつがフィズなら、元に戻すべきだろう。」
「元に…って…まさか…。」
「その後本物のブランデーを探せばいい。」
「そんなことを言ってるんじゃない。俺は…。」
「分かってる。あいつは元々、フィズの体だったんだ。それを本来の持ち主に返すってのが筋じゃないか。」
「じゃあ、アリスはどうなるんだ!?」
「さあな…。」
「さあって…。お前には情ってものがないのか?アリスはお前にあんなに懐いてた。それを簡単に…。」
「それなら、フィズはどうなる。俺には元に戻すのが最善だとしか思えないが。」
「……。」
何か言おうとして、ジンジャーは言葉を飲み込んだ。
「アリスは死ぬ運命だった。フィズはアリスの命の犠牲になったんだ。それを元に戻してやるのが正しいことなんだ。」
「お前は本当にそう思っているのか?アリスのことはどうでもいいと?」
「俺は正しいことをするだけだ。」
「…体…あるんでしょ?」
フィズが言った。
「案内して。私を連れてって。自分ではここから動けないから。」
複雑な表情で、ジンジャーは赤いフィズを見つめた。
赤い少女は、形を変え、再び元の石の形に戻った。
フィンは無表情で、赤い石を手に握り締めた。
「…来る…。」
アリスが小さく呟いた。
「ウアア?」
テキーラが不思議そうにアリスの顔を覗き込んだ。廃墟の外で、二人はフィンたちを待っていた。
「怖い…。怖いの…。テキーラ…あたし…。」
アリスはがたがたと身を震わせて言った。テキーラはアリスに身を摺り寄せて、アリスの頭を優しく撫でた。
やがて足音が聞こえてきて、廃墟の闇の中からフィンの顔が白く浮かび上がってきた。
「フィン!」
アリスはフィンの顔を見るなり駆け寄ろうとしたが、突然顔をひきつらせて、その場に固まった。
「アリス、お前の正体が分かった。」
フィンはいつものように、ぶっきらぼうな口調で言った。そして、赤い石を取り出した。
アリスは呆然として、フィンの取り出した石を見つめていた。
「お前はここの研究所の所長ビールの弟のエールの娘で、お前の体はこいつの本体だ。」
フィンは赤い石をちらと見た。
「アリス、お前は不治の病を患っていた。それを生き長らえさせるために、永遠の命を与えられた。ビールによって。フィズという娘の命と引き換えにな。お前の体は本来はフィズのものなんだ。フィズの体に、アリスの魂が移植された。つまりお前はもう誰でもない。死んだも同然だ。」
「そんな…。」
アリスは悲しげにフィンを見つめた。
「あたしは誰でもないって…。なんでそんなこと言うの…?なんでそんなひどいこと言うの?」
アリスの目から涙が溢れ出した。
「あたしは死んだなんて…。なんで…フィン…なんでよ…?分からない…急にそんなこと言われてもあたし…。」
「お前はもう生きてはいられないんだ。アリス、フィズに体を返してやれ。」
「いやよ!!」
アリスは激しく泣き叫んだ。
「あたしはあたしよ!フィン…ひどいよ!こんなの!あたしがいなくなってもいいって言うの!?」
「俺はやるべきことをするまでだ。」
「フィン!!」
堪りかねたように、ジンジャーが口を出した。
「やっぱりこんなことは…残酷すぎる。」
「残酷?ビールのしたことだ。元に戻すことの何が残酷なんだ。」
「違う!お前はアリスの気持ちを考えていないじゃないか!!」
「……。」
フィンの表情は変わらなかった。
「アリスはお前を誰よりも慕っている。そんなアリスに、よくもそんな残酷な事実を冷たく言えるな。お前には使命や義務しかないのか!?人の心ってものがないのか!?…確かにフィズも可哀想だ。だが、それはアリスも同じだ。二人とも、大人の自己中心的な欲望の犠牲になったのだからな…。」
「体…返して…。」
赤い石が光り出した。
「熱ッ!」
フィンは思わず石を手から放った。
みるみるうちに、赤い石は姿を変え、赤い少女の姿に変わった。
それを見て、アリスは目を見開いて驚愕した。
「ごめんね…。でもあたし、お父さんに会いたいの…。」
フィズがアリスを見て言った。
アリスはフィンを見た。
フィンはただ二人を眺めていた。何の感情もない目で。
突如、アリスの心に炎が燃え上がった。
「アアアアアーーーーーーーッ!!」
アリスの叫びが世界にこだました。
その姿は人から魔物へと変貌していった。
「アリス!」
ジンジャーが叫んだ。
アリスという名の魔物は、怒りと悲しみの狭間で覚醒した。
フィン。
それが記憶のないアリスの全てだった。