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魔源郷 第7話「交錯」
追手を逃れたフィンたちは、トパーズという町に来ていた。
ここは、先日までいた町よりも遠く東に離れた所で、小さくも大きくもない町だった。
付近に、大きな山脈がそびえており、山に囲まれた町だ。
「珍しい猫だねえ。」
町の人が、フィンに話しかけてきた。
テキーラは、猫に変身して歩いていたのだ。
「それに、綺麗な猫だ。」
その男が、触ろうとして手を近付けると、テキーラは、フーッと唸った。
「ひい!」
声を掛けてきた男は、驚いて声を上げた。
「す、すみません。こいつ、凶暴な奴で…はは。」
フィンは頭を下げて、笑って見せた。
(凶暴?言ってくれるじゃないか。あたしはあんな奴に触られるのはごめんだね。)
猫の姿のテキーラは、苦笑いしながら去っていく男を見ながら、フィンの心の中に話しかけた。
「頼むから、変なことはするなよ。お前は、ただでさえ目立つ。だから、町を歩くときは、猫の姿の方がいいと思ったんだ。」
フィンが言った。
「でも、大丈夫なの?ジンジャーみたいに、日よけのマントとか着なくて。あたしは、平気だけど。」
アリスは、赤い頭巾を被っていた。
「大丈夫なんだとさ。まあ、人の姿のときは苦しいらしいが、猫の姿なら平気なんだそうだ。」
フィンが、テキーラの代わりに話した。
(フィン、アリス、ジンジャーなら、触ってもいいよ。あたしの美しい滑らかな毛を。)
「ジンジャー。テキーラが、撫でてほしいそうだ。」
「え?」
ジンジャーが、困ったような顔をした。
「なんだか…猫はニガテだな…。」
ぎこちない手つきで、ジンジャーはテキーラの背中を撫でた。赤いふさふさの毛が手に絡みつく。ジンジャーはちょっと触っただけで、テキーラから離れた。
「あたしは猫って好き。かわいいわ。」
アリスも、テキーラを触った。
テキーラは、ごろごろと喉を鳴らしてみせた。
(どうだい?猫らしいだろう。人の姿も悪かないけど、やっぱこっちの方が楽だな。)
「そうですか…。」
興味がなさそうに、フィンは言った。
(おい、冷たいな。フィン。もっと何かしゃべってくれよ。この姿のときしか、自由に会話が出来ねーんだからよ。例えば、あたしが人の姿になったとき、思わず惚れちまったとかよ。なあ、あたし、すげー美人だろ?あたし、美しさには自信あるんだ。)
テキーラは、フィンにすり寄ってきた。
「そうだねえ…でも、この会話がもしジンジャーたちに筒抜けだったら、お前の性格が丸分かりって感じだな。」
「え?今何を言ってたの?」
アリスが興味を示して、フィンに通訳を求めてきた。
「いや…テキーラが、皆と会話出来たら面白いだろうなって。」
「そうね。でも、あたしには分かるわ。テキーラさんは、とっても女性らしくて、素敵な人だって。」
フィンは、思わず噴き出しそうになって、口を押さえた。
「…知らない方がいいってこともある。」
「何が?」
アリスは、不思議そうに首を傾げていた。
「おい、お前、猟師だな。」
帽子を被り、背中に銃を装備した男が、乱暴な口調でフィンに話しかけてきた。
「ああ。あんたも猟師だろ?」
「その通りだ。ここら一帯は俺が頂いたぜ。魔物が出ても、俺が退治するからな。てめえらには渡しゃしないぜ。だいたい、何だ、その剣。今どきそんなもんで戦えんのかよ。」
「まあ…こう見えてもね。一応は…。」
「何へらへら笑ってやがる。出てけっつってんだよ。何なら、ここで勝負するか?負けた方が出てくって条件で。」
「いやあ…それは困るなあ。別にあんたの邪魔する気はないから。ただこの町に来ただけで。」
「俺はな、他の猟師は皆商売がたきだと思って排除してんだよ。それが例え弱い奴だろうとな。それに、腕を磨くためでもある。魔物だけが相手じゃつまんねーしな。」
男は、拳を突き出した。
「おめーに武器は使わねーよ。素手で勝負だ。」
「やめて!」
アリスが飛び出してきた。
「ガキには関係ねー!引っ込んでな!」
「アリス。その通り。お前には関係ない。どうしても、俺と戦いたいらしい。」
フィンは、アリスを後ろに引っ込めた。
「やる気になったか。」
男は、余裕の表情だった。
しかし、一瞬で、その表情は青ざめ、恐怖に怯える顔つきになった。
フィンは、ただそこに立っていただけだった。
傍目には、何もしていないのに、突然、男が一人で震え出したように見えた。
男は、何も言わずにその場から一目散に逃げ出して行った。
「何だ…?今の…。」
野次馬で集まっていた人々は、今にも戦いが始まるかと期待していたが、男が逃げたことで期待が裏切られ、拍子抜けしていた。
男は、恐怖を感じて逃げたのだ。
フィンの背中の方から出ている何かに。
フィンは、男を睨み付けたわけでも、威嚇したわけでもない。
幻覚でもない。本物の恐怖。呪い。
フィンには、そのようなものが、宿っていた。
呪われた気配が、フィンを恐ろしく見せていたのだ。
人間の本能に訴える恐怖が、男を襲ったのだ。
「フィン…?」
ジンジャーにも、何が起こったのか分からなかった。
「…良かった。出て行かなくて済んで。」
振り返って、フィンは笑った。
「今、何をしたんだ?」
「何が?」
「何がって…何かしたんだろう?あの男は、お前を見て、震えていた。」
「別に何も。何か忘れ物でも思い出したんじゃないか?」
「フィン…お前は一体、何者なんだ?俺たちを出会わせてくれたことには、感謝している。だが、何故だ?何故、今まで出会えなかった仲間に出会えたんだ?お前と会ってからすぐに…。偶然とは思えない。お前は、何なんだ?人間でも、魔物でもない…。」
「俺は人間だ。猟師だ。それ以外の何者でもない。」
フィンは真顔で言った。
「いや、違う。それなら、とっくに俺はお前の血を吸い尽くして、殺している。お前だけは、殺したくないんだ。」
「俺といれば、仲間に会えると思ってるから、殺せないんじゃないのか?」
「そうじゃない。俺は、人間を憎んでいる。だから、人間を殺す。だが、お前はただの人間じゃない。」
「ま、何とでも思ってていいさ。俺だって、血を吸われて殺されたくないしな。」
フィンは笑って歩き出した。
それ以上、ジンジャーは聞けなかった。
トパーズの町には、よく魔物が出没する。
そのため、猟師たちは歓迎された。
フィンたちは、ただで宿に泊めてもらえた。
勿論、それには、魔物を倒すことが条件だった。
「ここに何日いるつもりなんだ?」
ジンジャーがフィンに聞いた。
「魔物がいなくなるまで。」
フィンは、布団に入ったまま、眠そうに言った。
「ここにも、バンパイアがいるのか?」
「さあ…。一つ言っとくけど…。」
むくりとフィンが起き上がって、ジンジャーを見つめた。
「俺には、俺の目的がある。お前らの仲間を探すことは、俺の目的じゃない。ただお前らがついて来ただけだ。それに対して、別に文句を言う気はない。俺を利用して仲間を探そうが、勝手にすればいい。しかし俺には俺の目的がある。それは、俺にとって大事なことなんだ。お前にとって、仲間を探すことが大事であるように。」
いつになく真剣な表情で、フィンは言った。
「そうだな…。すまん。確かに、俺はお前を利用している…。お前の邪魔はしない。」
「別に謝らなくていいって。」
フィンは笑顔を見せた。
その笑顔を見て、ジンジャーも微笑んだ。
そして、親友の顔を思い出していた。
「あの町は、有名ですよ。魔物がよく出るそうで。」
「トパーズか…。ここからだと、ちょっと遠いな…。」
白い帽子を被った青年は、地図を見ながら呟いた。
「教えてくれて、どうもありがとう。」
青年は、白い歯を見せて笑って、酒場を出た。
青いマントを翻して、ラムは日の光の下に現れた。
「都会には、飽き飽きしていた所だし…。」
ラムは、もう一度地図を見て、頷いた。
「少し遠いけど、暇つぶしになるかも。」
そう言って、手に持った酒瓶を口に運び、喉を潤した。
…ガシャアン!
手を離した途端、酒瓶が落ちて割れ、中に入っていた酒が道端に飛び散った。
それを一向に気にしたふうもなく、ラムはすたすたと歩き出した。
ラムは馬車乗り場にやって来た。
トパーズまで、というと、決まって嫌な顔をされた。
「あんな恐ろしい所には、行きたくないな。」
「これで何とか。」
と、ラムは大金の入った袋を御者に手渡した。
「う…。」
御者は、困ったような顔をした。
「頼むよ。見れば分かるだろ?僕は猟師。あんたを危険な目にはあわせないから。」
「…分かったよ。」
御者はため息まじりに頷いた。
「出発は明日の朝だ。」
翌朝、一頭立ての小さな馬車に乗って、ラムはトパーズを目指した。
トパーズまでは、数日かかる。
途中の宿場町で休憩を取りながら進んだ。
二日目の夜、ラムは宿場町の小さな宿で休んでいた。
宿の一階は酒場になっていて、ラムはそこでくつろいでいた。
「ちくしょう!」
突然、客の一人が叫んだ。
それを横目でちらりと見て、ラムはその男が猟師であることを知ると、男に近付いていった。
「何騒いでるんだ?」
「何だあ?てめー!」
男は完全に酔っ払っていた。
「同じ猟師じゃないか。何があったのか、聞かせてくれないか?」
「うるせー!まさかてめーも行くってんじゃねーだろなあ!トパーズに。」
「ああ。そのつもりだけど?」
「やめとけ!俺はそっから戻ってきた。」
「へえ…。魔物はいた?」
「魔物どころか、化け物がいた!あの化け物男!髪が白くって、背中にでけえ古くせえ剣なんか背負って、猟師だとか言ってたが、ありゃ化け物に違いねえ!」
「ふーん。猟師がいたのか。」
「猟師じゃねえ!化け物だ!人の形をした化け物だ!」
「ケンカでもして、負けたのかい?」
「あんなの、勝負でも何でもねーや!化け物だって知ってたら、声なんか掛けなかった。」
男は悔しそうな顔で言った。
「とても興味深いね…。その化け物男とやらに、僕も会いたいな。」
にっこりとラムは笑った。その瞳に、鋭い光が宿っていた。