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この世界にYESを。

今月初め、奈良行きの新幹線でなぜか降ってきた言葉たち。
記録用に残します。

✴︎✴︎✴︎


3年半ほど前に、私の今世での妊娠出産ターンは一区切りを迎えた。

でもどうしても、今でも思い返すと、あそこには全てがあった。
あそこに、すべてが凝縮されていた。


なぜだろう。
3人産んだどの子も2月生まれはいないのに、毎年2月あたりになると、妊娠中のこと、出産のこと、子ども達とのユニークでとても濃厚な瞬間瞬間を思い出す。


どの子も、男の子なのか女の子なのか、どんな性質を持っていて、なぜここ(地球)へ来ることにしたのか、お腹にいたあの頃、今よりずっとずっと鮮明に分かった。ごくごく妊娠初期の頃から。

元々染まりやすい私は、妊娠の度に胎児の性質に引っ張られてそれはそれはカラフルな妊娠期間だった。


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長男は、とても小さな頃から私よりずっと受け取るのが上手い子だった。
胎内記憶を事細かにはっきりと喋ったし、小さな体の中にまるで仙人が入っているような、ドキッとする事をよく言った。

今でもたまに、本当にふとした瞬間、秘密をこっそりシェアしてくれるように話し出すことがある。

我が家は鬼子母神様を祀っている小さなお寺で、節分には鬼の神様なので
「鬼も内、福も内」
と言って豆を撒く。

それを疑問に思った長男がその意味を大人から聞いた後、ふんふんと頷いてから少し考えるように一呼吸置いて

「うん。良いことだけじゃなくて嫌なこともあった方がいいよね。そうじゃないと変だもん。」

そう言った。
この子はどんな風にこの世界を見ているんだろう。

またある時、車の後部座席で私と2人になった時、いきなり話してくれたこと。

「たまにね、このあと起こることがわかるんだよね。(おでこのあたりを指して)この辺にテレビみたいな感じで見えるの。で、ほんとにそれが起こるんだ。」


この仕事を始めた当初、私よりずっと受け取りやすい長男や感じやすい次男を見ていて、これからはどんどんこういう子が増えるだろうと思った。

この子たちや次世代の子たちがより生きやすい世界になったらいいな、との想いもあり、抵抗があったスピリチュアルな世界に足を踏み入れようと思った。
つまり、きっかけのひとつだった。


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奈良行きの前日、日帰りなのに、寂しがりやの次男は布団の中で私にしがみつきながら聞いた。

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なんで神社に行くの?


、、、なんでだろうね。、、土地ってわかる?


わかんない。


場所のこと。


うん。


そこに"ありがとう"を言いに行くの。
お母さんもケンタも、地球に住んでるでしょ?


うん。


地球があるから、みんな生まれて生きていられるとお母さんは思うんだ。地球はみんなのお母さんみたいな感じ。


そうだね。


その地球の中の日本ていう国にいて、神社っていうのは日本の中の色んな場所をまもってくれてる場所なの。だからそこに行って、ありがとうって言うの。


それはお母さんが行かなきゃ行けないの?


お母さんじゃなくてもいいかもね。
、、、でもお母さんが行きたいんだ。


そっか。じゃあ行ってきな。


はい。
今度はハルやケンタも一緒に行く?


、、、ううん、いい。オレは行かない。


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想像通りの答えで、思わずほおが緩む。

この仕事を始めた頃、どこかでこの子たちのためにも、という気持ちがあった。

でも今は思う。


この子たちが生きるのは「次」なんだ。

心配なんて、いらなかった。

「ううん。オレは行かない。」


そう。

君は君の、道をゆくから。

今はお母さん、まっすぐにこう言えるよ。

お母さんがやりたいから、この仕事やってるんだよ、って。


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今でも昨日のことのように思い出す。

長女はお腹の中からずっと、私を鼓舞していた。


「お母さん、自分を生きてね」

呼吸を合わせて一緒に産んだこと。
生まれてきたこと。


女だろうが男だろうが、産もうが産まなかろうが

みんないつか「生まれてきた」


だからあそこは、原点で還る場所。


私自身はなんとなく、3年半前でひとつ、今世のミッションはクリアしている気がする。

それくらい、あそこにはすべてがあった。



あとは余生。


そう思ったら、思ってもみなかった道が用意されていた。

あとはもう、出し惜しんじゃいけない、と思った。



「なんでこの仕事をしようと思ったんですか?」

すごくよく聞かれるんだけど、中々はっきり答えられずにいた。


でも考えてみると、2年前?にはじめて公に名まえ読みを募集した時、私という人間のちっぽけな見栄やプライドや気恥ずかしさなんて届かない所から湧き上がるものがあった。

うまく言葉にできないけど、こんな風に思ったのだ。


この世界に差し出さずに、自分だけのものにしておく事は、やっちゃいけないことだ。


と。


つまり、NOという選択はそこには存在しなかった。


そう、私はあの時、この世界にYESと応えた。







(写真はお腹の中にいた長女と、生まれた長女)


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