2/9 鬱っぽいので、病歴を思い出している

最近鬱の調子が悪い。頭にもやのかかったような感覚で大きな意思決定をするのに時間がかかる、最悪できない。鬱は慣れると乗りこなせるようになるものではあるため、今は乗りこなして何とか動いている状態だが、不慣れならばぜんぜん寝たきりになり得る状態だと思う。診断を受けたのは5年前でしかないが、おそらくかなり昔から鬱病であった気がするため、思い出すついでに書き残してみようと思う。長い文章を書くというのは鬱病人にとってだいぶ腰の重い行為だが、リハビリをしていきたい。

小学生の時は、「心の病気で保健室登校している」なんて子を自分とは別世界の不思議な存在だと思うくらい、まともに学校に通えていた。偉人の伝記を読んでいるとたまに出てくる「うつ病」というワードを、なんかものすごく気難しかったり努力しすぎた人がかかる奇病くらいに思っていた。しかし今思えば、親に布団たたきや物干し竿で殴られる、小遣いをほぼ貰えず軟禁される、外に閉め出されて玄関の前で寝る、ゲームも漫画もバスケもコーラも禁止、腐った肉が食卓に上る、毎日容姿をけなされる、こんな環境が異常なのだと気づけていなかっただけであった。

中学に上がると、よく家に招いてくれる親友ができた。その子のお母さんも親切な人で、よくご飯を食べさせてくれたり、帰りが遅くなる際うちの母に連絡してなだめてくれたりしていた。友達みたいに仲良く見える母娘だった。そのご家庭のお世話になるとき、本当に楽しくて心が安らぐ時間だったが、こんな優しい親子関係がこの世にあるんだと衝撃を受けた。「自宅に帰りたくない」、そういう気持ちが明確に芽生えたのはこの頃である。私立の中高一貫校に電車で通っていたのが、帰りの電車が自宅の最寄り駅に近づくと涙が止まらなくなることもよくあった。門限ぎりぎりまで最寄り駅周辺を徘徊したが、あんまり遅くなるとすぐ警察に連絡したりされるため門限は渋々守っていた。やりたいこととか本当に何もなくてすべてが苦痛だった記憶しかない。学校にいれば帰りたいと思うが、いざ帰る時間になれば帰りたい場所もない。仲の良い友人がしていることを何となく真似してやり過ごしていたため中高時代は全く何も成し遂げていない。関東圏では最高峰の学校であったのにもったいない。同級生も先生も面白そうな人ばかりだったし、やりたいことを主張すれば大体やれる環境だったにも関わらず、本当に一切何もできなかった。

何も成し遂げなかったという言葉の通り大学受験もてんでダメだったため一年浪人している。浪人中はある意味割とましだった。「勉強してくる」と言えばかなり遅くまでの外出が許されるようになったのと、半年で偏差値が20くらい上がったので流石にやりがいがあった。「あんたはブスだから、自分で手に職つけないといい旦那さんなんて現れないんだから」という母の言葉を愚直に受け取り、女でも食っていけそうという理由で千葉大学の薬学部を志望しており、受かったので入学した。冷静になってみたら興味の強い分野は文学や語学や社会学なので、真逆すぎて笑える。そういえばこの頃は電話番号が5件しか登録できなくて付属のヒモをひっぱると親にGPSの位置情報が送信されるキッズケータイを持たされていた。

大学時代は友人に恵まれ楽しい思い出もたくさんできたが、総合的にはかなりきつかった。初めは実家から通っていたが門限が厳しすぎて大学生らしい生活を送ることは不可能、さらにバイトが禁止で小遣いは月に1万+学業に必要な場合は申告すれば増える形だったため、実質軟禁みたいな形であった。このおかげで勉強しかすることがなく1年次は実は好成績であった(のちに破滅して学年で下から二番目に転落する)。親の言うこと聞いてこの生活を続けていれば案外今頃研究職とかについていたのかもしれないが、親と過ごすストレスのほうが大きかったため内緒でバイトを始め30万貯めてほぼ家出のような形で一人暮らしを始めた。こんな形で出てきてしまったため満足のいく仕送りなんてあるはずもなく、夜職のバイトをしまくるようになった。千葉大薬学部はまじめな校風で、夜職やってる子がヤバいやつ扱いされているのが耳に入ってきたりもしていたため、周囲には隠していた。そして謎のプライドで当時入っていた部活も結構お金がかかるのにやめられなかった(医療系の学部には、独特の形式の「部活」というものがある。みんなが思う大学の運動部ほどは厳しくないが適当なサークルよりははるかにきちんと活動している)。ゆえに「なんかよくわからんけど常に異常に金がなくて大学にも来ないカス」が誕生してしまった。学業についていけない後ろめたさで、研究室では誰とも仲良くなれなかったし、もういくら頑張っても巻き返せないくらい遅れてしまっていた。鬱もどんどん悪くなっていたしこれ以上この環境にいるのは無理だと判断し、大学院への進学を辞退した。このとき学部4年の冬だったため、まともな就活はせず適当な中小企業を受けまくって一番待遇がましだったところへ入社した。

会社に入るといよいよだめになった。営業職で入社し、外回りやテレアポをしているうちは楽しかったが、社長ワンマン経営の独特な社風があり、合わない人がどんどん辞めていく会社だったため常に人員不足に悩まされており、本来自分の仕事でない事務やクレーム対応を任され始めた。私自身は社長の独特さそのものは全然平気むしろ好きだったため、もったいなかった。バキバキADHDの私が営業も事務もと全てを任されて破滅しないわけがなく、突然会社に行けなくなった。ご飯どころか大好きだった酒さえ喉を通らず、身長が160cmあるのに体重が42kgまで落ちていた。休職中、いきなり金髪にしてTinderで男と会いまくったりしていたら双極性障害と診断された。

そしてそのあとは2年半ほど無職生活。前半1年くらいは実家に戻され閉じ込められて公務員試験の勉強をさせられていたため、全然心は休まらなかった。勉強はできる日は数時間したが、何もできずに朝からストゼロ飲みまくってガンギマっているだけの日もたくさんあった。今の状態はこの頃に似ている。嗜好品天国をはじめて自己肯定感が高まっていくにつれ少し元気な時期もあったが、もしかしたら元気なのが異常だったのであって、自分のデフォルト設定はあくまで鬱であり元に戻ってしまっただけなのかもしれない。鬱がぶりかえしたきっかけも思いあたるが、長くなってしまったし今回はこの辺で。今年30歳になるので、今やっている店以外にも仕事とか子育てとか広げていきたく、その一環として文章を書くリハビリも続けていきたいと思っている。毎回こんな文字数書くつもりはなく、もっとライトな回もあると思う。

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