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魔源郷 第5話「夕陽の記憶」

「ジンジャーは、変身しないの?」
 アリスがジンジャーに尋ねた。
「だって、あたしも変身するし、テキーラも変身するでしょ?」
「俺は…変身能力を持たなかったんだ。失敗作でね。」
「失敗作?」
「…アリスやテキーラは、俺より後に作られた魔物なんだろう。俺は、古いタイプの魔物って言ったらいいのかな。最初は、魔物に変身能力をうまく持たせられなかったらしいんだ。」
「…その…作られた…って、よく分からないんだけど。あたしたちは、誰かに作られた生き物ってこと?」
「簡単に言うとそうだ。俺たちは、獣と人間から作られた生き物。元は人間だったのが、獣の力を組み込まれて新たに生み出された者。それが魔物さ。」
「けものと…人間から…?じゃあ…人間とけものの両方の生き物なの…?」
「どちらでもあり、どちらでもない。」
 ジンジャーの答えに、アリスは首を傾げた。
「よく…分かんない。」
「分からなくてもいいさ。とにかく、俺たちはバンパイア。人間の血を養分として生きている。決して老いることもなく、寿命もない。」
「じゃ、あたしはずっと、このままなの…?」
「そうだ。」
「そう…。」
 アリスは、テキーラをじっと見つめた。
 テキーラは、ソファに横たわり、眠っていた。細長い白い腕に頭をのせて、しなやかな体の線が滑らかに流れ、赤いドレスの裾から白い脚が長く伸びていた。
 アリスは、自分の手足を見て、ため息をついた。
「ずっと、このままなのね…。」
「姿なんか関係ないだろう。」
「ジンジャーには、分からないわ。」
 アリスは、すねたように言って、後ろを向いた。
「アリスには、記憶がないんだろう。俺には、それがうらやましいよ。」
「…どうして?」
「余計なことを考えてしまうからさ。いっそ記憶がなかったら、過去がなかったら…。だからこそ、俺はずっと仲間を探していたんだと思うよ。」
「記憶って、人間だったときの?」
「ああ。何百年も生きてきたってのに、記憶は今でも消えてくれない。鮮明で。忘れたくても忘れられない。」
「あたしは、思い出したいわ。あたし、自分が何者なのか、まだ分かってないことがたくさんあるもの…。人間だったときのあたしがいたなんて、信じられない…。」
 アリスは、膝を抱えた。

(あたしの言葉が分かるんだろう?フィン…。
 だったら、こうやってときどき話そうぜ。
 あたしはね、今まで猫として生きてきたんだ。
 猫の女王だったのさ。
 人間から逃れるために、猫になって、それからずっと、猫になりきってきた。
 自分のことを忘れてたよ。
 ジンジャーのお陰で思い出したんだ。
 そして、フィン、あんたがあたしを元に戻してくれたんだ。
 ありがとう。
 不思議だな。あんたといると、心が安らぐんだ。)

 朝、フィンが目覚めると、隣に大きな猫がいた。
「テキーラ…。」
 その猫、テキーラの変身した猫は、目を開けて、じっとフィンを見つめた。
「わざわざ変身したのか。俺に話しかけるために。」
(大丈夫さ。自分で元に戻れるんだから。)
 テキーラはベッドから降りて、背中を反らせて伸びをすると、皆の目の前で人の姿に戻った。
「ウウ。」
 フィンは何も言わずに裸のテキーラに服を投げつけた。
「もう少し、分別を持ってもらいたいもんだな。いくら今まで猫として生きてきたからってな。」
 呆れたように、フィンは言った。
「…フィン。これから、どこへ行くんだ?」
 ジンジャーが聞いた。
「さあね。しかしもう、ここには用がないな。何の気配もない。」
「俺はこれからも、お前について行く。フィンについて行けば、仲間が見つかると思う。」
「あたしだって、ついてくんだから。」
 アリスはフィンにしがみついた。
「はいはい。」
 フィンはアリスの頭を撫でてやった。
「魔女が!」
 突然、部屋の扉が激しく叩かれた。
「騒がしいな…。」
 フィンが扉を開けると、外には五、六人の男たちが、長い箒や杖を持って立っていた。
「ここだな!魔女がいるのは!」
「魔女…?」
「赤い髪の女だ!」
 フィンを押しのけて、中に男たちが乱入してきた。
「いた!」
「この悪魔め!ダインを殺しやがって!」
 男たちは、手に持った箒や杖を振りかざして、テキーラに襲いかかってきた。
「やめろ!」
 ジンジャーが、男たちを突き飛ばした。
「ウウウ…。」
 テキーラは、唸り声を上げている。
「くそっ!仲間だな!お前ら皆、魔物だな!」
 男たちはジンジャーに突き飛ばされて、皆倒れたまま、喚いた。
「落ち着け。一体、何があったんだ?」
 フィンが静かな口調で尋ねた。
「そこの…女に…友達が殺された!血を吸い取られて。」
「いつ?」
「昨日の夜だ。」
「…俺が寝ている間にか…。」
 フィンは横目で、テキーラを見た。テキーラは不敵な笑みを浮かべている。
 琥珀色の瞳が赤く光っていた。
 テキーラは、突然、男たちに襲い掛かっていった。
 喉笛めがけて、鋭い牙を剥き出して襲い掛かった。
「テキーラ!」
 ジンジャーが止めようとしたが、テキーラはすばやく一人の男の喉に噛み付いて、血を吸っていた。ぎらぎらと、目が赤く光っている。
「ぎゃああああ!!」
 男たちは、叫び声を上げて、腰をぬかしたまま、よろよろと後退し始めた。
 血を吸われた男はぐったりとして、動かなくなった。
 テキーラの口の周りは血で赤く染まっている。それを、舌でぺろりと舐めた。
「ウウウ…。」
 なおも、テキーラは目を赤く光らせて、震え上がっている男たちに襲い掛かろうとしていた。
「何事だ!」
 騒ぎを聞きつけた者たちが集まってきた。
「厄介なことになったな…。」
 フィンは呟いた。
「逃げるしかなさそうだ。」
 ジンジャーは灰色のマントのフードで顔を隠すと、窓を開けて屋根の上に飛び乗った。
「アリス!テキーラ!逃げるぞ。」
 フィンたちもジンジャーに続いて窓から屋根に飛び移り、宿から逃げ出した。

 人気のない所に建てられた、荒れ果てた小屋の中で、フィンたちは休んでいた。
「ウウウウ…。」
 テキーラは、まだぎらぎらと光る赤い目で、唸り声を上げていた。
 まるで、血に飢えた野獣だった。
「ジンジャーは、この町で人を襲ったか?」
「…いや。船でさんざん補給したからな。当分は平気だ。」
「テキーラは、猫のときはどうしてたんだろう?」
 フィンは、唸っているテキーラの額にそっと手を当てた。
 すると、唸り声が消え、テキーラの目が琥珀色に戻り、穏やかな表情になった。
「…ウアア…。」
 テキーラは、あくびをすると、その場に横になって、目を閉じて寝息を立て始めた。
 無防備な姿で、眠っている。
「バンパイアっていうより、これじゃあ人の形をした魔獣みたいだな。」
 ジンジャーは笑って言った。
「…お前らがアリスの親代わりになってくれれば、バンパイア親子として申し分なかったんだがね。」
 フィンは、花束を取り出して、花を食べていた。
「あたしを子供扱いしないで。あたしたちは、仲間なんだから!」
 アリスはふくれた。
「何怒ってんだ?」
「別に!」
 アリスは、小屋から飛び出して行った。
 その後を、ジンジャーが追いかけて出て行った。
 フィンは、やれやれというような顔をした。

 夕刻のオレンジの空気の中で、アリスは泣いていた。
「アリス。」
 ジンジャーは、アリスの肩に優しく手を置いた。
「バンパイアにとって、歳は関係ない。見かけも関係ない。ただアリスが子供の姿ってだけでさ。フィンには、そこが分からないんだよ。俺なんて何百年も生きてるんだから、本当はジジイなのさ。バンパイアにされたときの歳の姿のままでいるってだけで。」
「…ジジイ?」
「そう。年寄り。過去の思い出に浸るなんて、ジジイみたいだろ。」
 にっとジンジャーは笑って見せた。
「じゃあ、あたしもジジイなの?」
「アリスはババアかな。テキーラもババア。」
「ババア…。何だか、素敵な言葉ね。」
 アリスは涙を拭って、微笑んだ。
「あたしはババアなのね。怒ったりして、バカみたい。フィンはバンパイアじゃないもんね。でも、あんまり子供扱いされると、悔しい…。」
「アリスの心は、時が止まってるんだな…。余計な記憶がないから、それに囚われることもない。年寄りは、過去の記憶に囚われて、純粋に物事を見れなくなるんだ。アリスのような気持ちは、ずっと持ち続けるべきものなんだよ。大切なものなんだ。」
「大切なもの…。」
 大きな黒い瞳で、アリスはジンジャーをじっと見つめた。

 その夜は、小屋の中で過ごした。
 一晩中、ジンジャーは起きていた。
 フィンとアリスとテキーラは、ぐっすりと眠っている。
 ジンジャーは、鋭い目を光らせていた。
 ジンジャーは、手を見つめた。
 細長い指に生えた鋭い爪が、ジンジャーの意志によって、伸びたり元に戻ったりした。
 誰かが入ってきたら、殺すつもりでいた。
「ウ…。」
 テキーラが目を覚まして、身を起こした。
「…また人間を襲いに行くのか?今はやめた方がいい。お前は目立ちすぎる。」
「ウウイ。」
 テキーラは、首を振った。鼻をひくひくさせて、腹ばいになって、小屋の中を這い回り始めた。
「何してんだ?」
「ウウ…。」
 そのうち、一点に狙いを定めたようにして、小屋の角の穴のあいた所を、テキーラは凝視していた。そこで、ネズミがちょろちょろと行ったり来たりしていた。
「ウイ!」
 テキーラは、目を光らせて、素早い動きで、ネズミを捕らえた。
「ネズミ…?」
 それを、ジンジャーは見ていた。
 テキーラは嬉しそうに笑顔を見せ、ネズミを食べ始めた。
「…そうか。猫のときは、そうやってネズミを食べてたのか。…って、バンパイアになっても食べるのか…。」
 ジンジャーの声には、呆れたような響きがあった。
 しかし、次の瞬間、ジンジャーの目つきが変わった。
 突然立ち上がって、小屋のすき間に顔を近付けて、外を見た。
 こちらに近付いて来る影が数体。
 その手には、松明が握られていた。
「フィン…!」
 低い声で、ジンジャーはフィンを揺り起こした。
「んん…?」
 眠そうな顔で、フィンはジンジャーを見た。
「誰か来る。」
 それを聞くと、フィンは飛び起きて脇に置いていた大剣を装備し、アリスを起こした。
 皆、緊張して身構えた。
 追手が来たのか。
「この辺に隠れているのは分かっている!」
 外から声がした。
「魔女め!出て来い!」
 宿からかなり離れた所まで逃げて来たつもりだったが、隠れられる場所は、限られていた。
「火を放て!」
 声と共に、小屋に向かって松明が投げられた。
 あっという間に、小屋は炎に包まれた。
「まずい…!フィン、アリスとテキーラを!」
 ジンジャーが、小屋の戸をぶち割って外に出た。
 フィンたちも、破られた戸から急いで外に出た。
 外にいた人間たちは、一瞬戸惑ったように顔を見合わせた。
「お前も…魔女の仲間か!?」
 ジンジャーは、人間たちに向かっていった。
 人間たちは、銃を撃ったが、ジンジャーにはまるで当たらなかった。
 鋭い爪を長く伸ばして、ジンジャーは素早く人間たちを切り裂いた。
 八人ほどいた人間たちは皆、次々とジンジャーによって倒され、虫の息になった。
「血をもらおう。」
 ジンジャーは、一人の人間の手首を掴んで、血を吸い取った。
「アア!」
 そこへテキーラも寄って行って、人間の喉に噛み付いた。
 二人のバンパイアによって、人間たちは全滅した。
 小屋は、炎によって黒焦げになり、跡形もなく朝日に散っていた。

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