エピソード3「アブノーマル」
小学4年生に上がった頃も、私は更に一人ぼっち生活を送るようになった。人を避けて生活するようになってから、私は休み時間にクラスメイト達を観察するようになった。ずっと一人でいるから、読書か人間観察の他にすることがなかったのだ。
で、クラスメイト達が何をしていたかといえば、友達と話したり、外で遊んだりしていた。小学生にとっては、それが「普通」なんだろう、と私は思った。
これはつまり、私はその「普通」として生きる道を捨てた、ということだろうか。私は、「普通」になり損なったのだろうか。そんな不安がよぎった。
ここでふと、10歳の私は考えた。「普通って何だろう?」と。
友達がいること、友達と話せること、友達といつも一緒にいること、友達といつも同じ場所で遊ぶこと...。10歳の私は、友達がいないということ自体が、もう普通ではないと思ってしまったのだった。
「普通って何だろう?」その問いに、彼女は恐ろしい結論を見出した。20歳になった今でも、考えると恐ろしい結論だった。
その結論は、こうだ。
「普通とは、自分以外の全ての人間である。」
当時、周りを見渡してみても、私のようにずっと一人ぼっちで生活している人は、どこにもいなかった。私の周りにいる人は皆、私が思う「普通の生活」を送っていたのだった。
クラスメイトだけではない。母も、たびたびママ友と仲良さげに電話をしていた。妹も、友達と遊んだ話を楽しそうに聞かせた。亡くなってしまった父にも友人がたくさんいて、葬式では彼らも涙を流しながら父の眠った顔を見ていた。
私の周りには、友達のいない人間なんて一人もいなかった。私は、それが悲しくて悲しくて、涙も出ないほど悲しかった。
父の葬式から一年も経たない頃だったので、私はその葬式をまだ鮮明に覚えていた。だから、こんなことを考えてしまった。
「私が死んだときに涙を流してくれる友達は、今の私にいるとは思えない。私が死んで喜ぶ人間なら、いるかもしれない。私は、私には、
生きる価値がない。」
それが、初めて自分の死を意識した瞬間だった。私はそのとき、生まれて初めて「死にたい」と思った。
死にたいと願うのも普通ではないということに、この頃の私は気づいていなかった。