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KIKI KILIN さん

樹木希林さんの訃報 

寂しいですね。。。樹木希林さんはどことなくうちのおばあちゃんと言う事やる事がところどころ似ていたので、勝手におばあちゃんに重ねたイメージがあります。

記憶の始まりは、樹木希林さんが郷ひろみと2人で骨ダンスみたいな踊りをしていたTV番組から始まり、お正月のお茶の間を一斉風靡したCM「お正月を写そ」の富士フイルムのコマーシャル。そこからうんうんうん10年。最後観た映画は「あん」で止まってしまっているが、小さい頃から今まで私にとっては、最初から最後まで、面白みのある「おばあちゃん」のままだ。(希林さんゆるしてね)

私は母型の家族の初孫でもあったので、母型の祖母はおばあちゃんと言っても結構若かった。おばあちゃんは、人に気を使わせるのも、心配させるのもとにかく嫌いなタイプだった。褒めたりしても、ちょっと乱暴で面白い言葉のベールで包んでしまったり、そうかと思えば人のお節介ばかりしてしてるもんだから、謙虚なのに謙虚に見えない、人に気を使わせない、心配させない、の天才だった。おじいちゃんがガンで亡くなった時もそんな感じだったが、おばあちゃん本人が心臓病で入院してしまった時も、いつもと変わらず、周りの看護婦さん始め、お見舞いに来る友人、家族のお節介ばかり焼き続け、どちらが病人だかわからない対応をいつもしていた。

そんなおばあちゃんも13年前、その日当番だった、おばあちゃんが最後まで一番気をかけていた4人兄弟の末っ子娘(私の叔母)の前で安らかに天国へ逝ってしまった。だから、世話焼きの長女である私の母も、本家を守ってくれている長男の伯父ちゃんも、しっかり者の次女の叔母ちゃんも、みんな間に合わずに最後を看取ることはできなかった。末っ子のオバちゃんは、私たち孫組からしたら一番楽しく仲良く遊んでくれたアネゴ的存在だったが、本人は学生時代ちょっと道を外したというか、派手だったというか、おばあちゃんにとって一番手のかかる子だったんだと思う。「手のかかる子ほど可愛い」というが、きっと、嫁いで家から出てってしまってからも、人様に迷惑でもかけてやしないか、とずっと気にかけていたのだとおもう。

みんなが涙をこらえながら口を揃えて言っていた。「集まってもらうのも悪いから、寝静まった頃に合わせて逝っちゃったんだね。おばあちゃんらしいね」と。

最後までそんな感じのおばあちゃんだった。自分は欲がないくせに、周りには豊かさばかりを与えてくれる。ちょっと、雑だが面白い語り口のおばあちゃん。愛情のあるお節介がもうないかと思うとやっぱり寂しいな。。

テレビからいつも観ていた樹木希林さんしか知らないけれど、私のおばあちゃんとなんとなく重なって、おばあちゃんの最期の時を思い出したのでした。元気にしてますか?

命は大切に。おばあちゃんも言っていたな。

樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。

2018年9月17日 アメリカにて

https://withnews.jp/article/f0180831000qq000000000000000G00110101qq000017759A の記事より

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