第8話 一緒に課題をする君
『それじゃ、湊くん。明日は10時に駅前のあれの前で』
「うん、わかった」
おれは電話を持ったまま頷いた。電話で会話をしているあかりちゃんには見えないのに、ついやってしまう。
『それにしても、湊くんの私服が楽しみだなぁ。どういう感じなんだろう?想像しちゃおうかなぁ』
「やめてって。それと、あんまり期待しないでよ。ガッカリさせたら嫌だし……」
もう、と言葉を加えて返すと電話口からあかりちゃんの小さい笑い声が聞こえた。
揶揄っているというよりは、おれに期待しているということなんだろうけど。
それはそれで期待に応えられなかったらどうしよう。そう考えてしまう自分の性格がちょっと嫌になる。
『ふふ、大丈夫だよ。湊くんだし。それじゃあ、そろそろ電話切るね。おやすみなさい』
『おやすみ、あかりちゃん」
電話を終えて携帯電話をベッドの上に置いた。あかりちゃんとはじめて電話をした時からずっと、ベッドに座ってぬいぐるみを膝の上に置いている姿勢で電話をしていた。この姿勢が落ち着くということでもあるんだけど。
視線を時計に向けると、今日も1時間くらいあかりちゃんと会話をしていた。いつも電話するとこのくらい話している。これにはおれ自身も驚いていた。
あかりちゃんとの初めての電話の時に『夏休みになったら何かしようよ』と言われて、予定を立ててきた。それが明日なんだけど、まだ8月になるまでもう数日ある7月の末で、まだ夏休みになったばかりだった。
おれはベッドから立ち上がってクローゼットの前に立つ。今のうちに明日の洋服を選んでおきたかった。明日になってからだと時間が掛かりそうとしか思えなかったからだ。
今おれが持っている洋服の多くは姉から押し付けられたものになってしまっている。だから明日着ていく洋服は、その中から選ばないといけない。
姉と出かける時とは違うので、自分が女装に見えてしまうような洋服を選ぶわけにはいかなくて。少し可愛い感じになってしまったとしてもいいから、女装に見えないようにしたかった。
自分の洋服のはずなのに、なんでこんなに悩むのだろう。そんなことを思い、ああでもないとぶつぶつ言いながら、おれは洋服を選ぶのだった。
翌日。
昨夜のうちに洋服を選んだはずなのに、待ち合わせの時間に少し遅れそうだった。だから、おれは早歩きで待ち合わせ場所に向かっていた。
そんなことになってしまったのは、朝になって昨夜選んだ洋服がシックリこなくて洋服を選び直していたからだった。
結局、バタバタと着ていく洋服を選び直して細身のジーンズに白いティーシャツを着て、その上から水色のカーディガンを羽織った。
これなら大丈夫だろうとは思っている。カーディガンが右前だけど、たぶん大丈夫。これにはちょっと自信がないけど。
駅前のバスロータリーに到着して、待ち合わせ場所の駅前のあれに向かっていく。
駅前のあれというのは、バスロータリーの外れに設置されているモニュメントのようなもので、よく分からない現代アート作家が作ったものらしい。何を表しているのかイマイチ分からない上に難解な名前が付けられているから、みんな呼び方が分からずに駅前のあれと呼ぶようになった。
駅前のあれが近くなると、すでに到着して待っているあかりちゃんの姿が見えた。
「ごめん、待たせちゃったよね?」
近づいてあかりちゃんに声を掛ける。すぐに気づいてこちらに振り返ると、着ているワンピースの裾が軽やかに舞った。
「ううん、そんなことないよ。ちょっと前に来たところだから。それに陸上部だから先に着きたくなるんだよ」
「それ、陸上部関係ある?」
すぐにおれが言うと、あかりちゃんは「いいの、いいの」と言って、おれが羽織っていたカーディガンを指差した。
「湊くんのカーディガン、あたしのワンピと同じ色だね」
そう言ってあかりちゃんは自分のワンピースを指した。あかりちゃんのワンピースのほうが淡い色合いだけど、おれのカーディガンと同じ水色だった。
「青系の色が好きなんだよね、あたし。湊くんは?」
「おれ?どうだろう……青は好きかなぁ」
「ふふっ、一緒だね」と笑みを浮かべた。
好きな色って改めて聞かれると、実はよく分からないかもしれない。青系の色は好きではあるんだけど、それはいまだに青は男の子の色というイメージを持っているせい、ということなのかもしれないわけで。今どきそんなことはないのだけど。
「ていうか、湊くんの私服が可愛い。すごく湊くんらしいと思う」
あかりちゃんにそう言われたけど、おれらしいってどういうことだろう。もし、今日のおれが格好いい服装をしていたら、イメージと違うとか言われていたんじゃないだろうか。
「あかりちゃんの私服も可愛いよ」とおれも言葉を返した。
「ほんと?うれしい。私服姿を湊くんに見せるのがはじめてだから、昨日の夜からうんと考えてたんだよ」
「おれも昨夜から考えてたよ。電話であんなふうに言われるとさ、ガッカリさせたくないじゃん」
「そうだよね。あんなことを言ったあたしもさ、湊くんに可愛くないって言われたらどうしようって不安になったんだから」
「じゃあ、お互いガッカリしなくてよかったね」
「ほんとだよぉ」と言って、あかりちゃんは声を出して笑った。
普段は制服姿しかお互いに見ていないから私服姿が新鮮すぎて、待ち合わせ場所からなかなか出発できないでいた。
「あれ、湊くんのカーディガン。右前なんじゃない?」
「うん、これ姉からのお下がりなんだ」
おれは嘘をついてしまった。
姉から貰ったことには変わりないんだけど、つい姉からのお下がりと答えてしまった。
「姉とおれ、あんまり体格が変わらないんだよ。それより、そろそろ出発しない?」
深く聞かれてしまうとどこかでボロが出ていまいそうだったから、おれはちょっと強引に話を終わらせようとした。あかりちゃんは不審がる様子もなく「そうしよ」と答える。おれはホッとしてゆっくりと息を吐いた。
駅前のあれを離れてバスロータリーに向かい、今日の目的地の図書館へ行くバス停で、2人並んでバスが来るのを待っていた。
図書館で何をするかというと、夏休みの課題だ。あかりちゃんはおれに分からないところや苦手なところを教えてもらいながら、早めに夏休みの課題を終わらせてしまいたいということだった。
今日の予定を決める時、他にもいくつか候補はあった。だけど、おれとあかりちゃんの2人で出かけるのははじめてだったし、遊びに出かけるのはまだ早いんじゃないか。という、お互いにイマイチ積極的になれなかった結果、図書館で課題をすることになった。
図書館へ行くバスが到着してバスに乗り込む。車内に人はまばらで、後ろの2人掛けの席に並んで座った。幅が狭い座席だから密着するほどあかりちゃんとの距離が近かった。
バスに乗って5分ほどで図書館前のバス停に到着してバスを降りた。
図書館の場所は自宅からなら歩いて行ける距離なんだけど、今日の待ち合わせが図書館とは逆方向の駅だったからバスを使って移動した。
バスを降りてすぐに図書館の建物が見えてきた。ここは姉が通っている高校に近いから、建て替えられて新しくなったことは聞いていた。実際に見るのははじめてだけど、想像しているより綺麗で大きな建物だった。
「すごく立派な図書館」とおれの口から言葉が出る。
「だよね、図書館じゃないみたい。なんかね、近くに食事できそうなお店もあるみたいだから、お昼はそこにしようかなって。どうかな?」
「うん、いいと思う」
「じゃあ、決まりだね。さ、行こう湊くん」
図書館のエントランスから中に入る。正面に受付を見つけたので向かう。
「すみません、勉強スペースを使いたいんですけど」
あかりちゃんが受付の人に聞いた。
この図書館には読書以外に勉強で使用できるスペースがある。おれたちはその勉強スペースで夏休みの課題をすることにしていた。
「当館のご利用は初めてですか?」
「そうです」とあかりちゃんが答えると、受付の人が用紙を2人分渡してくれた。受付を離れて近くにある記入台に移動して、渡された用紙を置いた。見てみると利用者の登録用紙のようだった。
2人並んで名前や住所といった記入事項を埋めていく。先にあかりちゃんが書き終えて、おれが書き終えるのを待ってもらって、それから受付の人に出しにいった。
受付の人が手続きをしている間、おれは図書館の中をくるりと見回していた。建物の中もすごく綺麗で照明が明るい。それに天井が高くて開放感がある。もちろん本棚も高くて、上の段はおれの身長では届きそうにない。
「お待たせしました。これが当館の利用者証です」
受付の人からカード型の利用者証を受け取って、おれたちは図書館の奥にある勉強スペースに向かって歩いていった。
「ここかな?」
パーテーションで簡易的に区切られた空間に入るとおれは言った。
その空間には大きな机がいくつかあって、机を囲むように椅子が並べられていた。勉強スペースと聞いていたから個室のような感じだと思っていたんだけど、コワーキングスペースのような開放的なスペースだった。
「ねぇ、湊くん。窓に近いあの辺りはどうかな?」
あかりちゃんが窓に近い席を指さしていた。窓の外から日が入っているから明るくていいかもしれない。
「うん、そうしよう」と答えて窓に近い席に並んで座った。
「何からはじめる?」
自分の鞄を膝の上に置いて、中に入っている課題の冊子を見ながらあかりちゃんに聞いた。
「うーん、どうしようかな……」
あかりちゃんも膝の上に鞄を置いて鞄の中身を見始めた。すぐに課題の冊子を一冊出しておれに見せた。
「理科からでいいかな?」とあかりちゃんが言うので、おれは「いいよ、じゃあ理科からね」と答えて、自分の鞄から理科の冊子を出して机の上に置いた。
「あたし、理科が好きなんだ。実験とか楽しくて好きなんだよね」
「なんか意外かも」
「それって褒めてる?」
「もちろん、そのつもり」と答えて、おれはふふっと笑った。
「笑われるとビミョーな感じ。テストだって、理科はいちばん点数がいいんだよ」
あかりちゃんはなぜか冊子に挟んでいた期末テストの答案用紙を出して机に広げた。
「えっ、本当にすごい」
答案用紙に赤字で書かれていた点数は98点だった。この点数はおれの期末テストの点数よりも高かった。
「理科なら湊くんに負けないかなって、見せたくて持ってきたの。えへへ」とあかりちゃんは笑いながら、広げた答案用紙を畳んでまた冊子に挟んだ。
「さぁ、さっそく始めようか?」
「うん。湊くん、よろしくお願いします」
あかりちゃんがおれに身体を向けてぺこりとお辞儀をした。すぐに机に向かって座り直して課題を始めた。
課題をやると決めてはいたけど、実際にどう進めようというところは何も考えていなかった。
だからおれは黙々と課題をするというよりも、あかりちゃんが分からない部分を重点的に教えるようにしようと決めていた。別におれ自身の課題が終わらなくても後でやればいいだけなんだし。
実際に始まってみると、あかりちゃんが分からない部分はハッキリしていて、分からないところが分からないということではなかった。
あかりちゃんだってクラスで10位に届きそうな成績をしているんだから、決して成績が悪いわけじゃない。教えている時に、理解ができなくて苦しむようなことは一度もなくて、分からないふりをしているんじゃないかと思うくらいだった。
あと、ひとつ気づいたことがあった。教えるときにはその内容を自分の言葉で説明しないといけないんだけど、言葉にして説明するとおれ自身もより理解が深まっていた。人に教えることが自分のためにもなることに気づけてよかった。
「ふあぁ……」
あかりちゃんが椅子に座ったまま身体を伸ばしていた。
課題は順調に進んでいて、理科の課題を終わらせてそのまま続けて英語の課題が終わったところだった。
「んんっ……んー」
あかりちゃんから少し遅れておれも身体を伸ばしたら声が出た。ずっと同じ姿勢で休憩もしないで課題をしていたから身体がほぐれてすごく気持ちいい。
「はぁ……」と伸ばした身体を戻してからまた声が出た。何か気になって隣を見ると、あかりちゃんがジッとおれを見ていた。
「どうしたの?」
あかりちゃんに顔を向けて聞いた。
「湊くん、なんて声を出しているの」
あかりちゃんはこの前堀田さんがあかりちゃんに言っていたことの真似をした。身体を伸ばしている間ずっと見られていたと思うとちょっとだけ恥ずかしくなる。
「なんか、色っぽい声だった……」
「言わないで、ただでさえ聞かれて恥ずかしいんだから。というか、あの時のあかりちゃんだってさ……」
「あの時って?」と聞かれる。あかりちゃん自身は分かっていて、わざとそんな言いかたをしているように感じた。
「ふふ、冗談。あの時、あたしだって恥ずかしかったんだから」
あかりちゃんは小さな声で笑った。さすがに図書館だから、あまり騒がしくするようなことはしない。
おれは携帯電話を出して、今の時刻を見ると11時半を少し過ぎたころだった。
「お昼どうする?」と携帯電話に表示されている時刻をあかりちゃんに見せながら聞いた。
「うーん、もう少しやりたいかな。湊くんはどう?」
「うん、それでいいよ。じゃあもう少しやろうか」
おれは携帯電話を鞄に戻して、次の課題を出した。次は数学で、あかりちゃんが得意な順番で課題を進めていった。
課題を再開して、途中少し休憩を挟んだりしていたけど数学の課題を終わらせてそのまま社会の課題も終わらせた。
勉強って、気持ちが乗ってくると止まらなくなる。それは今日の課題でも同じみたいで、途中から今の時刻が気にならなくなっていた。だから終わってみると14時を過ぎていた。
残る課題は国語だけになったけど、課題の内容に読書感想文があって、感想文を書くための本を選ぶ必要があったので、ここで一度区切ることにした。
「ふあぁ、疲れたなぁ」
終わったばかりの冊子を閉じて、あかりちゃんは両手を上げた。おれも一緒になって両手を上げていた。
「ほんと、湊くんのおかげだなぁ。教えるのも上手だよね、すごいなぁ」
「そう?おれ、人に勉強を教えるなんてはじめてだったからさ。上手いかどうか分からないんだけど」
「上手だよ、自信持っていいと思う。あっ、お世辞とかじゃないからね」
あかりちゃんが最後に付け足した一言で、おれが言い返そうとしていた言葉がなくなってしまった。
「じゃあ、お昼に行こう」と言って、荷物をまとめてから図書館を出た。
「あっつ……」
外に出た瞬間に声が出る。
図書館の中は寒いというほどではないけど、冷房が効いていて過ごしやすかった。長時間居たせいで余計に外が暑く感じているのだとは思う。
おれたちは図書館を離れてバス停とは逆方向、図書館に隣接する公園に向かって歩いていた。
少し歩くといくつか店舗が並ぶ長屋のような建物にたどり着く。あかりちゃんが言っていたお店というのはここのことなんだろう。長屋の端から見ていったけど、飲食店はお昼の時間までのようで閉店していた。
「ああ、閉まってる……」
あかりちゃんが肩を落としていた。他にもう一軒、飲食店があったけど同じように閉店していた。
その長屋の奥、立て看板の出ているお店が見えた。立て看板の前まで行くと『今日のおすすめ』の文字とパンのイラストが描かれていた。そこはパン屋さんのようだ。
「ここにしようか?」と聞くと、あかりちゃんは「いいね、入ろう」と答えたので、2人でパン屋さんに入っていった。
パン屋さんに入ると甘くて香ばしい香りがした。それぞれにトレーをとってパンを選んでいく。さすがにお昼を過ぎた時間だから残っているパンはあまり多くない。
少し迷いながらサンドウィッチを選んだ。おれが迷っている間に、あかりちゃんはもうお会計に向かっていた。
パン屋さんを出て、どこで食べようかと話しながらなんとなく公園に向けて歩いていた。外は暑いけど公園なら日陰が多いから少しは涼しいとは思ったからだ。
こうやって2人で歩いていると、デートみたいだなとふと思った。そうしたら急に緊張してきた。でも、あかりちゃんは噂の的になるのが嫌だと言っていたし、あまりデートみたいだなんて思わないようにしよう。もちろん、口にもしないようにはしたい。
「あそこに座って食べない?」
あかりちゃんは日陰にあるベンチを指差しておれに聞く。おれが答える前にパッとおれの手を掴むと、あかりちゃんはそのまま引っ張ってベンチへ歩いていった。
2人並んでベンチに座って、さっそく買ったパンを出す。横を見るとあかりちゃんは丸いパンをかじっていた。
「あかりちゃんは何にしたの?」
「あんぱん。あたしね、あんこが好きなんだ。湊くんはサンドウィッチだよね?」
「うん、そう。野菜に卵にバランスよく摂れそうだからね」
「湊くんらしいなぁ、ちゃんと栄養とか考えてて」
「そんなことないって」とは答えたけど、サンドウィッチは自分でもよく作るから味付けとか参考にできるかもしれない。なんて思いながら食べていた。
サンドウィッチを食べ終えて、お昼ぶんのサプリメントを飲んで、それから携帯電話を鞄から出して、メッセージが来ていないか見ていた。
「そういえば湊くんの携帯、写真って撮れるの?」とあかりちゃんがおれに聞いた。
おれは頷いて、手に持った携帯電話のカメラを起動させた。それから携帯電話の画面を自分に向けて、目一杯腕を伸ばす。画面にはおれとあかりちゃんが写っていた。
「じゃあ、撮るよー」
おれはあかりちゃんに言ってからシャッターボタンを押して写真を撮った。いきなりだったから、あかりちゃんは呆気に取られた表情をしていた。だから、次はちゃんと2人揃ってピースをして写真を撮る。それからさらに何枚か撮ってから写真を確認した。
普段から自撮りをしているから、顔が見切れてしまうようなことはない。ただ、自分から撮るよって言ったくせしてピースはすごく控えめだったのが少し残念な感じだった。
「湊くん、上手じゃない?ふふっ、いい顔してるー」
一緒に撮った写真を見ながらあかりちゃんが嬉しそうに言った。また違う写真を見てはポーズがどうとか表情が変だとか携帯電話の画面を指差しながら言っていた。
「これが一番いいかなぁ」
撮った写真の中であかりちゃんが特に気に入った写真を見ながら言った。
「なんか、デートみたい……なんちゃって」
携帯電話を鞄に戻していたら、あかりちゃんが誰に向けてでもない感じで呟いた。
デート、デートか……。
「湊くん、なんか考えてるね?」
「あ、うん。考えてるというか、そう言われると意識しちゃうなって。でもあかりちゃん、噂になるのが嫌って言ってたよね?」
「そう、噂になっちゃうのはやだなぁ……でも、相手が湊くんならいいかな?」
「おれ、からかわれてる?」
「どうだろうね」
そう答えてあかりちゃんは声を出して笑った。もう、どこまでが本気でどこからが冗談なんだろう。
「でもね、誰かと付き合うとかってさ。あたしあまり想像できないんだ。そういう部分はまだ幼くて。あっ、これ誰にも言わないでよ」
「言わないって。それに、おれも多分同じだから……」
おれがそう言うと、あかりちゃんは口元を手で押さえながら「ほんとに?」と聞くので頷いて答えた。
あかりちゃんは眉をひそめておれを見ていた。あんまり信じてもらえてなさそうだった。
「湊くん、モテると思うんだけどなぁ」
これまで姉からしか言われたことなかったことをあかりちゃんから言われた。何をどうすれば、おれがモテるって思うんだろう。
「モテないよ、おれは」
「いいや、モテるよ。湊くんはにぶいだけなんだって。お姉さんからもモテるでしょ?とか言われたことないの?」
「……ある」とボソッと答えたら、あかりちゃんが「ほら、やっぱり」と胸を張って言った。
姉に言われたことを言い当てられたことよりも、にぶいって言われたことにグサッとくるものがあった。おれ、にぶいんだろうか……。
「あかりちゃん、これは言っておくけど。おれ、ここまで仲がいい女の子、他にいないからね」
おれは正直に言う。あかりちゃんは「えっ、ほんとに?」と驚いていた。また信じてもらえないのかもと思っていたから意外だった。
「これは喜んでいいのかなぁ……湊くんはどう思う?」
「なんでおれに聞くの」
「だって湊くんの言いかた、あたしだけは特別ってことなのかなぁって思っちゃったんだけど。違ったら恥ずかしいし」
「それは……」と言いかけたところで言葉に詰まってしまう。あかりちゃんとの仲はいい。これはおれ自身もそう思っている。だけど、仲がいい以上のことを今のおれにはまだ考えることができなかった。
「ねぇ、どうなの?」とあかりちゃんが答えを急かしてくる。
「ええと……ないしょ」
おれは短く答えると、鞄を持って駆け出した。座っていたベンチから図書館に向かって逃げるように走る。
「ちょっと!湊くん、ずるいー!」
背後からあかりちゃんの声が聞こえる。あかりちゃんはおれを追ってきているようで「まてー!」と言う声が徐々に近づいてくるのが分かった。
それからすぐ、おれはあかりちゃんに追いつかれてしまい、腕を掴まれてしまった。
「捕まえた!もう、陸上部を甘く見ないでよね」
言葉通り、あかりちゃんはおれよりもずっと足が速かった。おれがあまり速くないというより、あかりちゃんが速すぎるだけだった。そんなに長い距離でもなかったのに全力で走っていたせいで、おれは息が上がっていた。
「もぅ……答えないで逃げるのはずるいよ」
あかりちゃんはおれと違ってほとんど息が上がっていない。あかりちゃんよりも体力が無さそうなのは間違いなさそうだった。
「でもね、湊くんって真面目だからこんなことするなんて思わなかったから、こういう面が見れてよかったかも。ていうか、あたしが答えづらい聞きかたをしたのがダメだったね」
まだ少し息が上がっていたから「ええと」と言って、すうっと息を吸ってから口を開いた。
「おれ、どう答えたらいいか分からなくて。というか、仲がいい以上の関係って想像できなくて。好きって感情が無いってわけじゃないんだけど、なんで言えばいいんだろう、これ」
おれが言うと、あかりちゃんは「うーん……」と声を漏らす。
「あたしは、それでいいと思う。聞いておいてなんだけど、同じことを聞かれたら、きっと今の湊くんと同じ答えだったと思うから。うん、だからそれでいいと思う」
「そっか。だけど逃げちゃったのは、やり過ぎだったね」
「ほんとだよ、ビックリしたんだから。でも、楽しかったからいいの」
あかりちゃんが笑ったから、おれもつられて笑っていた。だけど、内心ではあかりちゃんをガッカリさせたりするようなことにならなくてホッとしている自分がいた。
「ねぇ、あかりちゃん。図書館に戻る前にコンビニに寄ってもいい?」
「いいよ、何か買うの?」
「ええと、ないしょ」とさっきと同じ言葉を言った。けど今度は逃げない。あかりちゃんと一緒に歩いてコンビニに向かって歩いていった。
コンビニに入るとおれは真っ直ぐコピー機に向かう。そこで携帯電話を鞄から出して、コピー機と並行して操作していく。その様子をあかりちゃんは不思議そうに見ていた。
操作を終えて少し待つと、コピー機から印刷したものが出てきた。それを取って確認する。印刷したのはさっき撮った写真だった。
「はい、これ」と印刷した写真をあかりちゃんに手渡す。
「わっ、すごい。さっきの写真だ」
受け取った写真を見るなり、あかりちゃんが声をあげた。それから写真をジッと見て「湊くん、ありがとう」とお礼を言ってから大事そうに鞄の中に仕舞った。
「ふふ、嬉しいな」
あかりちゃんは上機嫌だった。そんな様子を見て、おれは印刷して良かったと思った。
「じゃあ、戻って課題の続きをしようか?」と聞くと、あかりちゃんは「うん、写真をもらったから頑張れそう。えへへ」と笑顔で答えてコンビニを出て図書館に戻っていった。
図書館に戻ってからは、残っていた国語の課題になっている読書感想文向けの本を選びに行った。さすがに2人で同じ本を読むわけにはいかないので、あかりちゃんとは別々に本を選んでいた。図書館に来てからずっと勉強スペースで課題をしていたので、ゆっくり本棚を見るのははじめてだった。蔵書の数も多く、児童書や図鑑が豊富にあった。それだけではなく、最近出版された話題の本も特設コーナーを設けていて、勉強じゃなくても本を借りに通いたくなる。
ひと通り見て回ったあと小説コーナーで足を止めて、じっくりと本棚を見ていく。蔵書の数が多くて、読んだことのない本も多い。読んだことある作家さんの本のほうが、いざ読んでみて読みづらいという事が起きない。だから、最近よく読んでいる作家さんで読んだことのない本を手に取って、ぱらぱらと中を見て本棚に戻した。また違う本を手に取ってパラパラと見る。今度は本棚には戻さなかった。
じっくり選んで、おれは3冊の本を手に持って勉強スペースに戻った。あかりちゃんは先に戻っていて、座って持ってきた本を読んでいた。
「お待たせ、たくさんあるから選ぶのに時間がかかっちゃった」
「ふふ、湊くんは読書が好きだもんね。もっとゆっくりでもよかったんだよ?」
「まだ課題が終わってないからね」
「ほんと、真面目だなぁ」と言いながらあかりちゃんは読んでいた本を閉じて、課題の冊子を机の上に置いて国語の課題を始める。
といっても、読書感想文があるから課題自体はそれほど多くはない。だからすぐに終わらせられるだろうと思っていた。だけど、国語はあかりちゃんが一番苦手な科目だったのでこれまでの課題よりも付きっ切りになって課題を進めることになった。そのため、思っていたよりも時間が掛かった。
「んーっ、おわったぁ」
あかりちゃんは万歳をして、それから大きく息を吐いた。おれも身体を反らせて伸ばしていた。
「ほんと、湊くんに教えてもらえてよかったぁ。今日はありがとう」
「これなら2学期は成績アップできるんじゃない。期待しちゃっていい?」
「うわぁ、プレッシャーだなぁ。じゃあさ、2学期の中間テストでクラス10位以下になったらお祝いしてよ」
そう言われて、おれは少し考えてから「いいよ」と答えるとあかりちゃんが「やったぁ、約束だよ」と言葉を返した。
それから荷物をまとめて図書館をあとにする。読書感想文向けの本は忘れずに借りて鞄に入れていた。
図書館に来たときと同じようにバスに乗って駅前に戻る。そこであかりちゃんと別れた。おれは姉に帰ることをメッセージしてから家に向けて歩きだした。
「おかえりー、みなと」
玄関を開けると姉に出迎えられた。というより、玄関で仁王立ちになって待ち構えていた。その瞬間、ゾワっと嫌な予感がした。
「どうだった?デートだったんでしょ?」
「まって!」と強めに言い返す。
なんで知っているんだろう。姉には今日は出掛けるとしか伝えてなかったし、誰と会うなんてことも伝えていない。
いや、そもそもデートではないつもりなんだけど……。
「女の子と遊びに行っていたんでしょう?私には分かるんだよ」
「遊びじゃないし、図書館で勉強してたんだよ」
おれは図書館で借りてきた本を鞄から出して姉に見せた。姉はおれの手から本を取ると図書館の蔵書だと分かるラベルを見つけて「本当ね」と言った。
「真面目だなあ、みなとは。図書館なんて、あんまりデートで行っても楽しくないと思うんだけどな」
「だから違うって。というか、姉さん。なんでそう思うわけ?」
「そんなの、女の勘に決まっているでしょう」
姉は言い切った。ふざけているような様子は見られないから本気で言っているんだろう。だけど、本当に勘なのか信じられなくて、おれは不審がっていた。
「勘って、冗談でしょ?」
「冗談じゃないよ、女の勘は当たるんだから。そのうちみなとにも分かるようになるよ」
「なんでよ?おれ、男だよ」
「そうだっけ?」
「もう……」
これ以上、姉と話していてもムダに疲れるだけだと思い、ため息をついたあと靴を脱いで姉をスルーして廊下を歩いていった。
「ちょっと、みなと」
姉に声を掛けられたけど、おれは振り返らずに「疲れたから少し休むね」と姉に言いながら階段を上がっていった。