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あの頃とこの頃とこれからと

プロレスは、点で見るより線で見た方が面白い。

よくそんな言葉を聞くけれど、
さすがに10年という長い月日をずっと追い続けてくれたファンの方は、私の知る限りもう少ない。

プロレスラーとしてデビューしたあの頃。
一切の運動経験がなく入門したから
慣れない練習で身体はとにかくあちこち痛いし、
上下関係も何も知らず比較的自由に生きてきたから、
初めて身を置く体育会系に、次第に心も痛くなって。

常に頭の中で「もう逃げたい」って気持ちと
「諦めたくない」って気持ちを反復させながら、
自分が今後どうなるかなんて考える余裕もなく、
目の前にある、これまでの人生では非日常のような日常を、追う事に必死だった。


私のプロレス生活の入り口は団体が用意してくれた6畳1間の寮から始まった。

当時の私は20歳。
生まれて初めて赤の他人との共同生活。
勿論その空間にプライベートなんてモノはない。

さらに新人時代なんてお金がないから
食べる物、着る物、常に誰かから貰ったり
1円でも安いものを選ぶことしかできなかった。

そんな環境なので当然遊びに行く事も出来ず。
ハタチという1番遊び盛りな時間を、全てプロレス生活に費やしていた。
今思うと、なんか勿体無いことしたなぁ。笑

でもこう並べると まるで地獄のような日々を送っていたように聞こえるけど、
あの時はそれほど苦でもなかったというか、それはそれで楽しめていたような気がする。

プロレスに大きな夢を持っていたし、
いつも周りには大切な仲間がいた。
同期の山下りなと小林香萌。
そして1つ下の後輩・HIRO'e。

ここではあえて、
当時からの呼び名である本名の「長浜」と呼ばせてください。
彼女は私にとって、唯一といえる後輩だった。

今でこそキャリア上の後輩は沢山いるけど、
1から面倒を見て、共に暮らして、
同じ釜の飯を喰ってきた後輩は長浜しかいないから。


しっかり者な長浜はよく気が回るから、
私たち13年組は完全にそれにどっぷり甘えて、
側から見たらどちらが先輩か分からなかった。

思い出が沢山溢れ過ぎて、却って1つ1つのエピソードが弱い。
まるで長浜の居酒屋トークと同じだ。

同じ寮に住んでいたから、起きてから寝るまで常に一緒。
謎の応援歌CDを2人で聴いて夜中に腹を抱えて爆笑したり、
どこからか連れて帰ってきた野良◯◯◯◯(ここには書けないので気になる方は直接聞いてください)で寮内に不穏な空気が流れたり。

10年以上も前のことなのにまるで昨日のことように鮮明に思い出せる。

お金がなくてもボロボロになっても、
仲間と過ごす時間が楽しかったから、プロレス界でなんとか踏ん張れていた。


だけど私は当時から、同期や後輩とは仲良くする事が出来ても、上下関係に順応する事は苦手だった。

可愛げもなかったし、ついでによく遅刻やら忘れ物をやらかして、よく先輩から怒られていた。

基本的にはその殆どが私が原因によるものであり、怒られても仕方のない内容だったけど、
時には納得いかない理由で怒られる事もあった。

感情を自分の中で押し殺す忍耐力もないから、
どうしても我慢出来なくなって控え室を飛び出した私のリングシューズは、ゴミ袋の中にあった。

それをそっと回収し、持ち帰ってくれたのは長浜だった。

彼女は何事もなかったようにいつも通りに振る舞って、私にリングシューズを返してくれた。


しばらくして私はフリーランスに転向した。
当時の会見の様子はニコプロでも配信され、
「不円満退団」とハッキリ銘打たれたソレは、少しだけ周囲をザワつかせた。

所属として最後に立った後楽園ホールのリングを最後に、
私は故郷であるプロレスリングWAVEと決別した。

そこからの私は、公の場で二度と「WAVE」という単語を口に出す事はしなかった。
代わりにフリーランスとして自分の名前を売り、
自分で自分の居場所を作る事に必死だった。

油断をしていたらプロレス界から振り落とされてしまうから、とにかくしがみついて、
ナメられたら終わりだと思っていたから、虚勢を張って生きていた。

表で名前を出す事はないにせよ、
常に意識の中にはWAVEに対する『見返してやる』という気持ちが大きかったのかもしれない。
感情の置き所は今と違えど、常に意識の中には無意識に、故郷の存在があった。


そんな中、長浜が引退を発表した。
彼女は私に「最後に試合がしたい」と話してくれた。

初めて出来た唯一の後輩を見送る事は、
私が先輩として出来る最後の務めなのかもしれない。

とても試合がしたかった。
彼女に直接リング上で「お疲れ様」と声をかけてあげたかった。
彼女の引退ロードを私も共に見届けたかった。

だけど私は、そのオファーを断った。

それがファンも選手も誰も喜ばない選択である事は分かっていたけど、
一度退団した身の私が「WAVE所属の長浜」と試合をする事は、自分自身が許せなかった。

WAVEの敷居を跨ぐ自分も許せなかった私は、
引退試合を見に行く事もなく、
長浜はそのまま選手としての活動を終えて、リングを去った。

きっと、絶対、後悔する。
そんな事は最初から分かっていたけど、
長浜は一番近くに居たからこそ、当時の私の気持ちを理解してくれていたのかもしれない。
やっぱり彼女は何も言わず、引退後もいつも通りに振る舞ってくれた。


そんな強情な私ですが。

ひょんな事から数年前、GAMI会長と数年ぶりの再会。
最後にお会いしてからこの日に至るまで、さすがに時間が経ちすぎて、

きっと私もGAMIさんも、
その間に退団以上の出来事や事件を多く経験し、
許容範囲や過去を水に流せる余裕が生まれていたのかもしれない。

その場は一瞬 現場をピリつかせたけど、
GAMIさんから「写真撮ろうや」と歩み寄って頂いて、
「だったら一緒に乾杯しませんか?」とその場で酒を酌み交わして、
散々 周囲の関係者やファンに気を使わせてきた長きに渡るWAVEとの対立は、この日を最後に終焉を迎えた。

…え?そんなあっさり?って思うよね。
正直 私ですら、あまりにもあっさり過ぎて引いてるんだけど…笑


退団したあの日から再会するまでの間に、
私自身も良い意味で肩の力が抜けていたから、そんなあっさりとうまく事が運んだのかもしれない。

それまでの「プロレス!売れてやる!全員見返す!」の頭から、
色んな事を経て 何もかもどうでもよくなり、
自分は周りからどう見られているのか、上にいくにはどうすればいいのか…
そういった虚栄心を持たなくなった。持ったとしても長く保てない。

その場その場で、
自分の心が楽しくいられる方向に、
流されるままに進んでいく。


大人として、レスラーとして、それはどうなんだと思う自分もいるけど。

色んな思考から解放された今の方が
だいぶ心地良くて、呼吸がしやすくなった。


それでも、
“結局 和解するのであれば、「試合をしない」という選択は間違っていたのではないか?”と思う人もいるかもしれないけど…

あれは間違いなく、
“あの時の自分には必要なプライドだった”と答える。

側から見たら要らないプライド。
だけど私の軸にあったのは故郷への反骨心だったから、
それに鎧をつけるため、または隠すためには、
ある程度のプライドが必要で、そのおかげで今の私がある。


強がりで、だけど痛みに弱くて、思考がこんがらがって、素直になれない。
これは今も変わらずだけど、面倒な女なんです私は。


そんな私の事を、長浜と同様
10年前からずっと側で見守り、支え続けてくれた友人がいます。

雪妃真矢。

私が他団体で出来た、初めてのお友達。
お互いデビュー1〜2年目の頃に、怪我で欠場していた期間が被っていた事もあり、すぐに仲良くなれた。
それからはプロレスの事もプライベートの事も、とにかく何でも話せる大切な友人です。


そんな彼女が迎える、記念すべき10周年記念興行。
私もこの大会に呼んでもらいました。

雪ちゃんが用意してくれた対戦カードは…

【夏すみれ & 山下りな vs HIRO’e & 炎華】


後悔はない。間違ってはいない。
そう言いつつ心の中では常に引っかかり続けていた長浜との試合を、雪ちゃんが叶えてくれました。


雪妃真矢の あの頃とこの頃とこれからを紡ぐ、大切な記念大会。
彼女自身が大会を目前に負傷を負い、欠場となってしまいましたが、

状況が変わろうがこの試合に対しての思い入れはブレませんので、
私にとってのあの頃とこの頃とこれからを詰め込んで、長浜と試合をします。

そんな試合を、
雪妃真矢の大切な興行の一部に組み込んでくれたことを、めちゃくちゃ感謝してる。
だから安心して、この試合は私達に任せてください。


2月15日(土)13:00〜
@後楽園ホール
雪妃真矢10周年記念自主興行
【あの頃とこの頃とこれからと】


もう今のファンには誰にも知られていないかもしれない。
でもそれでも良い。
あの頃からの点と点が、線で繋がる試合を、
沢山の方に見届けて欲しいです。

沢山のご来場お待ちしております。


あの時できなかった試合をしよう。

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