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エピソード12「卒業」(後編)

卒業式を終え、体育館を後にした私たちは、記念写真を撮るために再び体育館に集まった。

卒業生全員で並び、保護者の方々や担任の先生もそこに入り、記念撮影をした。記念写真なので笑顔で撮ってもらわなければと、私はぎこちない笑顔を浮かべた。

しかし、後から写真を見てみると、皆、真顔だった。卒業生だけでなく、担任の先生も、保護者の方々も、皆、真顔だった。真面目な表情で撮りたかったのだろうか、それとも、涙を流した後で、笑う余裕がなかったのだろうか。確かに、私以外の卒業生や保護者の方々は、ほとんどの人が涙を流していた。だが、涙も流せない私には、笑顔を作る余裕がまだあった。だから、笑顔を浮かべているのは、私を含めた数人の卒業生だけだった。

写真撮影を終えると、私はそこにいた母と合流した。母は、涙を流していた。私が流せなかった涙は、母がまとめて流してくれただろう。そう思うことにした。

そこへ、担任の先生が、私たち2人の近くに来た。「この度はご卒業おめでとうございます。」「ありがとうございます。今までお世話になりました。」と、母と先生は会話を始めた。私がどんな小学校生活を送ってきたかは、母も、先生も、よく知っていた。だが、二人とも悲しい顔はしておらず、むしろ、温かな笑顔を浮かべていた。

「先生、今までありがとうございました。」

私は、辛い自分を助けてくれた先生に、お礼の言葉を告げた。先生は、嬉しそうに笑った。そして、私は先生と二人で記念写真を撮った。その時は、卒業写真よりは上手く笑えた気がする。というか、自然と笑みがこぼれた。


記念撮影を終えた私たちは、再び教室に戻った。そこで皆が何をしているかというと、卒業アルバムの一番最後にあるまっさらなページに、メッセージを書いたり、書いてもらったりしていた。

私のアルバムの、そのまっさらなページは、卒業式が終わった後も、まっさらなままだった。そこに文字が書かれることはなかった。だが、私がこれに動揺することはなかった。友達のいない私には、これが当然の結果なのだから。

教室を満たす祝福ムードだけが、私の心を温めていた。そこにいるだけで、私は幸せだった。


数日後、もう二度と行かないであろう小学校に、私は再び向かった。離任式に出席するためだった。

そこで、衝撃の事実が発覚した。

なんと、3年間私たちの学年を担当し、私の恩人とも言える担任の先生が、異動することになっていたのだ。

つまり、私たちは、その小学校での、先生の最後の担当学年だったのだ。

私は驚きを隠せなかった。

先生のスピーチで、さらに驚きの事実が発覚した。

先生がその学校に着任したのは、私が卒業する6年前。すなわち、私が入学した年だった。つまり先生は、私たちが入学するのと同時にこの学校に着任し、私たちが卒業するのと同時にこの学校を離れるのだ。

私はもう驚きのあまり、点になった両目がしばらく元に戻らなかった。

その事実を聞くと、私たちの担任を小学校生活後半の3年間で務めたのにも、納得がいった。

私たちは、先生にとって、思い入れが深い存在だったのかもしれない。実際、先生はいつも私たちに厳しかったが、授業以外にもいろいろな話を聞かせてくれて、私たちはたくさんのことを教わった。

社会のこと、人間関係のこと、・・・。授業では絶対に教えることができないことを、先生はたくさん教えてくれた。

しかも、先生は私を助けてくれた。一人ぼっちの私に、いつでも優しい言葉をかけてくれた。私は、先生の温かい言葉を聞くと、いつも涙が溢れた。学校にいる間、先生だけが、私に優しくしてくれた。

そんな先生を、私は絶対に忘れない。そう誓った。


こうして離任式は終わり、先生はゆっくりと退場していった。花道を歩く先生は最後に、私の方を見て、にっこりと笑った。


そういえば、私は先生からこんな言葉をもらっていた。

これは、私の心の一番深い所に、今もあり続ける言葉だ。

その言葉には、こんなエピソードがある。


卒業文集に、「自分を漢字一文字で表すと?」というテーマのページがあった。私は最初、自分を「冷」という文字で表した。しかし、そんな私を先生は叱った。

「本当にこれでいいの?違う字にしなさい。」と。これはさすがに自分を悪く言いすぎかもしれない、と私も思った。

だから、私は自分を表すのに、「静」という文字を使った。無口ではあったし、冷静さもある、と自覚していたので、自分を表す漢字を「静」にした。

卒業式の日、先生は、その一文字をプラバンに書いて、そこに穴をあけてリボンを通したものを、私たちそれぞれに渡した。そのプラバンに、先生からひとことメッセージが添えられていた。

そこに添えられた言葉が、私の心に残り続ける言葉だ。

「沈着冷”静” ときには思いっきり笑顔を見せて」


先生は、一人ぼっちの私に何度も声をかけてくれた。その中で、「あなたは笑うと可愛いんだから。」とも言ってくれた。私は自分の笑顔に自信がなく、それが笑わない理由でもあった。

だが、もう、笑える。

先生の言葉で、そう思えた。


いつしか自分に投げかけた問い。

「いつになったら、私は笑えるのだろう?」

その答えは、こうだ。


笑えるかどうかじゃない。

今、笑えばいい。

今なら、きっと笑える。

笑顔はいつでも、自分の心の中にあるのだから。



「僕が僕になるまで~第一章 ”Childhood"」

         完







僕になるまで、あと7年。

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