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自分に似た子。

自分に似た子が、小さい頃から苦手だった。

どのくらい苦手だったかというと、2歳くらいの時、スーパーのエレベーターで同じ年頃の女の子と居合わせると泣き続けるくらい。

自分に似た子というのは、真面目で一生懸命で色々な面で「優秀」な女の子。あと色々なことに敏感でしんどくなっちゃう女の子。
自分のことが好きじゃなかったから、余計に自分に似た子も好きになれなかったのかもしれない。

いろんな学び舎で、コミュニティで、自分に似た女の子に沢山会ってきたけど、なんだか距離をとってしまう。控えめに黙ってニコニコしてしまう。恥ずかしいというか、その子はいつでも「私の代わり」になれるから、自分がその場にいる価値はないのでは?と、一方的に思ってしまっていた。その恐怖(?)が、彼女たちと仲良くなるきっかけを奪っていた気がする。

だけど、そんな自分が、最近はなんか変わってきているらしい。

この夏、「自分に似た子」と、一緒に何かをする機会があった。いつもなら居心地が悪いはずなのに、それを感じない。

彼女は、やさしい。やさしすぎる。それゆえにすごく繊細。頑張り過ぎちゃって、しんどくなっちゃうところ、好きなもの・人を大切にしようとするところ、表現しようとするところ。元彼の名前も同じだったのも笑えた。

「自分に似た子」と話すときは、いつもかりそめの笑顔で黙ってしまうのに、力が入るのに、そうならなかった。自然体でいられた。

そのせいか、彼女と話すと涙が止まらなくなる時がある。その背景は、大人になっても、「自分に似た子」を拒絶せずに受け止められているからだけじゃなくて、それ以外の要素もある気がする。

お互い、25近くになってるけれど、他の同年代の女の子のように会社などの組織でフルタイムで働いてはいない。お互い、色々なことがあって、しんどくなって、共に社会を浮遊している。そんなタイミングで出会ったからなのかもしれない。

孤立しがちな立場にいるわたしたちが、なんとかつながった。その心地よさに救われているのかもしれない。


彼女に泣かされるとき、おいしいパスタが隣にある。


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