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魔源郷 第19話「バンパイアの誕生」

 アトランティスのルビーという町にある研究所。
 そこは全ての研究所の本拠地だった。
 アトランティスの科学者の最高責任者、ビールは主にそこで活動していた。
「本当にそんなことが出来るのですか。」
 ビールの弟、エールもまた科学者だった。
「そのようなものを創るなんて…。」
 何もなく、無機質な壁と床に囲まれた部屋の中に、ビールとエールはいた。
 ビールは大柄な体格をしており、坊主頭で、太っていて、細い目が冷たく光っていた。
 一方、弟のエールは兄のビールとは歳がかなり離れており、まだ若く、端正な顔立ちをしていた。
「彼らの名はバンパイア。不老不死者。老いもしないし死にもしない。まさに人間の完全体だ。」
「しかし…そのような者が増え続けたら、大変なことになると思いますが。それに、本当に完全と言えるのでしょうか。何か悪い影響などはないのですか。」
「何も悪いことなどない。その点は心配いらない。勿論、彼らは繁殖しない。増えるようなことはない。選ばれた者だけが、バンパイアとなるのだ。素晴らしいことだ。不老不死は人間の夢だった。それが実現するのだ。病に怯えることもなくなる。」
 ビールは、エールを見つめた。
「バンパイアを創り出すため、協力してほしい。いや、協力ではない。救ってやるというのだ。」
「…兄さん。それは…。」
 エールは下を向いた。
「お前のためなんだ。私はお前を助けたい。」
 ビールはエールの肩に手を置いた。
「しかし…。」
「よく考えることだ。急かすつもりはない。重要なことだからな。」
 ビールはそう言って、部屋を出て行った。
 一人残ったエールは、しばらくその場から動かなかった。

 彼らは、知らなかった。
 バンパイアが人間の生き血を求めることを。
 夢のような超人が誕生することばかり考えていた。
 いや、悪い影響について少しも考えなかったわけではない。
 悪い影響よりも、都合の良い方を優先したのだ。
 それが間違いだった。

 街道沿いに歩いているフィンたち。
 フィンの隣にアリスが、その後ろにジンジャーと猫に変身したテキーラが、そしてその後ろを少し離れてラムが歩いていた。
 ラムは黙り込んで一言も話さない。
 時折、ちらりとフィンの方を見るだけだった。
「研究所はいくつかあった。ルビー、アクア、ラピス、シトリン、エメラルド、が五大研究所。そのうち、バンパイアの研究をしていたのがルビーだった。そこを仕切っていたのがビールという科学者。ビールはアトランティスの全ての科学者の最高責任者でもあった。」
 フィンが、歩きながら説明した。
「やけに詳しいな…。ビールのことなら知っている。ビールが殺されてから、研究所が滅茶苦茶になったんだ。あの時…、混乱の中でブランデーと共に脱走して、俺たちはフィズを探しに収容所まで行こうとしていた。しかし、途中でブランデーと別れることになったんだ…。」
 ジンジャーは、そのときのことを思い出していた。

「ブランデー!大丈夫か!?」
 ジンジャーは、倒れたブランデーに駆け寄った。
「…ああ…。」
 ブランデーは弱りきった声を出した。
「無理するな。血を飲め。人間を殺せ。俺たちはもうバンパイアという化け物なんだ。ためらうことはない。あいつらがやったことなんだ。殺されたって文句など言えないはずだ。」
「出来ない…。」
「このままでは干からびて死んでしまうぞ。」
「それでも…出来ないよ…。僕には…。僕は…人間だ…。」
「俺たちはもう人間じゃない。受け入れろ。あいつらを憎め。そうすればラクになる。」
「出来ない…。」
「あいつらは、俺たちを化け物に変えた。お前の妻のローズも殺したんだ。そんな奴らを同じ人間と思うな。フィズだってもう化け物にされたかもしれない。」
「フィズは…生きている…。」
「お前はもういつものように笑うことすら出来ないじゃないか。我慢するな。」
「僕は…心を失いたくない…。仲間を襲ったら…僕は僕ではなくなりそうなんだ…。それだけは…いや…だ…。」
 ブランデーは意識を失った。

 ネズミの血がブランデーを救った。
「そんなものが渇きを癒すとは思えないな。もう俺は、バンパイアがどんなものか理解した。俺たちは、人間を殺して生きる化け物なんだ。ブランデー、お前も理解すべきだ。」
 ジンジャーは、ブランデーを冷たい目で見た。
「何と言おうと、僕は人間を殺すつもりはないよ。この先ずっとね。」
「それじゃ、死んでもいいってのか?」
「フィズに会うまでは、死なないよ。絶対に。」
 ブランデーは強い眼差しで言った。
「ジンジャー、君とはここでお別れだ。」
「いきなり何を言うんだ?」
「僕はどうしても、バンパイアの自分を受け入れられない。このままでは、これから先も、君に迷惑を掛けることになると思う。だから、ここで別れよう。僕と君の行く道は違うんだ。僕はフィズのために進む。その道に君を巻き込む気はないよ。その方がいい。」
「別れたりなんかしたら、お前を見殺しにするのと同じだ!」
「大丈夫。僕は死なない。必ずフィズに会える。見えるんだ。フィズと再会するときが。」
「ブランデー、俺はお前を見殺しにはしない。」
「ジンジャー、さようなら。」
 ブランデーは優しい笑顔を残して、ジンジャーから遠ざかって行った。
 ジンジャーは、その後を追わなかった。
 そのときは、ブランデーを理解出来なかった。

「何故そこまで知っているんだ?お前も、まるで旧世界にいたかのようだが…。まさか、お前…アトランティスの生き残りなのか…?」
 ジンジャーがフィンに向かって言った。
「さあ…だったらどうだって言うんだ?」
「俺たちをこんな目に遭わせたのは、アトランティス人だ。もしお前がその生き残りだったら…。」
「殺したいってのか?」
「違うんだろう?」
「……。」
 フィンは何も答えなかった。
「また何も言わないのか…。まあいい。そんなことは。どうでもいいことだ…。」
「ねえ、その、アトランティス人があたしたちを魔物に変えたってことは分かったけど…、それはムーの人たちだけが変えられたの?」
 アリスがフィンに尋ねた。
「ムーの民にはアトランティス人にはない霊力があってな。だからこそそれを利用された。魔物に変えられたのはほとんどムーの民だ。他は…アトランティスの支配下にあった小国とか、アトランティスの中でも囚人とかだな。」
「どうして、アトランティス人は、そんな恐ろしいことをしたのかしら…。」
「ビールは、完璧な人間を創ろうとしていた。それがバンパイアだった。だが、奴らはバンパイアが人間を襲って血を吸うことまでは予想もしていなかった。人間と獣を融合させた結果、そういう副作用が生じたのか、詳しいことは分からんが、とにかくバンパイアは人間にとって最悪の敵になった。」
「完璧な人間?」
 ジンジャーが言った。
「不老不死者。歳もとらず、病気になることもなく、死なない。それがビールの目指していた超人だったんだ。豊かで幸福なアトランティス人の願い、それが不老不死だったんだ。永遠に幸福であり続ける。それが人間の最高の喜びだと思っていたんだ。」
 フィンはしばらくの沈黙の後、再び口を開いた。
「だがその研究は、アトランティス人のためではなかった。ビールは、自らがバンパイアになろうとしていた。人間の更なる高次元への進化。それこそビールの求めていたものだったんだ。」
「馬鹿げてる…何が進化だ!」
 ジンジャーは吐き捨てるように言った。
「進化…か。でもフィン。君はバンパイアの理想の姿なんじゃないのかい?ビールって奴の思い描いたバンパイア。それがフィンなんだ。違うかい?」
 ラムは小さく笑った。
「ビールは間違っていた。完璧な人間など有り得ないんだ。」
 フィンは振り向きもせずに言った。

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