モウリーニョの凋落 ~モウリーニョはどこから変わってしまったのか?~
『横柄な男と呼ばないでほしい。私が喋っているのは事実なのだから。私は欧州チャンピオンだ。他の有象無象の輩ではない。私は特別な男(スペシャル・ワン)だと思っている』
この伝説の会見から早20年が経った。この間、ジョゼモウリーニョというポルトガル人指揮官は数々の栄光と名誉を得てきた。チェルシーでは、チームを50年ぶりのリーグ優勝に導き、当時のマンチェスターUとアーセナルの2強体制を終わらせた。インテルでは45年ぶりのCL優勝と3冠を達成させた。レアルマドリードでも、見事、バルセロナ全盛期にチームをラ・リーガ優勝に導いた。その先も指揮していくクラブのほとんどでタイトルを獲得していった。タイトル総獲得数は驚きの26個だ。まさしく『稀代の名将』と謳われていてもおかしくないだろう。この20年間で彼は勝ち続けたのだ。
しかし、獲得したタイトル数を「2004~2014」,「2015~2024」の2つの時代で分けると見方が変わってくる。最初の10年間では4つのクラブで、14個である。毎年何かしらのタイトルを獲得している。だが後半の10年間では、凋落ぶりが見えてくる。6個である。半減である。
また項目別で見ると、前半の10年間のリーグ優勝回数は、前半では、5回であるものの、後半ではたったの1回である。チェルシー復帰の2シーズン目であり、最後に優勝したのはもう約10年前まで遡らなければならなくなる。もちろんタイトル獲得がすべての指標になるわけではないが、タイトルを重要視してきたモウリーニョ監督だからこそ、眼を背けてはいけない事実であると思う。
モウリーニョの迷走
なぜ、このようになってしまったのだろうか?理由は沢山ある。
まず彼が指揮した後半の10年間の内、7年間はプレミアリーグで指揮を執っていた。この10年間プレミアリーグはあらゆる分野でレベルが向上していった。莫大な放映権料により、ヨーロッパから沢山の選手を獲得し、チームの質を上げ、リーグ自体のブランディングにも力を入れ、更なる発展をした結果、今日のプレミアリーグを形成していったのだ。
また選手のレベルだけでなく、監督のレベルもだ。リヴァプールのユルゲン・クロップ監督、マンCのペップ・グアルディオラ監督をはじめ、優秀な監督がリーグに参加することになり、タイトルを獲得する厳しさは激化していった。更にサッカーの流行も、ポジショナルプレイや激しいプレスに移り、より攻撃的なサッカーにリーグ全体が変化していった。
この流れにモウリーニョはついていけなかったのだ。ペップやクロップがプレミアにいたシーズンの中で、モウリーニョは一度もリーグ優勝を成し遂げることは出来なかった。最高でも2位と、『優勝請負人』と言われた彼の姿はもう見えない。別のセリエAでもリーグタイトルを獲得できず、さらにはCL圏内ですら、ローマの3年間で成し遂げられなかったのだ。
だが、単なる現代フットボールの流れについていけなかったのが凋落の理由であると筆者は考えていない。それは単なる結果論でしかない。
モウリーニョ凋落の理由
ここで勘違いしてほしくないのは、筆者は大のモウリーニョファンである。彼に人柄や発言に惚れ、彼のチームを応援している。現在の彼を見るのは少しつらい部分もある。
大のモウリーニョファンである筆者が考えるモウリーニョ凋落の理由は、 彼の中の性質が変わってしまったことが根本にあると私は考える。それはサッカーのレベルや修正力という面ではない。それは彼のアイデンティティであり、選手に対する向き合い方である。この分岐点はレアルマドリード監督時に発生したのではないかと筆者は考える。
彼はレアルマドリード監督をする前、選手に愛される『昭和の親父』のようなタイプの監督であった。チェルシーのレジェンドであるドログバは、『ジョゼが別れを告げに来たときは異様な感じで、部屋の中は静まり返り、誰かが死んだような雰囲気だった。ランパードやジョン・テリーのような気丈な選手たちが泣き伏したり、目をうるうるさせていた』と告白しており、モウリーニョ監督が愛されていたことがこの事でも理解できるだろう。インテル退任時の、モウリーニョがCL決勝の地、サンチャゴ・べルナベウを離れる際に、マテラッツィと涙を流しながら抱擁するシーンなども有名なモウリーニョが愛されていた証拠のひとつであろう。このように元来、彼は選手に愛され、尊敬されるタイプの監督であったのだ。
しかし、レアルマドリード監督就任から、彼は数々の選手と激しく対立することが増えてしまったのだ。当時のクリスティアーノ・ロナウドやセルヒオ・ラモス、キャプテンのカシージャスなどと対立し、チームは内部崩壊していった。その後の15-16のチェルシーでは完全にロッカールームは壊れてしまい、選手から『モウリーニョのために勝つなら、負けたほうが良い』と言われる始末だった。マンチェスターUでもポグバやマルシャルとの対立、トッテナムでのデリアリとの激突など、彼は『愛される存在』から『憎まれる存在』になってしまったのだ。
モウリーニョを変えてしまったモノ
では何が彼を変えたのか?今までの流れから察する人もいると思うが、それはラリーガとペップグアルディオラという存在だ。
モウリーニョがレアルマドリード監督になったとき、スペインではバルセロナが国内を征服していた。当時まだ新進気鋭のペップグアルディオラが就任1シーズン目で6冠を達成し、国内だけでなく、世界のサッカー界の縮図を一変させたのだ。それは結果の面だけなく、プレーの面でもあり、当時のサッカーチームはどこも、そのバルセロナに憧れたのだ。
その状況でのモウリーニョの就任は『バルセロナを止める』という、レアルのペレス会長の、世界への隠したメッセージであっただろう。結果的にはモウリーニョはこのプレッシャーに耐えられなかったのだ。もちろん、リーグ優勝という結果は出したものの、記者会見でのペップとの舌戦、選手への過度なプレッシャー、メディアとの対立など、モウリーニョは沢山の彼の『毒』をあらゆる人間に巻いた。『天敵』のペップに対する『毒』の攻撃は異常であった。メディアでペップを容赦なく攻撃し、バルセロナをコケにするような言動も目立った。ペップがバルセロナを離れた際も、その『毒』は、消えず、その矢印がチーム内部に向いてしてしまったのだ。この時からモウリーニョの根本は変わってしまったのではないか。勝つことにこだわりすぎて、相手を必要以上に攻撃し、選手に対しても愛情ではなく、憎悪で接する。このような一連の行動を形成したのが、スペインでの環境だったのではないかと考える。
モウリーニョのこれから
今年の夏、モウリーニョは5大リーグを離れ、トルコのフェネルバフチェに就任した。彼にとって新しい道を渡ることになり、飽くなく探求心が今も残っていると感じる。この就任で一部では『終わった監督』として見られている現状もあるが、それは関係ないだろう。彼自身、インタビューで『いつか、プレミアリーグに戻り、代表監督などもやりたい』と述べており、まだまだモウリーニョの旅は続きそうだ。そのためにはやはり、今までの手法は変えなければいけない。それはサッカーのプレイの仕方ではなく、モウリーニョのパーソナリティの部分だ。より愛情を持ち、より敬意を持ち、選手やチームに接するべきだ。そうすれば、おのずと結果はついてくるだろうと筆者は考える。モウリーニョのこれからに期待していきたい。
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また次お会いしましょう。