君が笑えば🌻
綺麗なことばかりが並ぶ歌詞って、どこか薄っぺらいと思っていた。
2024年6月3日のドギョムのWeverse投稿。マネージャーとステーキを食べに行った日の出来事についての内容である。
後々のSNSの投稿によると、お店のスタッフだったCARATがドギョムの来店に気づき、サプライズでデザートを出したらしい。プレートには「いい日ばかりでいっぱいにしよう」「ギョミと共にするすべての日が青春讃歌」という言葉が並ぶ。それを見て、ピースをしながら満面の笑みを浮かべるドギョムの姿……
写真のドギョムを見た瞬間、「なんて素敵な笑顔なんだ……」と言葉には言い表せられない気持ちでいっぱいになってしまった。カメラロールに保存して、何度も何度も開いた。何度見ても癒される。何度見ても、心があたたかくなる。ドギョムの笑顔ってすごい。これだけでエネルギーが出てくる。仕事で疲れてもこの写真を見るだけで大丈夫という気になれる。やばい。
突然のサプライズを受けてこんな嬉しそうな笑顔が出るってのがやばい。しかも、このプレートって花火がついてるじゃないですか。こういう花火って比較的すぐ消えちゃうじゃないですか。つまりこの写真って、突然プレートが出てきて、何だこれは!ってなって文字を見て……という流れの中で撮った写真だと思うんですよ。つまりこの笑顔って、公開するために撮ったものというよりはその場で溢れ出た表情だと思うんですよ。それでこんな……嬉しそうに……幸せそうな顔で笑って……なんて素敵なんだ……こんな幸せそうに笑える人っているんだ……そしてこれを見るだけで私はこんな……こんな幸せに……幸せの連鎖……生まれてよかった…………(以下略)
そんな感じで過ごしていたら、突然、頭のなかに「♪君が笑えば〜」という歌が流れ出した。AIの『ハピネス』である。某CMソングでお馴染みの。
……なんて素晴らしい歌詞なんだ??!
え、これじゃん。
私がドギョムの笑顔を見て思ったことってこれじゃん?!
ドギョムが笑うと、それを見たドギョムペンやCARATも幸せになる。ドギョムを起点に幸せが広がっていく。
画面の向こうの誰かも、ドギョムの笑顔から受け取った幸せを糧に生きている。遠い誰かとも「つながる」と思える瞬間。
もしかして、今まで気づかなかっただけでこれって素晴らしい曲なのかも……とフルで聴いてみた。
なんて素敵な歌なんだ……
「どんなに嫌な1日だって 君の笑顔で最高になっちゃう」なんてまんまじゃないですか。6月3日の20:53にあれを見せられるCARATの気持ちになってください。どんな1日だろうと最高の1日の締めくくりになってしまうじゃないですか……ッッ
これは別に私の感想というだけじゃなくて、実際にSNSを眺めていると「ドギョムの笑顔を見たら元気が出た」「今日さんざんな日だったけどそれでも最後にいい気持ちになった」といった感想をたくさん見かけた。私だけじゃなくて、たくさんの人がドギョムの笑顔を見てエネルギーをもらったというそのことに、すごく心が暖かくなる。
やっぱドギョムってすごいよ〜…「本当に君に会えて良かった」だ……
この曲はテレビのコマーシャルでたくさん聴いていたはずだけど、あんまり歌詞を意識したことはなかった。むしろ積極的に聴かないタイプの歌。「ありきたりだな」って嫌厭していたタイプの歌詞。
「君が笑えば この世界中に もっともっと幸せが広がる」なんて、こんなにしみじみと感じられなかった。綺麗事だと思ってた。
「実感」を持てなかったのだと思う。本当にそんなことがあるなんて微塵も信じられなかった。でもね、そういうことがあった。存在した。
ドギョムが与えてくれるもの。そのうちの一つにこの「実感」がある。私がこれまで斜に構えて、まっすぐ受け取れていなかったもの。そういうものを、見えるようにさせてくれた実感。これまでの道で拾えなかったもの、見えなかったものを、「この世界にはこんなに綺麗なものもあるんだよ」と教えてくれる。本当に、出会えてよかった。ドギョムという人を好きになれる人生でよかった……。
センイルnoteの結びに書いた言葉。
「世界が美しいのは、君が愛に溢れているからだ。」
この言葉を何度だって送りたい。何度だって叫びたい。美しい世界を見せてくれてありがとう。綺麗事の「綺麗」の部分を教えてくれてありがとう。今日もいい夢を見てね。