魔源郷 第31話「特別な力」
第31話「特別な力」
文字数 4,801文字
フィズは一人で泣いていた。
不思議な力が使えるようになったのは、つい最近のことだった。
それをずっとブランデーにもローズにも黙っていた。
それを見せて、褒めて欲しかった。
ただ、それだけなのに。
涙が止まらなかった。
夕闇が濃くなってきていた。
「おうい!そろそろ帰ろーぜ。腹へったー。」
がやがやと、子供たちの声がした。
いつの間にか、家から離れた、人里まで来ていたらしい。
フィズは、ブランデーとローズ以外の人間に会ったことは一度もなかった。
好奇心が湧いてきた。両親には、他の人に会ってはならないと散々言われていたのだが。
フィズは、木陰からそっと出て、子供たちの方を見た。
「な、何だよ?見たことねー奴…。」
子供の一人が、フィズに気付いて、驚いた顔をした。
見たこともないくらい、綺麗な姿をした女の子。
子供たちは、しばし見とれていた。
初めて見る、他の子供たち。
急に、フィズは怖くなって、その場から逃げ出した。
「あっ!待てよ!」
子供たちはフィズを追いかけたが、すぐに見失った。
「何だったんだ…?妖精でも現れたのかな…。」
「ばーか!妖精なんているわけねーだろ!人間だよ!」
「でも…見たことない子だったね。あんなかわいい子。」
子供たちは、フィズを見たという話を、その日の夕食の話題にした。
「フィズ!どこに行ってたんだ!」
ブランデーが息を切らしながら、家に向かって歩いて来たフィズを捕まえた。
「…ごめんなさい。」
フィズは、ブランデーに抱きついた。
「あたし…だめって言われてたのに…。他の人に会ったの。」
「誰に?」
「あたしと同じくらいの子供たちだったわ。ねえ、あたし、よくないことしたの?あたし、どうなるの?」
「…フィズ。もう、人里に下りちゃだめだよ。危険な所だって、あれほど言ったじゃないか。」
いつになく厳しい口調で、ブランデーは言った。
「ごめんなさい…。」
フィズは泣き出した。
「フィズ。その子たちと、口をきいたわけじゃないよね?」
「あたし、急に怖くなって逃げたの。とても、話しかけることなんか出来なかったわ。」
「そうか…。」
ブランデーは、何かを考え込むように腕を組んだ。
「フィズ。お前は特別なんだ。だから、他の人間に会ってはならない。これは約束だよ。いいね?」
「…でも、どうして?どうして特別なの?あたしが、皆と違うから?お父さんとお母さんの髪の毛は綺麗な金髪なのに、あたしは黒い髪…。それのせいなの?目の色だって、黒いし…。それが特別なの?」
「そういうことじゃないんだ。フィズ。お前の髪の毛も、目の色も、とても綺麗だよ。それはね、ここに住んでいる人たちとは別の血が流れている証拠なんだ。ローズはアトランティスの人だけど、僕とフィズは違うんだ。」
「え?あたしとお父さんは、アトランティス人じゃないの?」
「うん。僕はね、ムーという、ここからとても遠い国から来たんだよ。そこには、フィズのように、黒い髪と黒い目の人たちが大勢暮らしているんだ。そこに行けば、フィズは特別な人間なんて言われないんだ。ただ、このアトランティスでは、そうじゃない。ムーの人間と分かれば、怖い所に連れて行かれる。だから、ムーの人間の僕とフィズは、それを隠して暮らさなければいけないんだよ。」
「どうして怖い所に連れて行かれるの?ムーの人は、悪い人なの?」
「違うよ。アトランティスの人の考えていることが、僕らとは違うだけさ。ムーの人も、アトランティスの人も、悪い人じゃない。だけど、考え方が違うんだ…。アトランティスの人にとって、ムーの人は同じ人間じゃないんだ。…分かる?」
「なんとなく…。だって、あの子たち…あたしを見て、びっくりしてたもの。あたしも、びっくりしたけど。初めて他の人たちに会ったから。でも、あの子たちは、あたしの姿にびっくりしてたみたいだったわ。」
「…さあ、もう家に入ろう。とっくに夕食が出来てて、ローズが待ちくたびれてるよ。」
ブランデーはフィズの涙を手で拭い去り、そして微笑んだ。
「うん!」
フィズはブランデーの顔を見上げて、にっこりと笑った。
子供たちは、まだ、知らなかった。
大人たちの考え方を、理解していなかった。
話した後で、どうなるかなど、分かるはずもなかった。
不思議な出会いの話は、大人たちに疑惑を抱かせた。
黒い髪に、黒い瞳の少女。
噂に聞いていた通りだとすれば、それはムーの人間に違いない。
大人たちは、その少女を探し始めた。
ムーの人間には、賞金が懸けられていたのだ。
ムーの人間は、見つけ次第捕らえて、一人残らず施設に収容せよ。
それが政府の出した命令だった。
「あんな所に家があったとはな…。」
湖のほとりに立つ、小さな緑の屋根の家が見つかった。
五人の男たちが、草むらから、様子を窺っていた。
その家から出て来た子供と母親。
母親はアトランティス人と分かるが、子供の方は、黒髪だった。
「あれか!」
男たちは、子供の姿を確認すると、草むらから飛び出して、子供に向かって走った。
「何なの!?あんたたち!!」
咄嗟に、ローズはフィズをかばって男たちに背を向けた。
ドオオーーーン!
銃声が鳴り響いた。
「ローズ!?」
ただならぬローズの声を聞いて、家の中からブランデーが飛び出してきた。
「ちっ!間違って女の方に当たっちまった!」
銃を構えた男が言った。
ローズは背中を撃たれて、その場に倒れた。
「お母さん!」
フィズは泣きながら、ローズにすがりついた。
「殺すつもりはない。その子供はムーの人間だろう。こっちによこせ!」
「フィズ!家の中に入るんだ!」
ブランデーはローズを抱きかかえ、フィズを促して、家に逃げ込んだ。
「出て来い!その子供をよこせ!!」
ブランデーはローズを降ろすと、すばやく扉に鍵を掛けた。
ローズの背中から、ドクドクと血が流れ出していた。
ついに、悪夢が現実になってしまった。
ブランデーの頭は混乱した。
泣きじゃくるフィズを目の前にして、ブランデーは怒りと悲しみで混乱していた。
威嚇のための銃声がうるさく響き、扉を激しく叩く音。
銃弾が窓ガラスを貫通し、窓が割られた。
「早く子供を渡さないと、お前らも一緒に政府に売り渡してやるぞ!」
ブランデーは、ローズの心臓に耳を当てた。
かすかに脈打っている。が、急所に当たったのか、どんどんその音は弱っていく。
「ローズ!」
「…ブランデー…。フィズを…守って…。」
ローズの心音が途絶えた。
その瞬間、ブランデーの中の何かが失われた。
「お母さん!お母さん!!」
フィズは泣きながら、ローズの亡骸を何度も何度も揺すった。美しい寝顔のような死に顔だった。今にも起きて、いつものように明るく笑いかけてくれそうな顔。
「うあああああああーーーーーーーっ!!」
ブランデーは、心の底から叫び声を発した。
久しく使っていなかった、力が湧いてくる。
ブランデーの頭は、急に冷静になった。
――殺してやる。
扉を開けて、ブランデーは外へ出た。
ただならぬ気を感じて、男たちは思わず後ろへ下がった。
ブランデーはただ、立っているだけだった。
それだけで、そこから男たちに向かって、突風が襲い掛かった。
突風は竜巻に変わり、男たちは空高く飛ばされた後、地面に叩き付けられた。
そして鋭い刃のような風が、男たちの体をずたずたに切り刻んだ。
男たちは、まるで始めからその場にいなかったかのように、粉々になって、塵と化した。
「お父さん!」
ローズの声に、はっとブランデーは我に返り、フィズを抱きしめた。
「お母さんが…。」
「フィズ。何があっても僕がお前を守る!」
ブランデーは手から炎を生み出すと、家に向かって炎を放った。
「フィズ。祈るんだ。ローズのために。」
赤々と燃える家の前で、二人は祈りを捧げた。
ブランデーは目を開き、燃える家を見つめた。
ローズの魂が、炎と共に、自然へ還っていくのを感じた。
赤い炎がブランデーの瞳に映り、まるでブランデーの目が赤く光っているように見えた。
その赤い目から流れ落ちる涙も、炎に照らされて、赤い血のよう。
心に宿った炎。
「僕がフィズを守ってみせる。…もう、悪夢を現実にはさせない。」
家が灰に変わった頃、ブランデーとフィズはそこから消えていた。
あてのない逃亡の旅に出たのだ。
しかし、逃げ場など、どこにもなかった。
――フィズを守るためなら、何を犠牲にしてもいい。
例えそれが神に背くことであっても。
僕はこの命をフィズに捧げる覚悟だ。
愛する妻も帰る家も失い、ブランデーに残ったのは、我が子だけだった。
ポケットに入っていたわずかな所持金で、ブランデーはフィズを守るための帽子を買い、それをフィズに被せて、黒髪を隠してあげた。小さな女の子が被るのには大きな帽子で、目元まで隠れるくらいだった。これで、黒髪と黒い瞳を隠せる。
残った金で食料を買うと、無一文になった。
だが、駅の改札をすばやく通り抜けて、丁度やって来た列車にそのまま乗り込んだ。
ここから離れなければ。どこか遠くへ。
ブランデーは、アトランティスの施設から離れた辺境の土地を目指した。
フィズはずっと黙って、ブランデーにしがみついていた。
フィズにはブランデーしかいない。
そしてまた、ブランデーにもフィズしかいない。
二人はただ窓の外の景色が変わっていくのを見ていた。
このまま、ずっと列車が走り続けていればいいのに。
二人だけの世界に連れて行ってほしい。
誰にも邪魔されることなく、幸せだけが溢れた世界へ。
何故、人種が違うということだけで、苦しまなければならない。
人間に種類なんて存在しないのに。
何故、分かり合えない?
行く先々で、ブランデーは力を使い、時には人を殺した。
全てはフィズを守るために。
ブランデーにはそれしかなかった。
自分たちが生きるために。
フィズはそんなブランデーの汚い姿を知らなかった。
ブランデーが決して見せなかったのだ。
フィズの無垢な心を壊したくなかったから。
まだ幼いフィズは、ブランデーに守られるしかなかった。
しかし、フィズの純真な笑顔に、ブランデーは癒されていた。
その笑顔のためなら、何でも出来た。
追手から逃れ、辿り着いた場所。そこは人気のない、小さな工場の廃墟だった。
疲れ切ったブランデーには、力を使う余裕もなかった。
どこでもいい。休みたかった。
「ここなら、安全だろう。フィズ、ここで休もう。」
フィズは眠そうな顔をして、帽子をとった。
重い扉を開けてそこに入ると、中には鉄の檻が幾つも並べられていた。
丁度、犬が入れるくらいの大きさの檻だった。
檻は汚れていて、血がべっとりと付いたものもあった。中はどれも空だった。
「ほう…。ムーの民ではないか。」
突然声がして、驚いてブランデーはその方を振り返った。
そこには、白衣を着た男が立っていた。
「黒い髪に、黒い瞳。」
男はフィズを見て言った。
「ちっ!こんな所にまで…!」
ブランデーはフィズを連れて逃げようとした。
しかし、重い扉は既に固く閉ざされ、出るに出られなくなっていた。
「見た所、君はその子の父親のようだね。よく似ている。これは楽しみだ。」
男は、ククク、と低く笑った。
「私はビール。ムーの民の改造の研究をしている。」
太った大きな体のビールは、意外に素早い動作で、麻酔銃をブランデーに向けて撃った。
麻酔銃はブランデーの胸に直撃した。
「…フィ…ズ…!」
ブランデーはその場に倒れた。
「お父さん!」
「やはりか。その男はアトランティス人に見えるが…一体どういうことかな。」
ビールは、震えているフィズにゆっくりと近付いて来た。
「さあ、行こうか。ムーの民の家へ。」
ビールは不気味な笑みを浮かべた。
最悪な出会いだった。