第28話「秘密の絆」
「えーっと、あんた、ブランデーだっけ?」
目の前の少女は、好奇心に満ちた目でブランデーを覗き込んでいた。
「どっから来たの?」
その質問を、何度も繰り返してくる。
ブランデーは、医者に診てもらった後、栄養失調とのことで、しばらく病院で休養することになったのだった。
「…覚えてないんだ。」
ブランデーは少女の目から顔をそらして言った。
「ふーん…。記憶がないんだ…。でも、自分の名前は覚えてたんだよね。それじゃすぐ思い出せるかも。あたし、気になるんだー。だって、なんか物語の始まりみたいじゃん。浜辺で倒れてた記憶を失った男を助けた美少女。ロマンチックじゃない?」
「美少女…?」
ブランデーはちょっと呆れたように、ローズを見た。ローズは今の言葉を聞いてはいないようだった。何かの妄想に浸るかのように、遠くを見るような目つきをして。
「あんたの記憶、絶対突き止めてみせるわっ!」
ローズは張り切った顔つきで、ブランデーを見つめた。
(なんかとんでもない子に助けられてしまったな…。)
ブランデーは困ってしまった。
なんとしても、ムーから来たということだけは、隠さなくてはならない。幸い、髪の毛がアトランティス人の特徴と同じ金髪だったことで、ムーの民だとは気付かれていない。あとは、力を使わなければいいだけだ。一般のアトランティス人には、力はないのだから。
「ねえ!どうせ行くあてもないんでしょ。だったら、あたしの家に来てよ。父さん母さんとあたしの三人暮らしだから一人増えたってどうってことないよ。ね!そうしなよ。」
ローズがにっこりと笑って言った。
「…いいのかい?」
そうするしか他になさそうだった。
病院から退院して、ブランデーはローズの家で暮らすことになった。
まずブランデーは、ローズの家の中にある、見たことのない物の数々に内心、驚いた。
ムーにはない、様々な機械。
ローズの家が特別お金持ちというわけではなく、これが普通らしかった。
テレビという、映像を映し出す機械。そこに映っている映像に、ブランデーは見入った。
そこには、巨大な船のようなものが映っていた。
「今、ムーの土地を探すためとかって、飛行船が作られてるでしょ。ムーって、アトランティスの船の技術でも、未だに探し出されたことがないのよ。」
ローズが、テレビを見て言った。
それはそうだ、とブランデーは思った。
ムーの土地は、容易に外界から侵入出来ないような造りになっている。岩が土地をぐるりと囲み、海岸や浜辺などはない。ムーから外へ出るとき、ブランデーは何百メートルもある崖から飛び降りて来た。それは、力が使えたから出来たことであり、普通では出来ない芸当だ。船ではとても、ムーには入ることなど出来ない。空からなら、確かに入ることは出来るだろうが。
「ムーの土地には黄金があるだとか何とか言って、躍起になってるみたいだけど、あたしには理解出来ないわ。どんな所なのか、興味はあるけど、そこにあるものを取り上げたりするのはよくないことだと思う。ムーの人たちだって、迷惑じゃないかしら。無理矢理外から扉をこじ開けられたら、誰だって嫌な気分がするでしょ?政府がやろうとしてるのは、そういうことよ。」
ローズは顔をしかめて言った。
「君は…ちょっと変わってると思ってたけど、意外に常識的なんだね。」
ブランデーが、感心したように言った。
「え?あたしが常識的?…初めて言われたわ。そんなこと。あたしって、他の人たちからは、変な子って思われてるみたいだけど。ブランデーも変ね。いきなりそんなこと言って。ふふふ…。」
ローズは笑った。
「こら、ローズ!また変なこと吹き込んだりしてないだろうね?ブランデー君がいくら記憶喪失だからって、おかしなことは言わないでよ。」
そこへ、ローズの母親がやって来て言った。
「何よ。今、あたしたちはムーについて語り合っていたのよ。あたしが常識的だって。」
「ブランデー君、この子の言う事はあんまり真に受けないでね。この子ったら、たまに危険な発言するからさ。」
母親が、苦笑いを浮かべながら言った。
「何が危険なのよ!こんなでっかい飛行船作るんなら、あんな背の高いビルなんか壊して、木をいっぱい植えるべきだわ!アトランティスの政府のやることは間違ってる!」
「こら!またそんなことを…。」
内心、ブランデーはローズの発言に頷いていた。
テレビに映っている景色。空を突き刺すように建つ、高い建物の群れ。それは、ブランデーには何かよくないものに見えたのだ。ムーとは大違いだ。自然の姿じゃない。人の作ったものに溢れた世界。これがアトランティスなのか…。
ローズの家は、農業を営んでおり、農作物を育てて暮らしていた。
ブランデーは自ら進んで、農作業を手伝った。
「よくやってくれる。ブランデー君は、とても働き者だよ。」
ローズの父親は、ブランデーを気に入ったようだった。
「そうね。ブランデー君が早く記憶を取り戻してほしいとは思うけど、それはそれで、寂しいわよね。ずっとここにいてほしいわ…。」
ローズの母親も、ブランデーを気に入っており、数週間が過ぎた今では、ブランデーは息子も同然の扱いを受けていた。
「そうなると、ブランデー君がローズと結婚するしかないなあ!ハハハハ!」
父親が冗談交じりに言ったのを、丁度そこへやって来たローズが聞いて言った。
「なーに言ってんのよ。ブランデーはね、ずっとここにいるような奴じゃないんだから!夢があるって。ブランデーは世界旅行がしたいって言ってたもの。あたしとはスケールが違うのよ。あたしは、ずっとここにいて、畑を耕したり、花を育てたりして、慎ましく暮らすの。それがあたしの理想の生き方。」
「そうか。それを聞いて、父さん安心したぞ。」
父親はにっこりと優しく微笑んだ。
「そうなの…。ブランデー君にはそんな夢があったなんてね…。」
母親は、窓の外のブランデーを見つめた。ブランデーは、木陰に座って、本を読んでいた。
「あたしが夕方の海辺を散歩するのはね、何も意味がないわけじゃないのよ。」
ローズがブランデーに言った。
「何故なんだい?」
「夕方の海辺が好きなの。特に夕焼けの海辺。空が、オレンジや赤やピンクや紫色が混じり合って、すごく綺麗なの。そこへ波の音が響いて、心が安らぐの。テレビの音とは大違いの自然な音だわ。美しいの。自然の音。それが心地いい。だから、夕方の海辺を散歩するのが日課なのよ。」
ローズは確かに、他のアトランティス人とは、考え方が少し、変わっていた。ムーの人間に近い思考を持っているといえた。そのせいか、ブランデーは、ちっとも、他民族であるローズとの距離感を感じなかった。
時々、ローズに自分の秘密を打ち明けたくなることがあった。ローズになら、打ち明けても大丈夫な気がした。だが、もし打ち明けてしまったなら、どうなるのだろう。それが怖くて、言い出せなかった。
自分を信頼してくれている人たちに、記憶のないふりをしている、嘘をついている。それが苦しかった。しかし、ムーの民であることがばれたら、どうなるか分からないのだ。
そんな日々が数か月続いた。
迷いの中で、ブランデーは、ローズの家を去ることを決めた。
夜。ブランデーは置き手紙を残して、家を出た。
見送られるのは、悲しくなるから、一人で出て来た。
「どこへ行くの?」
眠そうな目を擦りながら、ローズが外に出て来た。
「…ローズ。僕はここを出て行くよ。今までありがとう。楽しかった。さよなら…。」
「何言ってるのかさっぱり分からないわ。」
ローズは目を見開いて強い調子で言った。
「恩知らず!勝手にどこに行くのさ!それも、こんな夜中にコソコソと。」
「だって…。」
「何か悩んでるんでしょ。どうして何も言ってくれなかったの?一人で悩んでないで、あたしに相談しなさいよ。ここを出て行くのは早すぎるんじゃない?」
「…言えないんだ。」
「どうしてよ?」
「怖いから。」
「何が?」
「……。」
「黙ってないで何とか言ってよ。」
「…僕は記憶喪失なんかじゃないんだ。君たちに、ずっと嘘をついてた…。」
「どうして?」
「僕は…ここの人間じゃないんだ…。」
「何だ。そんなこと?そんなこと気にしてたの?」
「え…?」
「別にどこから来たのかなんて、どーでもいいことよ。そんなことで悩んでたの?」
ローズは微笑んだ。
「…でも…。」
「あたしはブランデーがどこ出身かなんて、どーでもいいのよ。記憶がないとかだって、嘘って分かって安心したわ。良かった。本当のことを言ってくれて。嬉しいよ。本当はね、記憶がないなんて、嘘じゃないかって思ってたのよ。」
ローズは悪戯っぽい目でブランデーを見た。
「でも、ローズ…。これは…本当に…その…大変なことなんだよ…。僕は…アトランティスの人間じゃないんだ…。」
「ふうん…。」
ローズの顔が、真剣になった。ブランデーの心臓はドキドキと高鳴っていた。
「僕は…ムーから来た。ムーの人間なんだ…。」
ブランデーは、顔を背けた。ローズの顔を見られなかった。
「すごい!」
ローズが、目を輝かせて言った。
「え…?」
思わず、ブランデーは顔を上げて、ローズの顔を見た。ローズは、にこにこと微笑んでいる。
「あたし…ムーの人と友達になっていたのね…。」
「…イヤじゃないのかい?」
「どうして?外国人と友達になれて、イヤなわけないじゃない。嬉しいわ。…だけど、ムーの人
はアトランティスに狙われてる。だから、あたし、言わないわ。それだけは分かってるから。いくらあたしがバカでも、それくらいは分かるわ。ブランデーがそのことを恐れてるってことくらい。」
「ローズ…。」
「本当のことを言ってくれたのが、あたし、すごく嬉しい。ブランデー、大丈夫よ。秘密は絶対に守るわ。あたしを信じて。」
「ローズ…。」
ブランデーの目から、涙が溢れ出した。今まで抑えてきたものが、溢れ出てきたかのように。
「どうして泣くの。ブランデー。ねえ、出て行かないで。ここにいて。あたし、あんたがいないと寂しいよ。お願い。行かないで。」
ローズは、ブランデーに抱きついた。
「うん…。」
ブランデーは小さく頷いて、ローズを抱きしめた。
この秘密が、二人の絆をより深めることになったのだった。
そして、数年後。
ブランデーとローズは結婚した。
このとき、ブランデーは18歳、ローズは17歳だった。
すぐに二人の間に娘が生まれ、名をフィズと名付けた。
それから数年は、幸せな日々が続いた。
ブランデーは秘密をローズと分かち合いつつも、アトランティスの人間として、違和感なく溶け込んでいた。
そんな日々が、永遠に続くかに思われた。
だが、間もなく、アトランティスの飛行船が完成の時を迎えようとしていた。