”しんどい”の正体。

心がしんどくなった時、”しんどい”という一言で終わらせてしまいがちで、
私自身ですら何がどうしんどいのかよくわからなかった。

今回の国創り、アウトしてしまう時間もあったけれど
前回ほどではなくて。

それでも無理して我慢していたり。
そんな我慢していた自分が正解かわからなくて
もやもやしていたけれど。

成長したね、頑張ったね、って言ってもらえて
きっと正解だったんだってそのもやもやにすら蓋をした。

でも、外が明るくなるまでずんちゃんと話してて
ちょっとだけ、何がしんどかったのか言葉になった気がして。

私による私の取扱説明書じゃないけれど、
どんなときにしんどくなってたのか、ここに残しておこうかな、と。

①人が多い
人が多い場はいつだって苦手。人酔い、みたいなもの。

これはいつも言っていたけれど、
なんで人が多いとしんどいのか、少しだけ言葉になった。

周りにいる人の”オーラ”みたいなものを常に感じ取ってしまっていて。
その人が何を思っているとか、考えているとかそんな具体的なものではなく
ただただその人が纏う波長、オーラを
冴えている時には色として、それ以外の大抵の時は空気のような感覚で
私の心は無意識に吸い取ってしまっていて。
人が多いとそれが必然的に多くなって。
心がいっぱいいっぱいで溢れてしまって。
多くのオーラに私の存在が飲み込まれるようで。
気持ち悪くなる。
しんどくなる。

言葉になったって言ったって
感覚的過ぎてきっと誰にも伝わらないだろうけれど。
私にとってはこういうこと。

ちなみに、これを書きながら既にしんどくなっているくらい
もはやフラッシュバック的な感じで
”しんどい”というものに引っ張られる性質。
すごくいやだ。

②それとなく感じる学校感
人が多いにも共通する部分ではあるけれど。

多くの人間が同じ行動をとるという、
集団行動感が私の嫌いな学校を彷彿とさせる。

”みんなと同じ”をやらなきゃいけないとか
”みんなと同じ”にはどうしてもなれないとか
そういう苦しみが集団行動感には付きまとっていて。

輪の中に入れない自分という存在がしんどい。

それに、学校、という性質もすごく苦手。
学校中の生徒全員が
整列された椅子に座って同じ方向を向いている
という事実が私には気持ち悪くてしかたなくて。

教室という所定の狭い位置にしか出入口がない空間。
そこに閉じ込められるという閉塞感も耐えられない。

だから、それと似たような状況になると、
気持ち悪くなってきてしんどくなって
その場にいる自分を消したくなる。
逃げ出したくなる。

耳に入ってくる音、目に入ってくる光、
全てが私を潰しにくるような感覚に陥ってしまう。

③孤独
すごく矛盾しているな、と自分でも思うけれど
人が多くても孤独でもしんどくなる。

輪に入れなくて外で見ている自分。
みんなの視界にすら入れていない自分。
そんな自分は
この世の全ての人から、
さっきまで同じ空間にいた人からさえも、
忘れ去られてしまうんじゃないか。
という恐怖がいつもあって。

1人を実感してしまうとしんどくなる。
あぁこのまま私の存在はなかったものになってしまうんだ、と。

だから、かまってほしいと、
隣にくっついていてほしいと、そんな迷惑なことを考えてしまう。

これら以外にもいっぱいあるけれど
こんな感じのことがだいたい私の”しんどい”の正体。

心の中ではいつも”助けて”と叫んでいるけれど
助けを求める相手もいないし
何をどう助けてほしいのかもわからないから
口に出すことはそうそう限界がくるまでないと思う。

だから、これは、
私による私のための私の説明書。

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