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魔源郷 第26話「人魚の話」

「フィン…。」
 アリスの声が聞こえた。
 長い悪夢を見ていた。
 アリスの手が温かい。
「フィン…大丈夫?うなされてたみたいだけど…。」
「アリス…。ジンジャーとテキーラは…?」
「え?そこにいるじゃない。」
 ジンジャーもテキーラも、普段通り、そこにいた。生きていた。
「夢か…。」
 だが、何か引っかかるものがフィンにはあった。
「…あいつは?」
「ラムのこと?さあ…。」
「僕はここにいるよ。」
 いつの間にか、フィンの背後にラムが立っていた。
 フィンは、ラムを睨み付けた。
「何さ?いきなり睨み付けるなんて。僕、何かまた変なこと言った?」
「お前は…何者だ?」
「え?何言ってんの?分からないから困ってるんじゃないか。ブランデーにそっくりだけど記憶のない男。それが今の僕だろ?」
 フィンは、ラムをしばらくの間じっと、睨み付けていた。
「フフフ…。そんなふうに睨み付けられた方が、無視されるよりずっといいさ。」
「今度はアクア研究所だ。そこがここから一番近い。」
 ラムから視線を離して、唐突にフィンが言った。
「そこに行ってみよう。ま、そこだってもうただの廃墟だろうが。廃墟探索といこうじゃねーか。」
「これで目的地が定まったな。」
 ジンジャーが言った。
「アクアは…確か人と魚を組み合わせて、人魚を作っていた所だ。人魚ってーと、綺麗なもんを想像しがちだが、実際はグロいだけだ。人間の下半身を魚の体にしちまったんだからな。人魚は、泳ぐことは出来ても、陸上では歩くことも出来ず、物好きな人間たちに散々なぶり者にされたんだ。」
 フィンが説明した。
「酷い話ね…。」
 アリスが悲しそうに言った。
「フィンは人魚に会ったことがあるのかい?」
「昔のことだ。」
「フィン。俺は人魚なんて会ったことはないな。人魚も、バンパイアに次いで数少ない魔物だと聞いていたが。」
 ジンジャーが言った。
「記憶が曖昧でな…。細かいことは覚えていないが、女の人魚だったな。名前は確か…シーラ。」
「へー。道すがら、どんな出会いだったのか話してよ。退屈しのぎにいいじゃん。」
 ラムが興味深そうに言った。

 夜の酒場で、微小な魔物の気配を感じ、フィンはその方向を振り返った。
 そこには、二人の人がいた。
 一人は若い男で、後ろで一つにまとめた長い白髪に、青いバンダナを頭に巻いていた。その目は鋭く、油断のならない顔つきをしていた。腰には短剣を二本装備している。
 もう一人は車椅子に座っていた。足先まで隠れるくらいに長い厚いコートを着ており、顔は深いフードで隠れていて見えなかった。こちらが魔物だとすぐに分かった。
 フィンは、その二人に近付いて行った。
「何だ?」
 男がフィンを睨み付けたが、お構いなしに、フィンはいきなりもう一人の方のフードを上げ、その者の顔が露わになった。
 透き通るほど青い目に、長い金髪、赤い唇。輝くほどの美しい女だった。
「やめろ!」
 男は急いで女の顔をフードで隠した。
「てめー!何のつもりだ!」
 男はフィンを睨み付けた。その表情は焦っているようにも見えた。
「確認したかったんだ。こいつは…魔物だな。」
「違う。いきなり何言ってんだ?」
「俺は魔物の気配が分かるんだ。別に殺す気はない。」
「…何者だ?ただの猟師じゃねーな。」
「俺は魔物を浄化するために猟師として旅をしている。魔物を浄化すれば、魔物は苦しみから解放される。」
「…浄化?苦しみから解放されるって…元に戻るのか…?」
「そうじゃない。消えるんだ。殺されて死ぬのではなく、安らかに死ぬと言ったらいいかな。」
「確かにコイツは魔物だ。」
 男は言った。
「だが、消すってんなら、それは断る。」
「何故だ。」
「……。」
 男は答えなかった。
「私は苦しんでなんかいません。」
 澄んだ女の声がした。
「私はこの人に助けてもらったんです。だからこうして生きていられるのです。私は満足しています。」
「そうか。余計なお世話だったな。お幸せに。」
 フィンはそう言って、その場から立ち去ろうとした。
「その女!人魚だろう!」
 そこへ、一人の大柄な猟師がやって来た。
「見たぞ。その美しさは人魚に違いない!」
 そして、逞しい手で女の腕を引っ張った。
「やめろ!」
 男が剣を抜いた。
 女は腕を引っ張られて、車椅子から落ちて倒れ込んだ。足元がめくれて、魚の尾のようなものが見えた。
「やはりな!この女は人魚だ!!」
 勝ち誇ったように、猟師が叫んだ。
「くそ!」
 男は猟師に向かって剣を振りかざした。大男の猟師の前では、その男は小さな子供に見えた。大男は、大きな手で男を突き飛ばし、剣も男の手から離れて飛んでいった。
「ははは!!こいつは高く売れるぞ!!」
 だが、次の瞬間、大男の顔は醜く歪んで、ドスンと大きな音を立てて倒れた。
 大男の背後に、先程突き飛ばされたはずの男が立っていた。
「てめえ!」
 大男は立ち上がって男に反撃しようとしたが、背中の鋭い痛みに、思わず声を上げた。
「うぎやあああーーーっ!」
 大男の背中には、深く鋭く大きな赤い傷が綺麗に一筋、つけられていた。
 いつの間にか、大男の背後に回った男が素早く斬ったのだ。
「そいつに触れるな。触れたら、てめーを殺してやる。」
 男の灰色の目が、野獣のごとく光った。
「この、白髪ヤローが!!」
 大男は屈辱と敗北心でやけになりながら、男に襲い掛かっていった。
「それ以上はやめるんだ。」
 フィンが、大男と男の間に割って入った。
「うっ…。」
 突然、大男の顔は恐怖の色に染まり、慌てて逃げ出した。
 フィンの体から放たれている、異様な殺気。それが大男を恐怖させたのだ。
「お前…一体…。」
 男はあっけにとられたように、フィンを見ていた。
「悪かった。俺のせいで、厄介なことに巻き込んじまったな。」
 フィンはすまなさそうにして謝った。
 酒場は騒然となっていた。
 三人は、酒場から逃げるように飛び出した。

「私はシーラといいます。この人はラーク。先ほどはありがとうございました。」
 車椅子に座った女は、フードを取って、美しい目でフィンを見て頭を下げた。
「いや、礼なんか言う必要ないさ。俺があんたの正体を探ったせいで、他の猟師にかぎつけられてあんなことになっちまったからな。」
「まさか二人も猟師がいたとはな。だが何にせよお前には助けられた。あの大男、俺たちを気にしてたみたいだったからな。お前が来る前から。」
「人魚は初めて見る。しかしあんた、大変そうだな。」
「別に。」
 ラークという男の返事は、そっけなかった。
「さて…と。俺は今夜の宿を探さないとならんので、これで。」
 立ち去ろうとするフィンに、人魚のシーラが声を掛けた。
「待って下さい。宿でしたら、私たちが既にとってありますわ。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
「シーラ!」
「いいじゃない。あの人はいい人だわ。お礼に何かしてあげたいのよ。」
「…いやあ…それはありがたいが…。」
 フィンは睨むラークを見て、困ったように笑った。
「いいんです。この人は用心深くて。それにこのあたりにある宿は一軒だけですわ。それなら、一緒の方がいいでしょう?宿代は、私たちが払いますし。少しでもお礼がしたいんです。」
「はは…。それじゃ、そうさせてもらおうかな。さすがにこの季節、野宿はキツイし…。」
 外は夜の空気が漂い始め、寒さが身に沁みてきた。
「仕方ねーな。」
 ラークはぼそりと言って、歩き出した。
 宿の一室に着くと、ラークはシーラを抱きかかえて車椅子から降ろし、ベッドに横たえた。
「…あんたは猟師ではないよな。武器を持ってるが…。」
 フィンがラークに尋ねた。
「俺は元盗賊だ。」
「…私が猟師に売り飛ばされそうになっていた所を、ラークたちに助けてもらったんです。」
「たち?」
「ラークは元盗賊団のリーダーだったんです。はじめは、ラークも私を売り飛ばそうなどと口では言っていましたが…。」
 そこで、シーラは少し頬を赤らめた。
「…他の仲間の皆も…私を人魚と知りながら、守ってくれたんです。そのために命を落としてしまいました…。そして、残ったのがラークだけなんです…。」
 シーラが身を起こして語った。
「そうか。人魚は最も貴重で珍しい魔物だからな。同じく数の少ないバンパイアと違って、人を襲う力もない。だから、狙われる。」
 フィンが顔をしかめて言った。
「お前はどうなんだ。お前も猟師だろう。」
 鋭い目つきで、ラークはフィンを見つめた。
「俺は他の猟師と違って、魔物を退治してるわけでも売り飛ばしてるわけでもないんだ。浄化、つまりは成仏させてるんだ。殺すのとは違う。安心しな。」
「…フン。」
 ラークは窓の方へと歩いていった。
「嬉しいです。私たちは逃げてばかりの毎日で、他の方と話す機会もなくて。こうして、安心してお話出来る人に出会えて、本当に嬉しいです。」
 シーラは微笑んだ。
「逃亡の毎日か。大変だな。だから宿に泊まったりして、一所ひとところに落ち着けないってわけか。」
「ええ。でもいいんです。私はこうして、ラークと一緒にいるだけで…。」
 そこまで言って、はっとしたように、シーラは顔を赤らめた。
「…ラークは盗賊団の皆に慕われていました。口は悪いけど、行動が尊敬できるから。皆、いい人たちでした。私のことも大切にしてくれて…。だから私、その分も生きなくてはならないんです。皆が守ってくれたこの命を大切にしなきゃって…。」
 ラークは窓のカーテンの隙間から、外を窺っていた。

 深夜。
 シーラは寝ていた。
 フィンも、横になってうとうとと眠っていたが、その手には剣がしっかりと握られていた。
 ただ一人、ラークだけが起きていた。
 暗闇の中でじっと動かずに、神経を集中させていた。
 そして、何かを感じたのか、ラークは窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
「…ヤツだ。」
 小さく呟き、舌打ちした。
 フィンがゆっくりと起き上がった。
「来るような予感がしてたんだ。昼間の大男だろ?」
 フィンは手にしていた剣を背中に装備した。
「…よく分かったな。ヤツがこっちに来る。それも、大勢の仲間を引き連れて。」
 ラークは、眠っているシーラを見た。
「絶対に、ヤツらの好きにはさせん!」
「まあ、待ってな。俺がいて良かったな。あんたはシーラを守ってここにいろ。すぐ戻る。」
 ラークは訝しげにフィンを見たが、シーラの傍に行き、フィンが部屋から出て行くのをじっと見守っていた。
 フィンが外に出て行くと、ラークは素早く窓の外の様子を窺った。
 外にフィンが出て来た。フィンを見るなり、駆け出してきた男たち。
 怒号が響き渡り、フィンは十人ほどの男たちに取り囲まれた。
 だが、フィンの表情は変わらなかった。
「あいつ…無茶なことを…。」
 しかし、次の瞬間。男たちは急に、何かに怯え始め、手にしていた武器をその場に捨てて、わらわらと逃げ出していった。
「一体…?どういうことだ…。」
 ラークは驚きの顔でフィンの後ろ姿を見ていた。
 その後ろ姿、背中に装備している剣。そこから、異様な殺気が放たれている。それを、遠くからでもラークは感じた。
 フィンは、何事もなかったかのように、部屋に戻って来た。
「お前は…何者だ?」
 ラークはフィンが入って来るなり、尋ねた。
「何って…人間だけど。」
「いや…ただ聞いただけだ…。」
 少しの沈黙が流れた。
「…ありがとよ。」
 ラークはフィンを見て、ぼそりと言った。
「別に礼なんかいらないよ。ゆっくり眠りたくて、うるさいのを追い払っただけだし。」
 シーラは眠っていた。その顔は幸福に満ちていた。
「…これからも、ずっとこんな危険な生活を続けるのか?」
 フィンがラークに言った。
「危険なら、今までだってずっとそうだった。盗賊だった頃だって、生きるか死ぬかの生活だ。…俺はもう、誰も失いたくない。今はシーラを守るためだけに生きている。」
 ラークは、シーラの手を握った。

「それだけ?」
 ラムがつまらなさそうに言った。
「何を期待してるんだ。」
「守りたいもののために…ねえ。そんな面倒な生き方ってどうなんだろうね?」
 ラムはフィンを探るような目つきで見つめた。
「分かるな。その、ラークという男の気持ちは。俺だって、今は守るべき仲間がいる。そのために生きている。」
 ジンジャーが言った。
「そんなもの、余計なお荷物さ。」
「お前に何が分かる。」
 ジンジャーはラムを睨んだ。
「あたしは…。」
 アリスは、フィンを見上げた。
 フィンは、どこか険しい表情をしていた。
 また、アリスは、フィンとの間に見えない壁があるのを感じた。
 それが、アリスを不安にさせる。
 きっと、とアリスは思った。
 どんな状況下にあっても、その二人は幸せだったのだろう。
 深い絆で結ばれた二人は、とても幸せだったに違いない。
(この壁は、どうやったら壊れるの?
 いつか、ラークとシーラのようになれるときが来るのかしら…。)

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