"女子"として武装する女子大生の日々が再開して思うこと。

この状況でも対面をやります!とのことだったので、1年9ヶ月ぶりに大学のキャンパスに行く日々が始まった。とはいえラストイヤーなので、ゼミと取りそびれた副専攻の科目くらいなのだが。

東京は、都市で多種多様な人が集まる空間だから、自由な格好ができる。地元の地方都市でよく見るユニクロとGU、H&M、無印で買ったようななんだか皆んな同じ服装..みたいなのとは全く違う。ある意味居心地は良い。とはいえ大学空間は意識しないと...と思ってしまう。

久しぶりのキャンパスには、髪染めて化粧してアクセつけてそれなりにオシャレな服着て...みたいな感じな子が沢山いた。1年ほど前、ロンドンの大学で学んでいた頃は、「大学=勉強する場」という意識が強いせいか多くの学生はすっぴん、パーカーにジーンズとラフな格好でいた環境だった。そんなのに慣れてしまったからこそ、本当にドギマギしてしまった。流石にそんな感じで今学んでいる大学を歩いたら浮くのでできないが、個人的にはロンドンの方が勉強に集中できたし楽だった。なにより、女子であることを意識しなくてもよかったからだ。それができず、仕方なく"武装"する。かつては大好きだった"愛されコーデ"に身を包んで悠々とキャンパスを歩く。

↑愛されコーデが嫌になった背景はこちら。

女子として武装していると、時々異性からの視線が気になる。学食で急いでひとりランチをしている(つまりぼっち飯)時、ゼミで自分が意見を言っている時、生協の書店で気になる本を手に取っている時、キャンパスを歩いている時...。その眼差しは、良く捉えるなら意味では自分に対して好印象を持ってくれていることを示唆し、悪く捉えると性的に見ているor見下しているとも言える。一女の頃は、大学生なりたてというのもあって前者のように考えて嬉しくなっていたが、最近はジェンダーの論文や記事を読むことが多くなったせいか、圧倒的後者のイメージしかない。今までオンラインでしか会ってなかった人から、リアルで会って急にそういう眼差しを受けて余計ダメになった。

それでも可愛い女子大生でいると、得なこともある。ゼミで自分の論文が悲惨でも先生(男)に優しく指摘される。自分がもし体育会系の男子だったら罵倒されてたくらい悲惨だったのに、そうではなかった。得というか、なんだか悔しいしモヤモヤするのが本音だけども。社会人の話や記事で「女の子はナメられるし、媚を売らないとやってらんない」ということを沢山沢山見聞きしてしまうと、このまま愛されキャラなニコニコなっちゃんでいないといけないんだろう。

"可愛い"を生まれてかれこれ20年以上頑張ってきたが、さすがに疲れたし辞めたいけど、女である以上女としての武器を生かすには可愛い姿と振る舞いをするしかない。やるせなさはあるけれど、ひとまず当分は現状維持でいくしかない。来週の通学コーデはどうしようか。



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