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仕事というのはとくにストレスでも苦痛でもなくただやり過ごすだけ、というはずだったのに、自宅で一人パソコンと向かい合っていると、息が苦しくなる。

大丈夫か大丈夫でないか、わかりやすいラインはどこにも引かれていない。

残業というものが心から嫌いだ。時間が足りない。仕事をしている時間は生きてる時間にカウントしてない。残業というのはすればするほど、わたしの生きる時間が減っていく。時間が、時間が足りない。

では時間があったところでわたしは何をするのだろう、と考えると何も思いつかず、このまま誰からも忘れ去られて、やわらかい波に覆われたまま深く沈んでいければいいのに、と思う。


どうしてこんなことができないのだろう。1つ1つが難しくないはずなのに、1個ずつ、並べられた積み木が目に見えないほどずらっと並んでいると思うと、その1個1個がよく見えなくなって、視線の行き場がずるずると滑っていく。見たはずなのに見ていない。触ったはずなのに触っていない。自分が信用できなくなり、いよいよ手に負えなくなる。

どかんとエネルギーがなくなる感じ、ではなく、残り15%のまま充電ができずじりじりと戦っている、感じ。動こうと思えば動ける、やろうと思えばできる、の「〜と思えば」に恐ろしく体力を使う。1歩先が見えないから何万歩の先の目標地点が遠くへ延びていく。


今日も、朝起きて、昨日のうちにセットできなかった洗濯物を洗濯機へ放り込んで、ほんの少しのパンを胃につめこんで、ようやく頭が覚醒していって、歯磨きをして、着替えて、洗濯物を取り出して干した。生きるということはむずかしい。どうしようもなく汗をかき、洋服を洗わねばならなくなり、毎日毎日、洗濯機をまわして、そうして明日もこれを干さないといけないのか、と思うとゆるやかに体が重くなっていく。皿を洗う、とか、服を畳む、とか、そういう必要最低限のことをやるのがどうにも向いていないようで、でもやらないとどうにもならないから、渋々と、粛々と、日々を続けている。

どうしてこんなことができないのだろう?

あれこれとうるさい。フィールドが2つ以上になると途端に迷子になる。何かをやってるときに他のことは1ミリたりとも頭に入れたくない。のに。どうしてあれこれと兼任させるんですか。

エネルギーがなくなったしんどさならまだよかったな。エネルギーならあるよ、一応。

甘え、とか言うのは自分がいちばんわかっていて、じゃあもうどこにも出口がなくないですか、と問いただしたくなる。誰に。


シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』という小説を読んでひどくわくわくした。文章を読んで心が躍ったのは久しぶりだった。どういうわけだか、後半になって主人公が精神科にかかるようになると、面白さが半減した。わたしは普通の顔をして生きてる普通じゃない人の内面を見たかったのかもしれない。