子供時代

くるみのnoteを読むといつも私はどうだっただろうって考える。
気づきをたくさん、ありがとう。

小さい頃の私は、試して試して試しまくってた気がする。

どんな子供だったか母親に聞くと必ず、手のかからない子だったって言われる。
兄の方が大変だった、と。

幼い私からすれば、
手をかけてもらえない。
見てもらえない。
愛してもらえない。

毎日のように怒られてる兄の方が見てもらえてる、羨ましいって思ってた。
怒られることが、拳骨を落とされることが、愛だと思ってた。

だから、兄を見て、これをしたら怒られるって学んで、同じようなことをした。
これをしたら怒られる。
じゃあ、これは?
じゃあ、これは?って。

親の目が私だけを見てほしい、と思って怒られるような行動を起こした。
でも、兄と比べるように怒られるから、やっぱり親の目には兄がいるんだと絶望する。
しかも、怒られるのも拳骨を落とされるのも好きではないから、あぁ私はだめな子だってなる。
怒られたくなくていい子ぶる。すると、親の目からまた外れる。

その繰り返し。悪循環。
そんな子供時代だったな、と思う。
当時はもちろん無意識だったけど、今考えるとこういうことだったんだろう。

今でも、根本は変わってない。
基準は怒られる怒られないじゃないけど、
その「大切」「好き」「愛してる」は本物?
これでもそう言える?
って私から突き放すようなことをしてると思う。

だから私の周りには人がいないんだ。

それに、試されたくないだろうなって思うから、最初から近付かない方がいいよって。
なるべく、一定の距離から踏み込まれないようにしてる。

それでも傷つけちゃった皆、ごめんね。

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