【幸せのために、戦う】世界から戦争がなくならない理由
私の父は、中学校で社会科の教師をしていた。
大学では第二次世界大戦中の歴史について専攻していたので、平和に対する思いや熱意は人一倍強い。
しかし、思い込みの激しい性格ゆえに周囲の人間とぶつかることも多く、平和を説きながら生徒や教員仲間と喧嘩をしまくるという大きな矛盾も抱えていた。
端から見ればなぜそんなに自分の考えだけに固執するのか違和感しかないのだが、本人は自分が信じているただ一つの正しい価値観を皆に知らせるべきだと強く思い込んでいるようだった。
教師という職業柄も相まって、答えを知らない「未熟者」が目の前に現れれば、相手をどうにかして「教育」しようと躍起になるのだ。
自分の考えのみが正しいと思っているので、身近にいる人間は大変である。幼い頃の記憶をたどれば、父はいつも娘の私になにがしかの「平和教育」を施していた。
「いいか、戦争のない世の中にするには、世界中から武器をなくす必要があるんだ。武力行使ではなく、優れた金融政策を行うことで、世界は平和的に統一される」
武器や核兵器の存在を排除することが、世界が平和になる唯一の方法だと父は語り、娘である私にも同じ価値観を受け入れるよう強く勧めた。
その意見自体には、賛成だった。
しかし、諭されるたびにいつも疑問を抱くのだ。
娘の考えや周囲の意見を尊重せずに、全ての価値観を自分の思い通りに染め上げようとする父の支配欲は、戦争の根本にある暴力と同じではないのかと。
何もかも自分の思いどおりに統一しようとする思想こそが、私には戦争の正体に見えて仕方がなかった。
父は熱心に平和について語りながら、いつもどこか苦しそうだった。
ずっと平和を説きながら、自分の頭の中に巣食った戦争の仕組みから逃れられないでいたのだ。
*
父の性格がこのように形成された背景には、生い立ちの過酷さが影響しているように思う。
父方の祖父は癇癪持ちで、気に入らないことがあるとすぐに息子や妻を怒鳴りつけるような人だった。
瞬間湯沸かし器のようにカッとなると、自分の感情がコントロールできなくなり、相手を頭ごなしに押さえつけてしまう祖父。
家族はいつもおびえていた。
そんな家庭の中で、小さな少年が自我を確立させるには、恐ろしい巨大な存在に負けないくらい、強靱な信念が必要だったのかもしれない。
自分以外の相手を否定して跳ね返し、時に攻撃し、支配してしまえるほどの、強靱な信念が。
戦争の悲惨さを説いているときの父には、巨大な権力に踏みにじられる側の悲しみと怒りが渦巻いていた。
大きな存在にあらがえず、簡単に潰されてしまう小さきものたち。
それは戦争被害者の姿であると同時に、かつて家の中で暴力にさらされて震えていた父自身でもあった。
あらゆる類いの幸福な未来が、暴力一色に塗り替えられていく絶望感とやりきれなさ。
自分の力だけではどうしようもない、ままならなさに打ちひしがれながら、父はやがて自分とは異なる、平和を愛さず暴力に頼る者は敵であり、すべて排除しなければならないと考えた。
それが最も嫌っている存在と同じだと気づかずに。
父はただ、幸せになりたかったのだ。
心から安心できる、温かい環境や人との関わりを欲していただけだった。
幸せを追い求めて必死になるあまり、知らず知らずのうちに暴力に取り込まれ、やがて終わらない憎しみの連鎖に閉じ込められてしまった。
誰もが戦争を嫌っているにもかかわらず、いまだ戦い続けている大きな理由もここにある。
皆、気づかないうちに暴力に支配されているのだ。
暴力はまるで正義のような顔をして、こころの一番弱い部分に入ってくる。そして、自分を傷つけたり、恐怖を抱かせたりする存在をこの世から排除することで、平安が訪れると私たちに思い込ませる。
飢えのない安全な環境や愛する人と穏やかに暮らせる生活が、戦争で手に入れられると、多くの人は強く信じてしまうのだ。
こころの傷を癒し、お互いに共存していくことでしか平安は訪れないことを忘れて、私たちは幸せのために戦争に踏み切っていく。
幸せになるためなら、建物を破壊して自然を焼き尽くし、人を殺すことさえもいとわない。
*
このような暴力の罠にひっかからないためには、一人ひとりが傷ついた自分のこころを癒し、私たちが渇望している幸せとは何かを理解することが大切だ。
幸せは世界のどこかに存在しているわけではない。
物質や環境に宿っているわけではなく、人間のこころの感覚である。
たとえ目の前のモノ・コトがとても素晴らしく、自分を幸せにしてくれそうに見えたとしても、それら自体に私たちを幸福にする力はない。
目の前のモノ・コトは自分の心を映し出す鏡でしかない。
鏡が私たちを幸せにしてくれるのではなく、もともと「あった」幸せが鏡の中に映り込むからこそ、幸福を感じられる。
幸せは私たちの心の中に常に存在している。
暴力の限りを尽くして世界中を探しても見つかるわけがない。
奪おうと思って奪えるものでもない。
求めることをやめて、感じる事に集中すれば、あらゆるモノ・コトを通して、幸せは目の前に現れてくれるだろう。
より深く自分と向き合って傷を癒し、こころの底から幸せになること。
それが戦いの連鎖から抜けだし、平和へとたどり着く近道だと信じている。
―終戦記念日によせて―
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