見出し画像

思いきって手を伸ばした日


4月。海を渡ってコンサートに行った。

あんなに日本でも公演をしてくれるのに。まだ韓国語もろくにわからないくせに。使えるお金にだって限度があるのに。

自分の欲を踏みつけてくる考えはたくさんあったけれど、それでも行きたかった。行ってみたいと思った、あの場所。

会場にいるCARATそれぞれに、「ここに来た理由」があるのだと思う。だから備忘録として、私は私の、「あの場所に行った理由」「あの場所に行くまでの話」を書き残すことにする。


始まりは、ドギョムの歌だった。


3月18日

大好きな人のセンイルから1ヶ月が経ったこの日、カバーソング動画が公開された。


幸せと、嬉しさと、すぐに歌詞の意味がわからない悔しさで、心がぐちゃぐちゃになった。

語りかけるような柔らかい歌声も、力強くまっすぐ響く歌声も、すべてが特別だった。こんなに特別なものを、私は見逃してしまっていいのか? この人の歌を直接聴く機会を逃していいのか? 仁川はとっくのとうに諦めていて(だからヨントンに申し込んだ)、続くソウルコンも、旅費の高さを理由に諦めていた。でも本当に、諦めていいの?

どうしても行きたい。そう思った途端に目の前の道が開けた気がした。正直、あまりお金はかけられない。安く済むなら済むほど嬉しい。ソウルコンの発表を聞いて最初に飛行機+ホテルを調べたときは、GW期間なこともあって予算が10万近くになった。それで諦めたのだ。


やっぱり行きたい。そのときに思い出した。深夜便を使って1泊もせずに帰る渡韓vlogの存在を。以前そんな動画をYouTubeで見たことを。昨今の高い飛行機に乗って行くんだったら泊まった方がコスパいいだろ、と思っていた。いや、まてよ

……ホテルが高いなら泊まらなければいいのでは????(限界の発想)


そういえば昔、国内旅行で復路を深夜便にし、羽田空港で朝まで過ごして始発で家に帰ったことがあった。もう二度とやらねーと思っていたけど、「必要最低限のお金でソウルコンに行く」ためなら手段として使えるのでは?????


「会場でドギョムの歌を聴きたい」
これだけで目的がはっきりとして、そのための手段だって見えてくる。視界が開ける。

無限アジュナのことを考えると、当日夜に帰るのは現実的じゃない。となると比較的安い翌日の朝の便で帰るのが妥当で、コンサート後〜朝までをどうにか過ごせればよい。

調べたところ仁川国際空港にはシャワーと仮眠室を備えた24時間営業のチムジルバンがある。最悪そこで過ごせればいいかも。

せっかく行くなら、、、という考えは全部捨てた。カムバも。イベント類も。余裕があればそういうことだって出来るけど、日本のコンサートだって全部行きたいし、自分には自分の生活もあるし、欲張っていられなかった。それでもドギョムの歌を聴きたかった。そんな欲張りの果てがこの限界ソウルコン旅の発想だった。



3月

さてそんな決意をした頃。なんということでしょう、インターパークの事前申込期間がすでに終わっていた。

チケッティングをするにも先行チケッティングは諦めて一般にかけるしかない。終わった……

しかも一般チケッティングの日は3月の最終営業日。果たして仕事は時間内に終わるのか。まあ取れなかったら諦めよう。そう思いつつも、一般チケッティングの前日(3/28)に、練習がてら仁川のチケット販売ページを覗いてみることにした。自分のクレカが使えるかも試してみたいしね!!

……

仁川(3/30)のチケットが取れてしまった

ちょうどキャンセル分の戻りがちょこちょこ反映されている時間だったらしい。なんてことだ!

2日後に韓国に飛ぶ手段がないか猛烈に考えたけど、パスポートの都合で無理そうだったのでキャンセルした。(変更申請中で新しいパスポートがまだ手元になかったため)


逆に燃えた。別に席は選ばないし、天井でいいし、チケッティングが無理でもキャンセル拾いでやったろーじゃん……🔥
(ちなみに肝心の一般チケッティングは年度末の残業祭りでまったく参加できなかった。ちょっと予想はしていたし仁川を諦めたのは正解だった)


4月

結論から言うと、公演まで1週間を切った月曜日(4/22)にチケットが取れました

急いで飛行機、ホテル、インターネットなどを手配。寝泊まりする場所だけどやっぱりベッドがないときついなと思い、仁川空港にあるカプセルホテルに泊まってみました!日本のカプセルと違ってちゃんと鍵付きの個室。私が見た時点でシャワー付きの部屋が最後の1室残っていて、72,000ウォンでした。



本当に韓国に行くのか、SEVENTEENに会えるのか実感が湧かないまま過ごした平日。そしてついにコンサートの日がやって来た。

もとより2日目のチケット狙いで28日のチケットを取ったので、飛行機は当日4/28(日)の朝便にした。始発で成田空港に向かいながら、前日に披露された青春讃歌の和訳歌詞をチェックした。歌を聴くのは当日のお楽しみに取っておいたけど、彼らが何を歌っているのか、少しでも知っておきたかった。

2度目の仁川国際空港。前回来たときも一人で、今回も一人。
一人でだってどこまでも行けると感じた。飛行機に乗るのも、電車に乗るのも、乗り換えを調べるのも。全部一人で出来る。誰かと無理に共有しなくても、自由に、好きなことをできる。これが孤独なのかそうじゃないのかわからなくなった。私が自分で選んだ孤独のはずだった。



そして困難もなくワールドカップ競技場へ到着。まずはチケットを引き換える。そしてCARAT ZONEへ。メンバーシップの認証を見せてカードをもらう。

とくに期待もせずめくってみたトレカには、ドギョムがいた。

たまげてしまった。何が起こったのかわからなかった。

ただの運。ただの確率。なのに、ここぞという場面で、13分の1を乗り越えて私の元にやってくるトレカ。一体どこまで私の心を掻き乱したら気が済むんですか?


スタジアム周辺はとてつもなく暑かった。少し写真を撮っているだけで頭がくらくらした。周辺のお店はどこも定休日らしかったので、1駅移動してカフェに入ることに。

イゴジュセヨは本当に便利
注文も一人で出来るようになりました


ここで友人と合流した。当日の朝「ソウルコン行ってる?」とLINEが来たのでまさか……!と思ったら、向こうもしっかりチケットを入手していたので笑ってしまった。(しかも同じ日!)
お互い「お金かかるしどうしよう」と話していたのに、蓋を開けてみたら結局現地にいるのだからおもしろい。SEVENTEENって我々の人生に必要なものだから、しょうがないね。


カフェで涼みながら、CARAT ZONEでドギョムのトレカを引いたことや、ホテル(よく直前で取れたね、と言われたので最後の1室だったんだよね〜と返した)のことを話した。とても嬉しいことに、「きっとドギョムに呼ばれたんだね」と言ってもらえた。オタクの都合のよい解釈だけど、それでも嬉しかった。ソウルまで行こうと思い立ったスタートラインは、まさしくドギョムにあったのだから。


開演

少し軽食を食べてから向かう、と言う友人と別れてスタジアムに移動した。

私の座席は下手側の角のコーナーのところ。天井席だけど、バクステやムビステは双眼鏡を使えばよく見えた。体感は日本のドームより近かった


コンサートの内容のことはあまり言語化できない。体に響くドラムの音がとてつもなく気持ちよかったこと。明るいなかで始まるライブは不思議な感覚だったこと。時折り吹く風が心地よかったこと。


少しずつ、ゆっくりと空が暗くなっていったこと。


ドギョムの声は相変わらず太く、大きくて、歌声も喋り声もそれはそれは気持ちよかった。13人が大好きなはずなのに、この人の声だけがひときわ輝いて、なぜかとてつもなく特別だった。モンジの合いの手(2番!やハイハイ!など)もとにかくテンションが高く、可愛かった。


韓国語で終始話せるコンサートはそれだけ自然に振る舞えるのだろう、ということに薄々気づいていた。というか、それは当たり前だ。


私の話をしてみる。前の韓国一人旅もそうだったけど、一人で外国に行くと口数が減る。街中でとっさに「すみません」と言いたいとき、咄嗟に謝りたくなったとき。パッと言葉が出ず、タイミングを逃して無言で有耶無耶になってしまう瞬間というものが発生する。

異国の言葉の反応速度が遅れるのは当然のことで、そんな壁を感じさせず私がいつも日本のコンサートを楽しめていたのは、彼らが寄り添ってくれるからだった。通訳も入らないくらいたくさん日本語を喋ってくれる有り難さ。あんなに「お互いに」と歌ってくれるのに、日本のコンサートは与えてもらうばかりなんだと気づいてしまった。


どうやったら彼らの言っていることがわかるようになるのだろう。

自分の亀のような一歩一歩では全然足りないことを実感して、悔しかった。ステージが楽しめればいい、と思って行ったはずのライブ。欲張りな私は、ちゃんとコミュニケーションを取りたいと悔しい気持ちを覚えてしまった。欲張りのその先に見えたさらなる欲だった。まだ私には辿り着けない場所が、たしかに存在した。


と書くとまるで楽しくなかったみたいになってしまうけれど、ライブは本当に楽しかった。彼らの音楽が大好きで大切だった。言葉はわからないのに、最後の方はなんとなく何を言ってるのかわかって笑えてしまった(無限アジュナのくだりで「戻ってもすぐ出てくるから」と言ってるところや、最後アンコールしすぎて「家に帰れ〜ッッッ」と言われているところ)




ちなみに、ホテルに着く頃には23時を回っていた。本国コンのアンコール、恐るべし……

お宿(野宿回避)



翌日

仁川のカプセルホテルは寝るだけの宿としてはちょうどよかった。ただ朝8時にはチェックアウトしないといけないのが難点。もっと寝たかった。


朝ごはんは空港のフードコートで。最後のメントでドギョムが「チキン食べてください」と言っていた気がするので、タッカンジョン付きのメニューを頼んでみた。朝ごはんにしては重すぎた。反省。

ライブ後はご飯とこのトレカで認証ショットを撮るのがルーティン



帰りの飛行機では、突然ドギョムのベテルギウスが聴きたくなった。オフライン保存をしているので、機内で早速再生した。



聴きながら涙が出てきた。ドギョムが日本語で歌ってくれた歌。去年のLOVE東京ドームのメントでお披露目してくれた歌。


実はベテルギウスが公開された当初は、いつもと違う歌い方にかなり困惑していた。知らないドギョムがそこにいるみたいで、どう受け取ればよいのかわからなかった。

ドギョムの、息をたっぷりと含んだ豊かな歌声は、韓国語の発音と合わさってこそ真価を発揮するのかもしれない……とまで当時は思ってしまった。たとえば子音のㅈの音や、パッチムのㄹの音。やわらかい音がたくさん並ぶ韓国語と違って、日本語の発音は1音1音の抑揚が少ない。原曲のがなるような歌声とも重なって、「日本語の歌はあんまり相性がよくないのかも……」と寂しさを覚えてしまった(それ以上に、あれだけ綺麗な発音で歌ってくれることの素晴らしさが勝つのだが。)



なのに、なのに!!

ソウルコンの悔しさを経て聴くベテルギウスは、狂おしいほどに泣けた。異国の言葉を、こんなに綺麗に歌ってくれることの有り難さを、こんな経験をしないと実感できないだなんて、本当に愚か。

歌い出しの「空にある何かを」は、ドギョムにとっては「소라니아루 나니카오」と認識するフレーズなのだと思う。

それでも私の耳にはちゃんと、「空にある何かを」に聞こえることの凄さ。


遥か遠く終わらないベテルギウス
誰かに繋ぐ魔法

「おじいちゃんになってもおばあちゃんになっても一緒に行こう〜!」とカチガヨの前振りを入れてくれたドギョム。

インスタの投稿に「Forever」と書いたドギョム。


遥か遠くに輝くベテルギウスの光の「永遠」を、見た気がした。直接面識のない「誰か」にかける魔法だった。

実際のベテルギウスには、いつか「終わり」がやってくる。ひときわ明るく輝くこの星は、寿命としてはかなり晩年を迎えているようで、いつか爆発して無くなってしまうらしい。(地球から642光年離れているので、いま地球にいる人たちには少なくとも関係がない話ではあるけど……)

それでも、「終わらない」と歌うこの曲。永遠などないこの世界で、たしかにドギョムは「永遠」を語ってくれた。日本語で歌ってくれた、特別な曲。

君にも見えるだろう 祈りが

うん、ようやく私にも「祈り」が見えたよ。




本国のコンサートは、まだ私が行くには早すぎる場所だった。自然体で過ごす彼らは、想像以上に遠い場所にいた。
(行ったことに後悔はまったくしていないけど、もう少し言葉がわかるようにならないと勿体ないな!と学んだ)

あと少し、もう少しだけ手を伸ばしてもいいだろうか。こんなに欲深いくせに小さな一歩しか進められない私だけど、少しずつ、少しずつ進んでいけば、また違う面持ちで彼らと会えるだろうか。それまでは、ふがいないけど、日本のコンサートで彼らに寄りかからせてもらいます。