ペルーの思い出と子供達
もう10年以上も前ですがペルーに旅してきました。
一人でペルーへ向かい、現地に先乗りしていた友人と合流。時が経つのも早いものですね。今こうして写真を眺めていたら、当時にタイムスリップした気分になったので、ここでもご紹介したいと思います。(iPhoneなど持ってない時代だったのでコンパクトカメラで撮影。かなりノスタルジックな仕上がりです。)
では皆様、10年ひと昔!ペルーの雰囲気を写真でお楽しみください!
ペルー旅。まずはペルーの入り口「リマ」の空港へ降り立ちました。都会のリマで当日はまずゆっくりし、翌日に次の都市へ移動しました。
到着した街の風景はとてもカラフル。
色鮮やかな組み合わせが特徴のこちらの織物のブランケット。荷物を包み運ぶ女性達。商人でしょうか。
その街からはバスで観光しました。 乾燥した高山エリアを何時間もゆらゆら進みます。草原ではアルパカも見ることができました。
途中、名前忘れてしまいましたが有名な教会へ立ち寄ってしばしの散策。ここの小さな街で見かけた民族衣装の女性達、乾燥した風景がガラッと華やぎます。
さらにバスで移動します。途中ではお土産屋さんにも立ち寄りました。アルパカが多く生息しているペルー、そのアルパカの毛で作ったセーターやブランケットが沢山売られていました。
山道の途中で民芸品を売る女性達。三つ編みの先のアクセサリーが斬新 地域が違うためか、(民族衣装?の)ファッションスタイルも違います。
次の日はコンドルが飛ぶ姿が目の前で見れるという「コルカ渓谷」へ。コンドルがこの渓谷に姿を現す時間帯というのはは大体きまっているそうで、それに合わせてコンドルが来るのを待ちました。
別日には再びバスで「チチカカ湖」へ向かいました。標高が高い場所でのバス移動が続きもう明らかな高山病にかかり、ぐったりな私。ガイドさんからはコカティーを勧められましたがどうにもこうにも辛い旅路でした。ちなみにコカティーはコカの葉を使っているのでお土産では日本へ持ち帰れません。
チチカカ湖へ到着。モーターボートで湖上の島、藁でできた「ウロス島」へ。この湖上にはこの藁の島が41個くらいあるそうです。
湖の水上タクシー。チチカカ湖は琵琶湖の12倍程の大きさの湖です。アンデス山中のペルーとボリビアの国境にまたがる標高3800メートルにあるチチカカ湖(なんと富士山より高い標高!)。6割がペルー領、4割がボリビア領となっています。
チチカカ湖のあたりはインカ時代以前から先住民が暮らしていた地であり、現在もチチカカ湖やその周辺にはケチュア族やアイマラ族といった先住民族が住んでいます。魚を捕り、穀物を物々交換をして生活をしていたそうです。(今はお金でもやり取りしてるそうですが)。また、湖の水を飲んで生活しているそうで、そう言った耐性を持った体だそうです。もちろん私たちが飲んだら大変な事になりますのでお気をつけて!
大人はみんな身長1メートル3.40センチくらいでした。
インカ時代の伝説の神々が刺繍された手作りのタペストリーを彼女から買いました。蛇やコンドル、太陽などの抽象画の様なものが刺繍されていました。藁葺きのお家は実際暮らしで使われているものです。
そこからモーターボートで離れた場所にあるタキーレ島へ
この島の男性は、独身、既婚者によってかぶる帽子が違うそうです
そうこう色々とバスで観光した数日。最後に向かう先はもちろんマチュピチュ!ここに行かずしては帰れません。クスコという都市で1泊して体を休めてから、翌日、電車でマチュピチュの麓の町へ向かいました。
とにかく乾燥しており、お肌はカピカピ、頭はバサバサに。。涙 ペルーへ行く方はローションをお忘れなく!
じゃん!そしてマチュピチュです。
マチュピチュへは一気に行かず、ふもとの村に宿泊してから翌日早朝にバスで頂上まで向かいました。実はこの日は私はまだ高山病、そして、友人はお水(おそらくレストランの水に入っていた氷)に当たってしまい、もう二人でフラフラしながら、何十分となく、ここからこの景色を眺めていました。そのため、見た瞬間の感動を味わう場合ではありませんでした。。苦い思い出。
ゆっくり休んでから、ようやく遺跡へ下ります
紙一枚入らないほどぎっしりと隙間なく積まれた石。不思議すぎる。
歩いていると一体自分達はどこにいるのか不思議な感じがして、じわじわと感動してくる私達。お供えの場所や水路なども沢山ありました。
隣の山ワイナピチュ。頂上からマチュピチュの遺跡を見るとコンドルに見えるとか見えないとか??大変危険な登山なのでチャレンジする方はお気をつけてお登りください。もちろん病人の私たちは断念。
マチュピチュの不思議遺跡は他にも沢山あるのですが、本当に見れば見るほど、どうやってあの石を持ってきたのか、どうやってカットしたのか、どうやって積んだのか本当に不思議でなりません。昔は重力が軽かった?とか超能力?くらいしか浮かばない私達の頭の中。。いまだに魔化不思議です。
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体調は何度も崩したものの、こんな感じで色々な場所を見て回ることができました。
バス旅中、立ち寄る公衆トイレには便座はなし!トイレットペーパーもない!という場所も多かったので、リュックにはトイレットペーパーを丸ごと装備したり、不便なことも多々ありました。しかし、そういう国や地域に足を延ばすことで、逆に学ぶこと感じる事もありました。
バスツアーの道中や離島の旅では子供達が寄ってくることが沢山ありました。ペルーで出会った子達は私たち観光客に作ったミサンガを渡してきてはお金をくださいと言ったり、写真をとるときにもお金をくださいと言ってきます。。私たちの通貨からしたら些細なものなので子供達にはもちろんお礼として渡してきました。しかし、これは生活の為、親へ回ってしまうお金もほどんどだと思います。その為、お金の代わりに子供達のお腹を満たしてあげたいと思うが故にお金の代わりにお菓子を渡す観光客も少なくはないそうです。離島に行った時にガイドさんが私達にこう伝えてきました。
「子供たちにキャンディーやお菓子をあげるととても喜ぶと思うけれど、どうかあげないでください」
とそしてこう続けました。
「もし虫歯になってしまってもあの子たちはすぐに治療できません。歯医者さんこの島にいませんから・・どうぞキャンディの代わりにえんぴつ や歯ブラシを渡して欲しい。そして、いつか来るお友達にもそう伝えてください。」
と。現実の彼らは歯医者に行ける暮らしでもなく、その歯医者自体も少ない。特にこの離島に限っては歯医者がいないそうです(当時の話です)。
タキーレ島でヤギを抱えて挨拶してきてミサンガを売ってくれた女の子や
ランチタイムに現れた現地の男の子
お小遣い稼ぎで民族衣装をちゃんと着て写真を撮ろうと言ってきた子達
みんな可愛く、みんな必死でした。
ペルーでのマチュピチュももちろん良かったけれど、私達にとっては子供達と触れ、ガイドさんに教えてもらえた、こんな経験が一番心に残った思い出でした。またいつか旅するときは日本の文房具や歯ブラシをこっそり鞄に忍ばせていこうねと友と話しながら帰路に着きました。
世界中たくさんの子供達の笑顔が広がっていきますように。この頃は独身だったけれど、今は子を持つ親になってますますそう思います。ハワイもいいけど、こういう旅も本当に人生を豊かにしてくれる旅ですね。出会う人、出会う景色に感謝しながら、たまにはこういう風に思い出して気持ちを改めたいと思いました。
とても写真が多くて長くなってしまいましたが、最後までお読みくださった皆様、ありがとうございました!
P.S.ペルーの歴史や観光地についてはこちらをご参照くださいませ♪