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第29話「誓い」

 フィンは、来たばかりの神殿をうろうろしていた。
 神官たちに連れて来られ、小さな個室を与えられ、衣服を着替えた。その後は、特に何の指示もなく、退屈だったので、神殿の中を見て回ることにしたのだが、広い神殿の中で、早速迷ってしまった。
「あら、あなたが神官になった子?」
 フィンに声を掛けてきたのは、フィンよりも少しばかり年上の少女だった。
「うん…。」
 とまどいがちに、フィンは答えた。
「私はソランジュ。私も今日から神官になったの。あなたは…?」
「僕はフィン。12歳。」
「へーえ!12歳で神官に!?私は14歳だけど、これでも早い方だと思ったんだけどなあ。そういえば、どこかの神殿にも、12歳で神官になった子がいたって聞いたことがあるわ。名前は分からないけど…。すごいわねえ…。」
 ソランジュは、優しい顔をしていた。真っ白な肌に、黒くて丸い目と黒い髪。ふっくらとした頬は少し赤みがかっていて、そばかすがあった。
「僕…ここに来たばっかりで…。友達もいないし…。どうしたらいいのか分からないんだ。」
「それなら、私と友達になりましょう。私もちょうど、友達を探していたの。お互い、修行頑張りましょうね。何かあったら、私に相談して。」
「ありがとう。…早速なんだけど、迷っちゃって…。」
「あらあら。実は私もなのよね…。」
 ソランジュは苦笑いした。
「近くに他の神官さんがいないか探してるんだけど…。ここって広いから、歩くだけで疲れるわね。これも修行の一つなのかしら?」
 柔らかいソランジュの声は、フィンの心を穏やかにさせた。
「じゃあ、僕も一緒に探すよ!そのうち誰か見つかるよ、きっと。」
「そうね。」
 二人は笑い合った。

 神官の証である白い服を着て、腰紐をきゅっと縛ると、フィンは、心が引き締まる思いがした。
 服は新しくて清潔だったが、足に履いているサンダルは、家から履いてきたままで、ぼろぼろだった。しかし、フィンは渡された新しいサンダルを履こうとはしなかった。
 朝の礼拝の時間になり、フィンは部屋から外へ飛び出した。目的地は、神官たちが集う「礼拝所」。しかし、またしても迷ってしまった。
 困惑していると、遠くからソランジュが走ってくる姿が見えた。
「あ!ソランジュ!」
 フィンは笑って手を振った。
「フィン!早く行かないと、遅れちゃうわ!…寝坊しちゃって…。」
 はあはあと、息を切らしながら、ソランジュはフィンの前で立ち止まった。
「僕、また迷ってしまったんだ…。礼拝所って…どこだっけ?」
「そう思って、地図を描いておいたのよ。」
 ソランジュは少し得意気に、自作の地図を取り出した。
「うわあ!すごいや。これなら分かりやすいね!」
「でしょー?さ、早くしないと!行きましょ!」
 ポンとフィンの背中を軽く叩いて、ソランジュは走り出した。
「あっ!待って!」
 その後を、フィンは急いで追いかけた。
 しかし、突然サンダルの紐が切れて、フィンは転んでしまった。
「いたたた…!」
「フィン!?」
 ソランジュがフィンのもとへと戻ってきた。
「大丈夫?」
「うん…ちょっと膝をすりむいただけ…。」
「まあ…サンダルがこんなにぼろぼろになって…。昨日、渡された新しいサンダルは?」
 ソランジュは驚いたように言った。
「だって…こっちの方がいいんだもの。ずっと履いてたから。」
「だけど、もうぼろぼろじゃない。」
「うん。でも、家から持ってきた物だから…。」
 フィンの目から、涙が零れ落ちた。
「フィン…。寂しくなったの?」
「ううん。寂しくなんかないよ。寂しくなんかない…。僕の夢が叶ったんだもの…。」
 ソランジュは、優しくフィンを抱きしめた。
「私もね、本当は寂しいの。分かるわ。その気持ち。フィン、我慢しないで、私には言っていいのよ。…一緒に頑張っていこうね。」
「ソランジュ…ありがとう…。」
 それからフィンはぼろぼろのサンダルを握り締めて、ソランジュと共に、裸足で礼拝所へ向かった。
 礼拝所の扉の前に来ると、フィンは、ぼろぼろのサンダルを履いた。礼拝所には、裸足で入ることは許されていないのだ。フィンはすり足で礼拝所の中に入っていった。
 そこには、ずらりと神官たちが勢揃いしていた。円形に並んでいて、フィンとソランジュは隠れるようにして端の方に並んだ。
「時間は守るように。」
 円形の中央の台座の上で、フィンの父である、大神官長が静かに言った。
「すっ、すみません!!」
 思わずフィンは大声で謝った。
 数人の神官が、びっくりしてフィンを見た。
「…フィン。声を出さなくていいのよ。頭を下げればいいの。」
 ソランジュが頭を下げたまま、恥ずかしそうにしてフィンに言った。
 フィンも、慌てて頭を下げた。
「…では、朝の礼拝を始めるとしよう。」
 大神官長が厳かに言い、目を閉じ手を合わせて祈り始めた。
 それに続いて、神官たちも同様に祈り始めた。
 フィンも目を閉じて祈り始めた。
 心に浮かぶのは、母と妹の顔。
 祈りながら、涙が頬を伝ってきた。
 朝の礼拝が終わると、食事の時間だった。
「フィン。一緒にご飯食べに行きましょう。」
 礼拝所を出てきたフィンに、ソランジュが声を掛けた。
「うん。」
 フィンはぼろぼろのサンダルを脱いで、裸足になった。
「でもその前に、サンダルは新しいのを履いた方がいいわ。裸足でうろうろしてると、怒られるかも。」
「そうだね。」
 フィンは部屋に戻ると、ぼろぼろのサンダルを袋にしまって、新しいサンダルを取り出して履いた。
「じゃあ、行こう。」
 外で待っていたソランジュに、フィンは明るい声で言った。
「僕、もう寂しくないよ。だって、友達が出来たから。」
「そうね。私も。」
 ソランジュは、フィンの手を握った。フィンは手を握られると、頬を赤らめて、嬉しそうに笑った。
「ずっと、ずっと友達でいようね。フィン。」
 ソランジュは優しい微笑みをフィンに向けた。

 突然のことだった。
 ソランジュが死んだ。
 神殿の階段から足を踏み外して、そのまま息を引き取った。
 フィンがソランジュと知り合ってから、わずか二週間での出来事だった。
 葬式が営まれ、ソランジュは綺麗に棺の中に納められ、墓が作られた。
 葬式が終わると、神殿は、何事もなかったかのように、いつもの風景に戻った。
「ソランジュが、死んだんだぞ!」
 フィンが、泣きながら声を荒げた。
「何で皆そんなに冷静でいられるんだ!」
「フィン。悲しみのあり方は、人それぞれだよ。涙を流さずとも悲しんでいる者もいる。ただ、お前はまだ子供だから、自分を抑えられないだけなんだよ。いいかい?フィン。悲しみは、人を強くする。友達を失って、お前は悲しい。けれど、それでお前は死というものを知ったんだ。死の怖さ、悲しさ。それを知って、お前は成長する。ソランジュの死は、お前に命の大切さを教えてくれたはずだ。悲しみを乗り越えたとき、お前は成長しているだろう。自分の命の大切さと、他人の命の大切さを理解し、お前は命の尊さを知るのだから。」
 優しい口調で、フィンの父親は言った。
 フィンは涙を拭き、その言葉に頷いた。
「僕、ソランジュの分も生きるよ。ソランジュは、僕に優しくしてくれた。僕は、一生、ソランジュを忘れない。だから、僕は生きるんだ。」
「そうだよ、フィン。お前はもっと、強く生きるんだ。」
 フィンは、花束をソランジュの墓に捧げ、自らの心に誓ったのだった。
 永遠に、忘れない。
 友の死を。
 強く生きる。
 フィンは誓った。

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