魔源郷 第24話「化け物」(3)
「何を言ってる!?」
ジンジャーが不審な目でラムを睨みつけた。
「人殺しはお前だろう。またわけの分からないことを…。」
「その通りだ。」
フィンはいつものフィンに戻っていた。
「…どういうことだ?」
ジンジャーがフィンに目を向けた。
「俺は人を殺した。それも大量に。今はその償いのために生きている。これで分かっただろう。満足か。人の過去を覗き見して、過去を暴いて。」
フィンの声には何の感情も表れていなかったが、怒っているようにも感じられた。
「フィン…。」
ジンジャーにはそれ以上何を言えばいいのか分からなかった。
「慰めなどいらない。」
フィンは剣を背中に装備した。
「じゃあな。」
フィンはぼそりと言って、ジンジャーたちに背を向けて歩き出した。
その後をジンジャーは追わなかった。というより、追えなかった。
「フィン…!」
アリスはどうしたらいいのか分からなかった。
「…追わないのかい?僕はこっそりとついていくつもりさ。君たちには興味ないし。」
「…踏み込んではならなかったんだ…。あいつの傷を…えぐってしまった…。」
ジンジャーは小さく呟いた。
「…だが…。俺はフィンを知りたかっただけだ。あいつは表面には出さないが、苦しんでいる。このまま、あいつを一人にしてはおけない。」
強い光が、ジンジャーの目に宿った。
「ジンジャー…。あたしはいていいの?フィンが嫌がること…したくない。でも…。」
「お前はお前のしたいようにすればいい。何も考えなくていい。フィンはアリスを嫌ってなんかいない。ただお前を巻き込みたくないだけなんだ。あいつは何も言わないから分からないだろうが、俺は分かる。俺があいつの代わりに言ってやる。アリス、お前は自由だ。」
「フィンが人を殺したなんて…信じられない…。」
アリスは膝を抱えて、俯いていた。
「だけどそれならあたしだって…。自分でも信じられないけど…。してしまったんだわ…。今だって…いつああなるかも…。自分でも抑えられない…。」
「アリス。一人で悩むな。俺たちがいる。俺たちは仲間だ。」
ジンジャーが、優しく微笑んだ。その横で、テキーラは、丸々と太ったネズミをばりばりと食べている。
「フィン…。」
アリスは膝の間に顔を埋めた。
そんなアリスを、ジンジャーは心配そうに見つめて、黙ってアリスの頭を撫でた。
これ以上、どうすることも出来ない。
フィンがいないと、アリスは不安でたまらないのだろう。
まだ、フィンが離れて時間はそう経っていない。
「アリス…。フィンは必ずここへ来る。」
そう言って、ジンジャーは立ち上がった。
(憎まれ役になっても構わない。これは賭けだ。)
「テキーラ。血が足りないんじゃないか。そんなネズミ一匹じゃ。俺のカンでは、近くにもっと血のつまった奴らがいる。」
テキーラは不思議そうにしてジンジャーを見ていたが、ジンジャーの目配せに気付いて頷くと、その場から離れて行った。
テキーラが見えなくなると、ジンジャーは、久しく使っていなかった、銀のオカリナを取り出した。
アリスは下を向いている。
それをちらりと見て、ジンジャーは苦々しい表情で、オカリナを吹き始めた。
「ううっ!」
アリスは苦しみ出した。
「ジ…ン…ジャ…何する…の…!やめて…!!」
「すまん。」
「う…アアアアアアーーーーー!!」
アリスはのたうち回り、叫び声を上げ、苦しげに悶えた。
人の姿から、おぞましい巨大な魔物の姿へ。
ジンジャーはオカリナを口から離し、怪物になったアリスを見上げた。
「フィン…来てくれ!お前が俺の思う通りの奴なら絶対に来るはずだ!!」
魔物の気配。
フィンは後方を振り返った。
アリスたちのいる方向だ。
おそらく、アリスだろう。
フィンは唇を噛んだ。
また変身したのか。
それとも、変身させられたのか。
迷っているヒマはない。
フィンは走り出していた。
「フィンよ。お前はこれから、罪を背負って生きていく。償いのために生きるのだ。それ以外のことは何一つない。お前は罪人なのだから。お前のしたことは、決して許されることはない。罪は消えない。それを胸に刻んでおくことだ。」
「分かっています。」
「己の感情に流されることなく、また、何者にも乱されることなく、お前はただ償いのために使命を果たすのだ。汚れた世界を浄化する。それがお前の使命だ。」
流されている。
ただ通りすがりに出会った者たちによって。
困っている人がいたら助けること。
それは自分のためでも他人のためでもなく、人としての義務。
それを実行していただけだった。
苦しんでいた幼い少女。
それを助けてしまった時から、変わり始めた。
何故あんなに懐いてしまったのか。
正直な所、迷惑だった。
迷惑なはずなのに、何故今、あいつのもとに走っているのか。
「義務」だからか?魔物を鎮めるために?
「魔物」ではなく、「アリス」という一人の人間を助けるために、走っているのか?
「待ちなよ。」
フィンの前に、ラムが現れた。
「どこへ行くつもりだい?あいつらとは、二度と会わないんじゃないのかい?」
フィンはラムを無視してそのまま行こうとしたが、ラムがフィンの前に立ち塞がった。
「どけ!」
「何をそんなに慌てているんだい?」
「アリスが魔物に変身したんだ!」
「へー。それを止めるために?」
「お前と話してるヒマはない!」
フィンはラムを突き飛ばして、走り出した。
ラムは倒れたまま、クククと笑い出した。
「…乱されてるね…フィン。もっと…もっと壊れてほしい…。」
ラムは爽やかな笑顔を作った。
「僕がフィンを壊してやるんだ。」
フィンがアリスの所に到着したとき、真っ先にフィンの目に飛び込んできたのは、血まみれになって倒れているジンジャーだった。
「ジンジャー!」
「…やっぱり…来たか…。」
ジンジャーは弱々しく微笑んだ。
「お前を信じていた…。」
「またやったな!あのオカリナで…!」
フィンは魔物のアリスに向かっていった。
「アリス!」
魔物の赤い目が、フィンを捉えた。その目からは、涙が溢れ出していた。魔物は、泣きながら暴れていた。凶暴な魔物が、泣いているのだ。
フィンには、泣いている心そのものが、まるで生きているもののように、フィンの心に伝わってきて、何事かを語っているのがわかる。
フィンは、悲しき魔物の体に触れた。穏やかな光と共に、魔物は安らかな表情になり、徐々に縮んでいき、元の人の姿に戻った。
「…フィン。」
アリスは大きな黒い瞳に涙を浮かべて、とまどいがちにフィンを見た。
「…ジンジャーめ。無茶しやがって…。」
言葉とは裏腹に、フィンの表情は穏やかだった。
「フィン!」
アリスはフィンに抱きついて、わあわあと大きな声で泣いた。
「もう離れないで!フィン、一緒にいてよ!お願いよ!」
「…しょーがねえなあ…。」
フィンはため息をついたが、アリスの頭を軽く撫でた。
「うわああああーーん!」
抑えていたものが溢れ出したように、アリスの目からは、涙が次から次へと止まらなかった。
悲しくてではなく、嬉しくて。
フィンの手が温かかった。
「…鼻水つけんなよ。」
「ぐすっ…うん…。」
アリスは泣きながら笑ってみせた。
「さーて。ジンジャーがお前にやられたみたいで血だらけだったな。」
「…ジンジャー…。」
アリスはジンジャーの方を心配そうに振り返った。
「…あたしのために…わざと…。」
「また俺は奴に血を提供するのか…。」
フィンはため息をついて立ち上がった。
そしてジンジャーのもとへ行くと、無言で手を差し出した。
「ほらよ。」
「フィン…やはりお前は…。」
ジンジャーは微笑んだ。
「信じていた。アリスを助けてくれると。魔物がアリスと知っていながらここへ来ただろう。俺たちとは別れると言ったにも関わらず。お前は、アリスを助けに来たんだ。一匹の魔物ではなく、アリスをな。」
「さっさと俺のマズイ血を吸い取りやがれ。」
「すまんな…。」
ジンジャーは、フィンの腕に触れた。それだけで、ジンジャーは血を吸い取ることが出来るのだ。
「うっ…。」
フィンは少し苦しげに顔を歪めた。
「…相変わらずマズイな…お前の血は…。」
「文句言うな。バンパイアに血を自ら分けてやる奴なんていねーんだからな。」
ジンジャーはフィンの言葉に笑い返した。
「ウイッ!!」
いつの間にか、テキーラがフィンの傍に立っていた。
「アアーー!」
突然、テキーラはフィンに抱きついた。
「お、おい!やめろ!余計苦しい!」
テキーラは妖艶な微笑みを浮かべて、フィンから離れた。
ラムはその光景を、少し離れた木陰に隠れて見ていた。
「実に美しいね。吐き気がするほど美しい。」