2/10 赤の他人から「おかえり」と言われた日
家がないとか騒いでいるが、好きで宿泊先を転々としているだけであって実はいつでも帰れる場所は確保してある。池袋から少し歩いたとことにそのシェアハウスは立っていて、居住スペースこそ二段ベッドタイプの簡素な作りであるものの、一回が大きなカウンターキッチンとなっておりなかなか素敵な佇まいだ。4月末でここは閉鎖するらしく、今更新しい住人を探すのも難しいからと、運営者さんのご厚意でかなり安く住まわせてもらっている。まとまったお金ができたら何か恩返ししなきゃなあと思うくらいの破格である。
女性用フロアには私以外に2人の住人がいるが、全員ロングスリーパーっぽく、顔を合わせることよりも寝息が聞こえることのほうが多い。常に誰かしら寝ている。みんな一体何の仕事をしているのだろうか・・・。たぶん私も同じことを思われているだろうが。
そのうち一人が、ヨウメイと名乗る女性である。私がこの家に足を踏み入れてから初めて会話をしたのが彼女である。「土鍋で炊いたご飯があるので食べていいですよ。あと、うずらの茶葉卵と春雨の炒め物もあるから自由に食べてね。」シェアハウスで家賃に米が含まれているというのはよくある話だしここも例外でないが、おかずのほうは完全に善意である。人は(主語がでかかったな失礼。私のような卑屈な人は)突然純粋な善意を食らうとビックリしてしまう生き物だ。せめてあとからどんな見返りを求められてもいいように心づもりをしておこうと思いながら、おなかがペコペコだったのでありがたくいただいた。過不足なくおいしい家庭の味でありながら中華風のちょっと変わった食材がたっぷり入っていて美味しかった。
お互い生活リズムがばらばらだったためそれからヨウメイさんと話すタイミングは特になかったが、2回目に接触したのは私が数日後夕方に帰宅した際だった。彼女は一階の広いキッチンでやかんたっぷりにお湯を沸かしていた。「おかえり。ちょうどあったかいお茶を淹れたけど、飲む?」寒い日だったのでありがたく頂いた。茶葉から入れた香ばしい烏龍茶だった。あまりに自然な同居人っぽさに、見ず知らずの人間だと思って警戒していたことを申し訳なく思った。ヨウメイさんはルームシェアおよびシェアハウス歴が10年近くあるらしく、そういう人にとっては見ず知らずの新入りであったとしても同じ屋根の下に暮らす以上すんなり同居人として受け入れるのが当たり前なのかもしれない。また新たな人種を知ってしまった。
こういった、住人との近すぎず遠すぎずな交流は大変心地よいが、私は今大変くだらない悩みを一つ抱えている。それは帰宅して住人と鉢合わせた際、自分の根暗さゆえに「…ッス」「お疲れッス」みたいな陰気すぎる挨拶しかできないことである。「ただいま」は流石にタメ口過ぎる。そんなのは陽の世界の挨拶だ。何て言うのが適切なのか考えながら帰宅し、誰にも鉢合わせないとちょっと安心するとかいうしょうもないことを続けている。
ちなみにヨウメイさんは本日も「二月退去組の送別会兼ひるねの歓迎会」と称してでっかい中華風の鍋料理を作ってくれた。鍋炊きのごはんをまんがのような山盛りにしてくれたため、今でもおなかが苦しい。さらにちなむと今まで一度たりとも見返りを求められたことはないし、ニックネームと作る料理から中華系の方なのかと思っていたら、ただ中国文化が好きで熱心に学んでいる日本人であった。
おわり