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恋愛はうまくいかないけど、男友達が多くて「都合の良い女」になっている話。

一年ほど前、付き合ってた相手と別れた。それ以来、人と付き合ってない。勢い(?)で付き合いだしたけど、このまま結婚していいな〜と思ってたので、結構ショックだった。

そもそも、自分のような生き方をする人の多くは恋愛的な人間関係を好まない傾向にあるし、そういう人たちと多く関わっても恋愛に発展しないのは仕方ないと思われる。

そう、自分の場合は男友達が多いし、それで関係が満ち足りてしまう。

自分の男友達は私に対して、社会問題や政治、生き方といった、「人を選ばないと話せない、深くて重い話」を話し合う(対話?)のを期待している。そういう話をしながら、シックな純喫茶やいい感じの居酒屋でおいしいものを食べ、街を歩く。一見すればそれはデートなのかもしれない。
でも、そういう男友達に限って彼女がいる。要するに、私は「彼女とは話せないこと」を話すために召喚されるらしい。
言い方が難しいけれど、私は性欲処理機ならぬ好奇心処理機なのか?、「都合の良い女」なのか?とモヤモヤするときもある。
そういうモヤモヤを考えないようにするために、「私は女扱いされてないんだなっ」と割り切っていることが多いのだけども。

じゃあ男友達以外に恋人/パートナーがいるとするならば、私にとってその人は「頻繁に会う男友達」と何が違うんだろう?と考えてしまう。もちろん、恋人の関係にならないとできないことはあるけれど、「相手を慮る」ことは別に恋人じゃなくてもできるし、恋人がいない状態でも満ち足りているのならよいのでは?とも考えてしまう。
※『夜明けのすべて』の主人公の二人を見るとなおさらそう思ってしまう。

中高で、それなりの恋愛的なものをきらきらと経験し、大学以降もふつふつと大人な恋愛も経験し、もういっかとなってしまう自分もいる。

20代半ばにさしかかると、結婚を前提にした恋愛になる人が多くて、生活やキャリアが安定していなければそういう枠からはずれる。

じゃあ、恋愛がうまくいかなくて、男友達多い問題は、こんなふうに考えればいっか、と以下のように考えている。

私は経済的にもキャリアもしばらくは安定しないから恋愛の優先度が高くない存在。だから、周りはそれを利用(?)して「恋愛するリスクが低い存在」として私を召喚するのだ。

こう書いていると悲しくなる。普通な女の子だったら、地元と他の地域を移動して研究しながら仕事するようなよくわからない女の子じゃなかったら、「都合の良い女」にならなくてよかったのかな..と。一人の人に愛され、自分も愛することができたのかな…と。



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