魔源郷 第32話「妹」
第32話「妹」
文字数 4,719文字
フィンは二十歳になっていた。
最早父親に劣らぬほどの優れた神官となり、若くして周囲の尊敬を受ける立場にあった。
何事にも動じない精神力の強さ。それが神官としての優秀さを示していた。
「そろそろ、フィーネの顔を見に行きたいな…。あれからもう、八年か…。」
フィンは、一時も妹のフィーネを忘れたことはなかった。
二人は、離れ離れになってからずっと、手紙のやりとりを続けていて、時々、フィーネが会いたいと手紙に書いてきたりした。
しかし、修行中の身で、勝手な行動は許されない。家族に甘えることなど、もってのほか。それをフィンは知っていて、ずっと耐えてきたのだった。
「フィン。妹に会いたいだろう。会って来なさい。お前はもう、一人前だよ。」
父親がフィンの気持ちを察して言った。
「しかし…。」
「いいんだよ。お前はもう、お前の道を行きなさい。お前はもう、十分耐えた。神官だって、たまには息抜きが必要だよ。」
父親は微笑んだ。
「ありがとうございます!」
フィンは明るく笑った。
一日だけ、家に帰ることになり、フィンは荷物をまとめていた。
「明日、フィーネと母さんに会える…。」
フィンの顔が、自然と綻んだ。
フィーネは、フィンからテレパシーを受け取った。
フィーネは霊力を一切持たないが、フィンからのテレパシーだけは受け取ることが出来た。
(明日、家に帰ることになった。ようやく会えるね。)
フィーネは嬉しくなった。と同時に、不思議な動悸がしてきた。
手紙のやりとりはしていたものの、今、フィンがどんな姿になっているのかは分からない。
フィーネは胸に手を当てて、フィンの姿を思い描いた。
(フィン…!)
翌日のことだった。
突然、空に出現した巨大な飛行物体。
それは楕円形をしていて、銀色に輝いていた。
人々は驚き、動きを止めた。
何か嫌な音がその物体から放たれていた。
驚いて見守っていると、飛行物体は、ゆっくりと広い草原に着陸した。
着陸すると間もなく、銀の扉が開いて、中から人がぞろぞろと出て来た。
皆、ムーの人とは違う金髪と褐色の肌をしていた。
彼らは皆同じ黒い服<鎧>を着ていた。
彼らは手に、ムーの人たちの知らない黒い物<銃>を持っていた。
その黒い物からは、何か恐ろしいものが感じられた。
彼らは銃を持って、ムーの人々に近付いて来た。
「我々はアトランティスから来た。」
彼らの一人が言った。
「これからお前ら、ムーの民をアトランティスへ連行する。抵抗する者は殺す。」
そして、銃を空に向けて発砲した。
ドオオーーン
不快な轟音が響き渡った。
人々はその音を聞いて、すぐに危険を察知した。
しかし、「戦争」の概念がないムーの人々には、抵抗する術がなかった。
人々はただその場から逃げるしかなかった。
だが、幾多の戦争を経験してきたアトランティスの兵士は機敏だった。
逃げ惑う人々を次々に捕らえ、飛行船の中に収容していった。
アトランティスの兵士たちは、ムーの地の方々に散って行った。
アトランティスによる、ムーの民狩り。
悪夢の始まりだった。
不気味な飛行物体出現の知らせは、神殿にも伝わっていた。
フィンは、荷物を抱えて、神殿を出ようとしている所だった。
母と妹に会うために。
だが、突然起こった事態に、神官たちは全員集合させられた。
「何が起ころうとも、心を乱してはならない。」
フィンの父、大神官長は穏やかに言った。
「我々の神殿には、結界が張ってある。ここには、我々以外は入ることは出来ない。」
「だったら、ムーの人たちをここへ…。」
一人の神官が言った。
「それは出来ない。一人をここへかくまえば、全員をかくまわなくてはならなくなる。この神殿は、ムーの民全員が入れるほど広くない。それは出来ない。」
大神官長は冷静な口調で言った。
「我々がすべきことは、祈ることのみ。全ては流れのままに。変化していく。それを止めることは出来ない。運命に逆らうことは出来ない。これは試練なのだ。我々は何が起ころうとも、耐えなければならない。さあ、祈るのだ。我々の祈りが、流れを良い方へと導くかもしれない。」
神官たちは、祈り始めた。
(フィーネ…母さん…。)
フィンの心は、いつになく乱れていた。
せっかく、今日会えるはずだったのに。
突然の来訪者に、再会を邪魔された。
「フィン…。」
大神官長が目を閉じたまま、フィンに呼び掛けた。
「心を乱すな。」
「…分かっています…。」
フィンは、心を鎮めようとした。
だが、心に浮かぶのは、母の顔と、十二歳だったフィーネの顔。
消そうとしても、消えない。
消そうとすればするほど、不安が生まれてくる。
フィーネの笑顔。
フィンの不安は高まる一方だった。
「アトランティスは、我々ムーの民をアトランティスに連行すると言っていました。そして、抵抗する者は殺すと脅しています。実際、何人か既に殺されました。彼らは武器を持っています。」
情報を探っていた神官の一人が、知らせを伝えに来た。
「…私の家族も捕らえられました。何をするつもりなのかは分かりませんが、彼らはムーの民を全員捕らえるつもりのようです。人々を捕らえるために、家を破壊したりと、町は滅茶苦茶にされています。さすがにこれは酷い…。」
彼は、悔しさを堪えているような表情だった。
「大神官長。実は、大神官長の家族も捕らえられました…。」
「分かった。ご苦労。」
大神官長は顔色一つ変えずに、それだけを言って、祈りの部屋へと戻った。
二人の会話を、フィンは物陰から密かに聞いていた。
――家族が…母が、フィーネが…!
ドクン、と心臓が高鳴った。
フィンの心は乱れた。今すぐに、助けに行きたい。
だが、自分に何が出来る?
ここで祈っているしか方法はないのか。
フィンは、冷静になろうと努めた。
だが、家族を想う心の方が、それを上回っていた。
「乱れた心は、破壊しか生まない」
父の言葉を思い出した。
しかし、家族をさらわれ、心を乱さないわけにはいかない。
フィンの心は傾いた。
ここで、ただ祈ることが、人としてすることなのか?
家族を助けに行くのが、人としてすべきことじゃないのか?
迷いながらも、フィンは、祈りの部屋へと戻った。
ほぼ全てのムーの民が、アトランティスへと連行され、施設に収容された。
ムーの人々は、大きなだだっ広い部屋に幾つも並べられた、狭い牢屋に押し込められて、人間としての扱いをされなかった。
全裸にされ、身体検査をされた後、脳まで調べられ、様々な検査が行われた。
その後ムーの人々は、グループに分けられ、アトランティス各地にある研究所に、グループごと送られた。
「お前らは価値なしだ。」
そう言われたグループはどこにも送られず、すぐにその場で処刑された。
フィンの妹のフィーネは、どこにも送られず、施設の地下室に入れられていた。
「お前にも価値はない。潜在能力の欠片もないからな。だがしかし、お前のその姿は変わっている。他のムーの民とも違う…。その銀の髪…。」
アトランティスの科学者は、興味深そうにしてフィーネを観察した。
「ある古文書にこうあった…。人類の祖先は、銀色だった、と。その名残なのかねえ?とにかく、君はその点で研究対象になり、処刑をまぬがれたわけだ。」
「天罰が下るわ!」
フィーネは叫んだ。
「いつか、必ず、あなたたちに…。こんなことをして、何になるというの?あたしたちは人間よ!あなたたちと同じ、人間なのよ!」
「同じではない。君たちは野蛮人だ。一緒にしないでもらいたい。」
科学者は、見下した目でフィーネを見た。
フィーネはそれ以上、何も言わなかった。耐えていた。
――フィン。
フィーネも、フィンとの再会を楽しみにしていた。
それなのに、突然やって来た飛行船に連れて行かれ、訳の分からないままこんな所に押し込められて。母親とも、引き離された。どこにいるのかも、分からない。アトランティス人の考えが、まるで分からなかった。
――フィン。会いたい。
フィーネはそれだけを想った。
アトランティスの科学の最高責任者、それがビールという男だった。
ビールは、人を死なない体にする「永遠の命」の方法を求め、ルビーという地にある研究所で研究を行っていた。
今日、そこに送られて来たムーの民がいた。
彼は、憔悴しきった表情で、目は虚ろだった。
牢屋に投げ込まれると、彼は膝を抱えて、何かをぶつぶつと呟き始めた。
「今頃になって来るとは、お前、相当逃げ回ってたんだな。」
向かい側の牢屋から、一人の若い男が彼に声を掛けた。
「フィズ…。」
彼は、かすれた声でそれだけをぶつぶつと呟いていた。
ブランデーだった。
「フィズ?」
「娘…。僕が…守ると…約束したのに…。」
「娘を連れてかれたのか。ここに来た以上、もうじたばたしてもどうにもならないぜ。何しろ、俺たちはこれから、化け物に変えられるんだからな。」
男は鋭い目を光らせて言った。
「化け…物…?」
「ビールが言ってた。俺たちは、人間を超えるすごいモノになるんだとさ。…吐き気がする。あいつの顔を見る度に。あいつは俺たちを人間と思ってない。ただの実験材料のモノとしか見ていないんだ。」
「僕は…どうでもいい…。フィズさえ…無事なら…。僕はどうなってもいい…。」
「娘のことは諦めた方がいい。」
「諦めるものか!」
ブランデーは強く言って、両手で鉄格子を握り締めた。
「ぐああっ!」
突然ブランデーの体に電流が流れ、ブランデーは鉄格子から手を離した。
「そいつに触れると感電するんだ。俺たちの力を封じるための仕掛けらしい。」
「くそっ!」
ブランデーの手は痺れていた。
「…俺の名はジンジャー。お前は?」
「僕はブランデー。」
「そうか。お互い、化け物になる日まで、せいぜい仲良くしようじゃないか。」
「僕は絶対に…フィズを助ける…。」
ブランデーはそう言ったかと思うと、疲れたように、床に倒れ込み、眠り始めた。
それをジンジャーは、鋭い目で見つめていた。
「父さん!」
フィンは、父親である大神官長に詰め寄った。
「母さんと、フィーネが捕まったんでしょう!?何故平然としていられるんです!」
「私は神官だ。心を乱してはならない。分かっているだろう、フィンよ。」
大神官長の表情はいつもと同じで、穏やかだった。
「でも…!」
「…お前は既に理解していると思っていたのだが…。神官になったその瞬間から、お前は自らのために生きることは出来ないのだ。我々神官はムーの神々のために生きる。森羅万象の流れに従い、生きる。これが定めなら、従うしかないのだ。」
「父さんは、何とも思わないのですか!家族をさらわれて、何にも感じないのですか!?神官としてではなく、人間として!!僕らの家族だけじゃないのですよ!今、どんどんムーの人々が連れ去られていってます!!…自分たちだけ安全な場所にいて、何が神官だ!!」
「フィン。今、言っただろう。私は神官として生きる人間だ。お前も。何事にも心を乱されてはならない。その乱れが、破壊を生むのだ。心には、光と闇の部分がある。闇に捕らえられたら最後、心は闇に侵され、壊れてしまう。決して、乱されてはならないのだ。」
大神官長は、フィンに言い聞かせるように言った。
だが、フィンの心は既に、乱れていた。
「フィン。乱されるな。耐えろ。」
「とても耐えられません!父さんは人間じゃない!!」
フィンはそう叫んで、神殿を飛び出して行った。
「…定めなのか…。フィンがこうなるのは…。私にも、止めることは出来なかった…。」
大神官長はどこか悲しげに、呟いた。