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AGAIN


どんなに同じ景色を見ても、どんなに同じ空間を一緒に過ごしていても、この目に見えるものを寸分違わず人と共有することは不可能なんだなと、最近感じる。

人には人それぞれの歩いた道のりがある。人それぞれの記憶がある。これまで出会ったもの、影響を受けたもの、よく馴染んでいるもの……。

同じものを目にしても、その人のなかに眠っている「なにか」と共鳴した瞬間、目の前にあるものは「その人だけのもの」になる。
自分が見たものの特別さを必死になって人に伝えようとするのに、それを特別たらしめるものは私の中にしかないから、どう説明しても、どう頑張っても、結局は伝わらないんだと感じてしまう。




SEVENTEENを見ているときもそう。彼らの姿に何を感じるかは人それぞれだ。きっとその人には、その人がこれまで出会ってきた"何か"が存在する。その"何か"を時により輝かせ、時に打ち消し、時に救い出してくれる存在。SEVENTEENはそういう存在だ。

7万人もの人が集うスタジアムに、正解も不正解もない。ドームでも学んだことだけど、より一層実感した。見ているものは同じでも、それをどう受け取ってどう感じるかは人それぞれだ。スタジアムに浮かび上がるCARAT棒の光それぞれに人生があって、それぞれがそれぞれの人生のどこかでSEVENTEENに出会い、あの瞬間に彼らを照らしていた。


と、大層なことを書いているけどこの壮大さに「うんうん」と頷いてくれる人もいれば「何をポエムってるんだ」と思う人もきっといるのだろう。何が言いたいかというと、SEVENTEENってきっと何色にも光る存在なんだろうな、ということ。ダイヤモンドだって光の当て方や角度を変えたら輝きが変わるでしょう。会場でこんなことがあった、こんなことをしていたというような事実ベースのレポならいくらでも転がっているのに、こうしてわざわざ「自分語り」をするのは、私に見えたSEVENTEENの輝きを記録したいからだ。

だから、おこがましいけれど、私のこれまでの道のりを経て見えたことの話をさせてほしい。そんな前置きです。



いつまでもずっと

FOLLOW AGAINのテーマがもしあるとするならば、「永遠」と答えるかもしれない。

おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒に行こう

永遠に一緒に行こう

カチガヨのドギョムの前振り

(上り坂もあれば下り坂もあるので)こんな大きな会場ではなくても、小さなコンサート会場で将来メンバー達とCARAT達と楽しく過ごせたら嬉しいです

またいつかスタジアムじゃなくても小さな公演会場でもいいので、長く一緒にいましょう

ホシくんのソウルコンメント、
めざましテレビでのコメント

SEVENTEEN!CARAT!永遠に!一緒に行こう!

日産2日目のHOME;RUN
ディノちゃんのエナジーチェック

Forever

ドギョムinstagram ソウルコン投稿のキャプション


ほかにもたくさん、「永遠」を語ってくれた。夢みたいな話だ。


いつまでも、という言葉を聞くと思い出す歌がある。「くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!」という長編アニメーションの、冒頭に登場する歌。「いつまでもずっと(原題:Forever and ever)」という歌だ。

作中、プーさんの大親友であるクリストファー・ロビンは、どこか遠いところへ行くという(ネタバレをすると、そのどこかとは「学校」のことである)。

歌が始まる前、プーとクリストファー・ロビンはこんな会話を交わす。(音源にはこの台詞部分も入っているので、ぜひ聴いてほしい)

「プー、君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「いいことなの、それ?」
「あんまり、いいことじゃない」
「じゃあ、待ってて」
「待って、って? いつまで?」
「いつまでもずーっと」

このプーの「いつまでもずーっと」に返す形で、クリストファー・ロビンが歌い出す。

いつまでも それはとても長い時間

プーはこう歌い返す。

長くなんかない 君といれば

プーは「君といれば永遠だって長くない」と歌う。クリストファー・ロビンとの別れはプーにはまったく見えておらず、「一緒にいたい、いつまでも」「僕のそばにいてよ、いつまでも」と歌うのだ。とても健気に。

対するクリストファー・ロビンはどこか冷静だ。「変わりたくない、いつまでも」「約束ができるなら」と歌う場面。幼い頃は何も考えず見ていたのに、ある時から胸が苦しくなる場面に変わってしまった。

クリストファー・ロビンはいつか大人になる。その証に学校へ行かなくてはならない。いつか必ず、プーと離れる時がやってくる。

小学校高学年の時だったろうか。小さい頃に何度も見ていたこのビデオの存在をどういうわけか思い出して、懐かしさから再生してみた。そのときにこの歌を久しぶりに聴いて、たまらなくなった。クリストファー・ロビンの歌う「変わりたくない、いつまでも」という歌詞は、当時の私にとって切実な叫びだった。

「いつまでも一緒」という夢は叶わない。クリストファー・ロビンのモデルは、くまのプーさんの作者、A・A・ミルンの実在する息子であるということ、父の物語のせいであまりにも有名になってしまったクリストファー・ロビン本人が、生前プーの話をしたがらなかったというエピソードを知ったとき、よくわからない切なさに襲われた。『トイ・ストーリー』を見たときの切なさに似ている。おもちゃはいつか必ず忘れ去られる。人はいつか必ず大人になる。変わってしまう。

「永遠」は存在しない。その事実が重くのしかかった瞬間だった。


変わることがいつも怖かった。卒業式が嫌いだった。大好きな環境をどうして離れないといけないのか。新しいものにやっと慣れたと思ったら、すぐまた別の場所へ向かわないとならない。逃げるように後ろばかり向いていた。戻れるなら戻りたい、と願う瞬間が数え切れないほどあった。生きるということは、もう二度と戻れない場所を増やしていく行為でしかなく、生きれば生きるほど苦しさが増すのではないかという考えが拭いきれなかった。



それからまた何年もの月日が経ち、私は少しずつ「大丈夫」になっていった。

歳を重ねるたびに、体から「執着」というものが剥がれていく感じがする。思えば、新しいものが怖かったのは、過去という今はもうないものに「執着」していたからだった。

変わる、ということを、少しずつ受け入れている自分がいた。なにかに執着しなくても生きていけるようになった。

ちょうど、それを実感する出来事もあった。



5月はジェットコースターのような月だった。GWのある日、以前応援していた方が出演するとあるショーを見に行った。

色々な理由があって、その方のパフォーマンスを見るのは1年半ぶりだった。かつては複数公演足を運んだショー。

久しぶりにチケットを買ったのは、けじめをつけるためだった。きっともう、このショーを進んで観に行くことはないんだろうな、と頭ではわかっていた。99%の確証。残りの1%を断ち切るため、これで本当にさよならだと実感するために見に行ったようなものだった。いや、少し違うかも。もし1年半ぶりにその人のパフォーマンスを見て、またこれからも、たまにでもいいから見たいと思ったら、そんな応援の仕方もありだと思った。自分の気持ちを確かめるために足を運んだ。


ショーはすごく面白かった。でも、あのとき熱中した気持ちが再び起こったかと言われたら、確実に違う。「なにか」があのときとは違った。


こんなにも変わってしまうんだ。一年半で。

仕方がないことだった。自分の根幹的な部分が大きく変わった自覚があったし、だからこそ、理由があったとはいえ距離を置いても平気になったのだ。昔のように熱くなれない、というのも考えれば当然のことだった。

わかっていたけれど自分にがっかりしてしまった。


どんなに熱く好きでいたものでも、自分が変わってしまえば、途端に見え方が変わってしまうこと。
そのくらい自分の「好き」は信用できないものということ。

SEVENTEENに出会ってまだ1年と9ヶ月くらいだけど、それでも最初の頃の「好き」とはまた違った感情になっていること。


「変わりたくない、いつまでも」なんて願うことすらもうできない。だって、身をもって知ってしまった。どう足掻いたって、生きている限り何かしらが変わっていく。それによって自分の気持ちもいつか必ず変わってしまう。

ドギョムに対する「執着」みたいなものも、少しずつ変わっていた。



ここにお金を使った分ここは我慢しよう、と理性を持った考えもようやくできるようになり、ベストアルバムのオフラインイベントを見送った。(サウチェには行けそうな枚数だったのでしれっと参加したが)

個別お見送り会などが開催された5月23日は、いつも通り仕事をしていた。参加するフォロワーさんが後悔なく終えられるといいな、とは思ったものの、自分も行きたかったと悔やむことはなかった。執着しなくても大丈夫だった。思いのほか、普通に過ごせた。


絶対に忘れたくない瞬間、というものへ執着する気持ちが、波に削られていくように少しずつ小さくなっていった。コンテンツへの反応速度、追いつき具合。

グッズだって、我慢しようと思えばある程度は我慢ができる。その分、リアルタイムに楽しむ感覚は薄れていく感じがあった。自分っていま本当に夢中になれてるのかな、と自分を疑った。


以前の私は、大切な記憶を、おかしいぐらいに大切にして宝箱に仕舞い込んでいた。何度も振り返って、何度も抱きしめて、忘れないように、覚えていられるように、何度も何度も後ろを振り返った。

それがおかしかった、というだけなのだろう。コンサートに臨む気持ちも以前とは少し変わりつつあった。



忘れたくないから目に焼き付けていたもの。
覚えていたいから必死に繋ぎ止めていたもの。
失いたくないから時間よ止まれと願っていたもの。

そういうものが消えていく。

いま見ている光景を、私は必ず忘れてしまう。
どんなに繋ぎ止めても、いつかこの手からすり抜けてしまう。
どんなに願っても、空の色は変わりまた朝がやってくる。



色んなことを諦めて、受け入れて見えた先にいたのは、ものすごく楽しそうにはしゃぐ13人の姿だった。

この姿に立ち会えただけで、もう何もいらないなと思えた。

一つ一つ細かいことを覚えていなくても、あの時間がとてつもなく幸せであったことは覚えていられる。口を揃えて「この光景は当たり前じゃないです」と言ってくれたこと、時に嬉しそうに、時に噛み締めるように客席を見渡していたこと、これからがスタートだと言ってくれたこと。


なんとなく、これからも「忘れるから」彼らに会いに行くんだな、と思った。

忘れてしまうならまたもう一度、楽しい時間を過ごせばいい。
そもそも、あんなに馬鹿みたいに楽しい時間を記憶に焼きつけるなんて不可能だ。あの場所でしか味わえない楽しさ、それはやっぱり記憶の中ではなくコンサート会場にしかないから、またその日まで各々頑張って、もう一度あの場所へ向かうしかない。それだけだ。よく「推しは推せるときに推せ」なんて聞くけど、そんな言葉すら霞んでしまう。ずっと走り抜けてくれる彼らに感謝しながら、また何度だって会いに行きたい。「記憶」という宝箱を捨てたって大丈夫、と思えたのは紛れもなくSEVENTEENのおかげだ。


SEVENTEENの言う「永遠」を、自分なりに解釈すると。巡り巡って、「내일 이 시간에 또 만나요」に辿り着く。アジュナイスの最後のこの歌詞。もう聴くたびに最高だなと思う。

明日もこの時間にまた会おう。実際には「明日」ではなく「今度」だけれど、また次も会って、その次も会って、しばらく会えなくなってしまう時間もやって来るかもしれないけど必ずいつかまた会って。そうやって日々を続けていくうちに、「永遠」というものは、気づけば近くにあるものなのかもしれない。


FOLLOWが終わったときは、「同じ場所に戻ったと思ったら、まったく別のところへ進んでいた感じ」「何も変わらない毎日なのに、気づいたらSEVENTEENのおかげで新しい世界へ進んでいたよう」と書いた。

AGAINを経てもそう思う。時間が進む限り、あの場所にはもう二度と戻れない。そのとき何かを感じた自分にも戻れないし、そのときの感覚だっていつか必ず忘れてしまう。


いつか、彼らの呼びかける「캐럿들」に自分が含まれなくなってしまう日が来るかもしれない。もしその時がやってきても、彼らからもらった前向きなエネルギーは消えないんだろうな。世界の見え方を変えてくれた人たち。また世界が違って見えてしまっても、私に色々なことを教えてくれた事実は変わらない。たくさんの素敵な人に出会わせてくれたことも。月並みな言葉だけど、「私の人生に現れてくれてありがとう」という言葉を改めて送りたい。


そんなこんなで、たくさんお付き合いしたFOLLOWくんとお別れをして、また次のツアーも楽しみに生きていきたいと思います




余談

今度ハンドルネームを新しく考える機会があったら「執着」にしよかな、と思ったりもした オタクをするすべての根底にあるのって執着だから……

そんなわけで「おまけ」のAGAINくん執着ポイント


・オープニングの衣装はドギョムのむきむき具合がわかる素晴らしい衣装なので、何度見ても「ひょえ…」と声が出てしまう

・Go!歌ってくれるの本当にありがとうでしかないのですが長居2日目では2回も歌ってくれて…エンディングメントでカメラ抜かれた瞬間にやにやと笑ってたのがめーっちゃかわいくてツボ そしたら「コピーバンド準備できましたか〜!」とか言うものだからたまげた オープニングメントで入り間違えたのそんな悔しかったのね可愛いね…スングァンちゃんにもネタにされたね…
・最終日はさながらGo!ショーシャンクの空にver.みたいな感じでびびりちらかした ほんまにドギョムって「動」とか「疾走」って言葉がよく似合う
・髪を切ったんだぜ〜!てアピールしちゃうの本当にかわいいね

・ステサイで入った日、モニターを双眼鏡で覗くと表情まで集中して見れるということに気づいてやっていたら、ウルシパのドギョムが後ろにいるのを抜かれるたび職人級のかっこよさを貫いていることに今更気づいてしまい、なぜもっと早く気づけなかったの…と狼狽えた日(たぶん1番の執着ポイント)

・パランケビの「どうせ忘れてしまうのに」を歌いながら、いや忘れるわけねーだろ、という表情をするドギョムさん
・モンジの2番入るときにドギョムが「2절〜!」と言ってると今日テンション高いな、とにやけてしまう
・하품の歌い方は本当に本当に素晴らしくて、スピーカーの音が比較的聴こえやすい席で聴けてよかったな……と思った アリーナだと聴こえ方が全然違うことを学んだので 一音一音丁寧にその場に置くような歌い方

・DKタイムほんまにお疲れ様でした
・SEVENTEEN FESTIVALのMCも務めてますからね彼(勝手にMC役だと思っている)

・バンド紹介のときダンサーさんにドラムセット役やってもらって狂乱ドラマーごっこするドギョムさんおりましたが 最終日やるかな…って見てたらジョンハンさんに「やりな」みたいな顔されてて笑った ジョンハンさんもご満悦そうでした

・CARATが歌ってくれないと僕拗ねますよ〜!ドギョムが拗ねたら、大変だぞ〜っ!のぷんすかドギョム、忘れらんねーよ
・五条悟ドギョム見た気がするんですが、夢ですか?

・アジュナイスでバクステ行って戻って来るとき、同じ方向から来て同じ方向に帰ってくドギョムを2回ほど見かけたのですがあれって元からそういう立ち位置?(こっち来るかな〜と思ったら永遠に来なかった人)

・近くの花道通るときにひたすらお尻見るしかない日があって、トロッコ絶対こっち見ない呪いまだ続いてるな、と実感した

・エンディングメントでまっすぐカメラを見て言葉を伝えてくれるドギョムが大好きだ
・HOTの出だしの帝王ドギョムが大好き イントロが流れるとともに照明が点滅して、まばらになる光の中にドギョムの立ち姿がシルエットで見えて ダン!ダン!ダン!の音から力強い歌が聴こえてCARAT棒がガーーーっと赤く染まって あの空間はドギョムのものだったよ たくさんお疲れさま!!!!!!!

今回もペンサ?何それ?で終わったけど、ムビステで移動するときアリーナの大勢に向けて投げキスするドギョムを遠くから観測してしまい、世界にキスしてるわ…と実感してそれだけで幸せだった 世界に愛されててほしい…

・埋もれ後方アリーナの日、前の人の頭の隙間からメインステージをダッシュで横切るドギョムを見かけた時は軽率にめろりましたね ほまに「疾走」が似合う←それさっきも言ったよ



執着する瞬間、死ぬほどありましたね

やはりドギョムを好きでいると人格が平気で増えてしまい、言っていることも一貫しなくなっていくのですが、そのくらい自由にドギョムを愛していたいと思います 冷静なときも冷静でないときも、ドギョムが心のコンパスで私の北極星だよ


また来るからね〜