魔源郷 第36話「銀の民」
第36話「銀の民」
文字数 5,592文字
「フィン…お前は一体…。」
ジンジャーには、フィンの言っていることがよく理解出来なかった。ただ、親友のブランデーが死んだ、ということだけは分かった。だが、ラムが過去のフィンだ、などということは、あまりにも現実離れしていて、全く理解出来なかった。
「一体、どういうことなんだ…。」
「ジンジャー。お前も、ムーの人間だったんだろう?」
「ああ。だが俺は神官じゃない。一時は神官にされたんだが、嫌だったんで、逃げ出したのさ。祈りやら、儀式やら…。俺には向いていなかった。」
「…銀の民のことは、知っているか?」
「銀の民…?聞いたような気もするが…。悪いな、バンパイアになる前のことは、ほとんど覚えてないんだ。俺はもう、ムーの民であることを捨てたも同然だからな。」
「そうか…。」
フィンは、何か考え込むように、下を向いた。
「銀の民?それは興味深いね。君の髪は銀色だけど、それと関係がありそうだね。」
ラムが身を乗り出して言った。
「…察しの通りさ。俺は、銀の民の末裔なんだ。」
「やっぱり。」
「銀の民とは、太古に存在した、人類とは別の種族。俺と双子の妹のフィーネは、その血を継いでいた…。」
「フィン。詳しく話してくれ。」
ジンジャーが真剣な表情でフィンを見つめた。
「…長くなる。」
「構わない。」
アリスも、耳を傾けていた。
テキーラは、横になりながらも、目を少しばかり開けて、フィンを見ていた。
「銀の民」
彼らは太古、宇宙からやって来て、人々に知識を与えた。
それまでの人々には、「知」というものがなく、動物と同じように生活していた。
彼らが何故、人々に「知」をもたらしたのか。
それは、人々を動物から「人間」へと進化させるためだった。
そして、最終的には、「人間」からさらに高等の生命へと進化すること。
それが、彼らの願いだった。
つまり、彼ら「銀の民」は「人間」ではなかった。銀色の姿をしていたために、太古の人々に、「銀の民」と呼ばれたのである。
「銀の民」については、太古の人々が残した石版に記されており、その存在を知る者は、ムーの神官の一部の者と、アトランティスの一部の学者に限られていた。
しかし、「銀の民」の目的や人間への願いは、その子孫にだけ受け継がれていた。
「銀の民」の一部は、人間と同じ形態をとり、ムーの民と交わって子孫を残していった。やがて純粋な「銀の民」はいなくなり、銀の民の血を受け継いだ、銀色の髪の人間が銀の民の子孫として残った。しかし時と共に、その子孫を見かけることはほとんどなくなり、この世界での「銀の民」は絶滅したと思われていた。
ある日、銀の髪の双子が生まれた。それが、フィンとフィーネであった。両親のどちらかに「銀の民」の血が残っていたのか定かではないが、それが最後の「銀の民」となった。
「銀の民」には不思議な力があった。
それは、自分と相手の心とを、互いに通じ合わせる力。
それは、心のあるものであるなら、何にでも心を通わせることが出来た。
銀の民は、その能力を用いて、互いの心と心とで会話をしていた。
太古の人々に与えられた「知」には、「霊力」という目に見えない力の働きも含まれていたが、心を通じ合わせるという能力は誰も持たなかった。その能力は、「銀の民」特有のものだったのだ。
その能力を、その双子は持っていた。フィンには高い霊力が備わっていたが、何故か妹のフィーネには、霊力がなかった。一般のムーの民なら、誰でも持っている霊力の素質すら、フィーネは持たなかったが、それでも、兄のフィンとは、心と心で会話をすることが出来た。二人の心はまるで一人の人間のもののように繋がっていて、一人が痛みを感じれば、もう一人もその痛みを感じた。喜びも苦しみも、お互いに分かち合っていた。
しかし、フィンは、自分の半身のような存在であったフィーネを、自らの手で殺した。そして、怒りのままに、アトランティス人に復讐し、大量殺戮を行った。
今、その罪の償いのために、フィンは永久に地上を彷徨うこととなった。心を通わせる能力、それを使い、地上の全ての魔物を浄化させるという使命を背負い、生きることになったのだ。
大神官である、フィンの父親は、フィンがそのような運命にあうことを知っていた。
予知していたのだ。フィンがアトランティスへ行き、殺人を犯すことを。そして、魔物を浄化させるための旅に出ることを。
何故そのような運命にあわなければならないのかと、父親はその流れを止めようとした。しかし止められなかった。その運命は、「銀の民」の願いに通じているものと、父親は理解した。
「銀の民」の願い。それは、人間が更なる高みへと進化することだった。「銀の民」と同じ場所に到達すること。人間が与えられた「知」を良い方向に使い、次の次元へと進むこと。
そのために、ムーの神官たちは、霊力を高める修行をしていた。霊力を純粋に高めることで、人間を超えた、次の段階へと到達すること。「銀の民」と同じ場所へ向かうこと。
最後の「銀の民」であるフィン。彼が背負うものは、罪と願い。彼が背負う剣には、それらがつまっているため、常人では持つことが出来ないほど、「重い」のだ。
フィンによって破壊されたアトランティスの施設から、魔物たちが各地に氾濫し、理性を失った魔物たちは暴れ回って国々や人々を滅亡へと追い込んだ。
生き残ったムーの神官たちは、この出来事を、「大洪水が起こったために、魔物が生まれ、世界は滅んだ」というふうに書物や石碑に書き記し、後世に伝えることにした。それは、大神官長の考えによるものだった。人間の所業によって、魔物が生まれたとは伝えたくなかったのだ。
「…罪を犯した俺は、儀式によって、悪い『念』を切り離した。つまり、蛇が脱皮するように、俺は古い体を脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わった、とでも言おうか。それから俺は、銀の民からムーに託された古い剣を背負い、永遠の命を得た。そして、脱ぎ捨てられた方の体――邪念――は、父親である大神官長によって封印されたはずだった。…そのはずだったのに…。おそらく、俺の邪念が強すぎて、封印しきれなかったのだろう。念は体を動かす源だから、自力で動くことが出来る。だが、肉体に入らなければ、それ自体では何も動かすことが出来ない。だから、宿主を探していて、死んだブランデーを見つけたんだろう。念の弱まった人間や、死んだ人間になら、入り込みやすいんだ。」
「待て。今、念の弱まった人間、と言ったな?」
ジンジャーが口を挟んだ。
「ああ。」
「それじゃあ、ブランデーの念が弱っていて、そこに入り込んだとは考えられないか。それなら、ブランデーは死んではいないだろう?違うか?」
「…確かに、そうとも考えられるが、ブランデーは死んだも同然だ。ブランデーの念より、俺の邪念の方が強いせいで、それによって肉体は動かされている。今は、ブランデーではなく、ラムとして。念の引き剥がしの儀式でもやらなければ、例えブランデーが生きていたとしても、今の肉体はラムによって支配されているんだ。ブランデーの出てくる余地はない。」
「その儀式は出来ないのか?」
「儀式について知っているのは、俺の父親だけだ。あの儀式は、特別な秘儀だから。だがもう勿論父は死んでいる。本当は、俺が父の跡を継いで、父から全ての知識を得るはずだった。だがもう遅い…。ラムは過去の俺だ。だから、こいつは俺が何とかするしかない。何とか…と言っても、どうすればいいかさっぱりなんだがな…。」
しばらくの沈黙の後、フィンは言った。
「当分、俺は休息する。ラムのことをどうにかしないと、俺はこの先に進めない。心が乱れた状態では、魔物を浄化することは出来ない。ラムは過去の自分だ。それを放っておくことは出来ない。」
「僕をどうしようっての?まさか僕を消せるとでも?フフン、そんなことは出来ないよ。第一、この体はブランデーって奴のなんだろ?僕はどこまでもついていくよ、フィン。君がおかしくなるまでね。」
「…こんなこと言ってる奴を、俺も放ってはおけないな。フィン。俺がお前を守る。もう、一人で抱え込むな。俺たちは、仲間なんだ。」
「いや…。ラムのことは、俺一人の問題だ。ラムは危険だ。お前たちを巻き込むことは出来ない。ここで、別れよう。」
フィンの言葉に、ジンジャーは大きく首を振り、フィンの肩を掴んだ。
「今更何を言うんだ!ここまで話しておいて、それでも俺たちに頼ろうとは思わないのか!?」
「俺は全てを話した。だが、それはお前たちにどうにかしてほしくて話したんじゃない。俺の使命について、理解して欲しかったからだ。俺は最後の銀の民。人類に知を与えた、その結果が今の世界だ。魔物が生み出されたことも、全て、銀の民が人間に知を与えた結果だ。その責任を、俺は負わなければならない。これからの人類が、良い方向へと向かうように。それだけを祈りながら、俺は魔物を浄化し続けなければならない。」
「しかし、今のお前はそれが出来ないじゃないか。ラムのせいで。そいつはお前を狂わせようとしているだろう!俺は心配なんだ。何故別れる必要がある!俺たちはラムにやられたりしない!お前の悪い念だろうが何だろうが、受け入れてやる。お前の力になりたいんだ!」
「うっ…うう…。」
アリスが嗚咽を漏らした。
「酷いわ…。どうしてフィンが…。どうしてフィンが犠牲にならなければいけないの?魔物を造ったのは、人間なのに。どうしてフィンが、その後始末をしなければいけないの?間違ったことをしたのは人間なのに…。どうして…?うっ…うっ…。」
アリスは涙を流した。
「…知を得る以前の人間は、動物と同じように、自然の営みの中で暮らしていた。だが、知を得ることによって、人間は『考える』という自由をも得たと同時に、善悪や様々な感情が生まれて、人間は『人間社会』の枠の中で生きることになったんだ。知が、銀の民の願う良い方向へと向かえば良かった。だが、思い通りにはいかなかった。結局、銀の民のしたことは、人間を苦しめることになってしまったのさ。だから、その後始末は、知を与えた銀の民自身がしなければならない。」
「でも!」
アリスは顔を上げた。
「いろんなことを考えられるようになったから、嬉しかったり悲しかったり、楽しかったり…、それが悪いことなの?辛くても苦しくても、人間は、幸せになりたいから頑張れるんじゃないの?あたしは、フィンと出会ってから、幸せになれたもの。ジンジャーとテキーラに出会えて。銀の民のしたことは、悪いことじゃないと思うわ!だって、あたしは今、幸せだから。フィンに出会う前のあたしは、ほとんど動物と同じだった。幸せな感情があることすら知らなかった。でも、フィンのおかげで、あたしは人間になれたのよ。」
アリスは涙を流しながら微笑んだ。
「…だから、フィンに恩返しがしたかったの。だけど、このままフィンの使命の邪魔になるなら…、あたしはもう、フィンを苦しめたくない。あたしは、感情が高まると変身してしまうんでしょ?それは、自分で何とか出来そう。これからはもう、フィンに頼らないで、自分で何とかするから。…もう、わがままは言わない。甘えない。…フィンのこと、一番に考えるから…。フィンを止めたりしないから。」
アリスは涙をこらえるように、唇を噛んだ。
フィンは碧の目でじっとアリスを見つめた。澄み切った、碧の目で。
「ありがとう。アリス。」
アリスは顔を上げて、フィンの顔を見た。その顔は、今までに見たことのない、明るい表情をしていた。悲しくなるほど、明るい笑顔。この顔が、本当のフィンなのかもしれない、とアリスは思った。今までのような、氷のように凍てついた顔や、何を考えているのか分からない顔は、本当のフィンではなかったのだ。フィンは、本当の自分を押し殺して、ただ使命のために生きていたのだ。そんなことを思うと、アリスの胸が締め付けられるようだった。
「ここで、別れよう。俺は、こいつと行く。」
フィンは、もう一人の自分でもある、ラムの腕を掴んだ。
「フフン。これでようやく、邪魔者たちとはおさらばってわけだね。」
ラムは嬉しそうに笑った。
二人は、アリスたちに背を向けて歩き出した。
「フィン!待ってくれ…!」
「お願い。」
フィンを追いかけようとしたジンジャーを、アリスは後ろから抱き止めた。
「行かせてあげて。…お願い。」
「アリス!いいのか!?このまま、あいつと離れ離れになってしまうんだぞ!」
「いいの…。だって、それしか方法がないんだもの。いっぱい考えて、考えたけど、それしかないのよ…うっ…うっ…。」
アリスは泣きながら、ジンジャーを引き止める手に力を込めた。
だんだん小さくなっていくフィンの姿を、アリス、ジンジャー、テキーラの三人はただ見守っていた。
「フィン!」
突然、アリスが大きな声で叫んだ。
フィンには聞こえているのかいないのか、分からない。こちらを振り返っているのかも見えない。
「あたし…ずっと待ってるから!フィンが使命をやり遂げるまで!あたし待ってるから!そしたら、一緒にいられるよね!使命が終わったら、一緒に暮らせるよね!」
アリスは必死に叫んだ。
「あたし、またフィンと会えるのを楽しみにしてるから!!」
涙で何も見えなかった。この声が、思いが、フィンに届くように。アリスは心の中で強く願っていた。
「ウウ…。」
テキーラの目から、涙が零れ落ちた。
「…ああ。アリスの言葉は、伝わってるさ。」
テキーラの声に頷くように、ジンジャーが言った。いつの間にか、ジンジャーには、テキーラが何を言いたいのか、不思議と分かるようになっていた。言葉が通じなくても、心で分かるようになっていた。