ゆく年くる年(2023)

正月という季節が昔から苦手だ。一年の始まりの日、というとたしかに区切りのよい日なのだが、あまのじゃくな自分には、一月一日の特別さがいまいち信じきれない。暦というのは人類が勝手に生み出したものに過ぎないでしょ、昨日もその前日も、そこにある太陽は何も変わらないはずなのに、なぜか一月一日というだけで有り難がられる日の出。ごく自然に親戚が集まり、みんなで同じ番組を見て、「みんな」で一緒に「おめでとう」という感覚を共有する感じ。それがなぜだか気持ち悪い。

オリンピックやワールドカップが苦手なのと少し似ている。「みんな」で何かを共有するのが、昔からあまり好きじゃない。毎日はたいして変わらないはずなのに、大晦日が近づくと次第に「みんな」がこの一年のことを振り返り始める。だからなんとなく、自分も一年を振り返って、なんとなく次の一年のことを考えてみるけれど、それは内側から起こったものというより、外から無理やり働きかけられたもののように感じてしまって、つい抗いたくなってしまう。

かっこよく書いてみたけれど要はひたすらにあまのじゃくなのです。世の中の動きについ歯向かおうとしてしまうのです。だから今年も、どうしようかな年末感を出そうかな、どうしようかな、どう過ごそうかな、とそわそわしていたけれど、負けました。正月に。だってあまりにも、この一年は特別だった。というわけでとても私的な、ただ自分のことをつらつらと書いた自分語りnoteです(こうやって前置きをつい置いちゃうけど、自分語りして何が悪いー!と開き直る自分もいる わたしがわたしのことを語ってあげないで誰が語るの、何も語らずにいれたらそれが一番なのかもしれないけど、できないのだから仕方がない、そうやってどこかに言葉を吐き出し続けています)


はじめての

振り返ると、「はじめての◯◯」にたくさん出会った。ほかの人から見たら、え、今さらはじめてやるの笑 となりそうなものでも、私にとっては1回きりしかない「はじめて」で、そのたびにどきどきしてときめいた。死ぬまでときめいていたい、と薄らぼんやり願っていたことが、いつのまに近くにあってそこにいて、近すぎてわからなかったくらい。

・はじめてピアスをあけた
・はじめてのまつパ
・はじめてのネイルサロン
・はじめての本国カムバ
・はじめての推しのセンイル
・はじめてラキドロが当たる
・はじめてのオフイベ
・はじめてのペンミ
・はじめてのネームボード作り
・はじめて迎えるツアー初日
・はじめての東京ドーム
・はじめての海外ひとり旅
・はじめての夜行バス(もうしません)

昔、 向坂くじらさんが「周回遅れの人生」のことを書いていたのを読んで、こういうことかもなあと思ったことがあった。いまいち大人になれず、垢抜けられず、自分ががんばって一歩踏み出したことを、周りはとっくにこなしている、ということに、むなしさを感じていたとき。

いまも、大人になるということはよくわからない。お酒と野球と麻雀がわからないと会社の人とは「仲良く」なれないのだろうか、と考えたあのときの私へ、お酒も野球も麻雀もいまだにわからないけれど楽しく生きていけるし、会社の人とは深く「仲良く」ならなくてもちゃんと
日々をこなしていけます わたしは大人だけど子どもにもなれるし、大人の顔をすることもできる 変幻自在でまいにちがたのしい。


2022のこと

当たり前だけど2023年と2022年は繋がっていて、あの2022年がなかったらこの2023年もなかったのだろうなと感じる。だから、いまさらだけど2022年の話をしたい。

2022年1月4日。もうすぐ2年前になる。あの日、私はとつぜん仕事に集中できなくなった。その翌日の朝、自宅で社用PCの電源をつけると出勤のボタンが押せなかった。押さないといけない、ということはわかっているのに、どうしても押せなかった。

予兆はあった。だから身近な経験者にいざというときの話を聞いていた。いわゆるメンタルクリニックというものを受診して、会社の人とも話をして、そうして私は、何にもしなくていい期間を与えられた。

そこから半年ほどの時間が経ち、ようやく職場復帰をした。新しい部署で、新しい仕事を覚えた。少しずつ、ひとつずつ、出来ることを増やしていく日々。周りの人は本当によくしてくれて、何か質問をするたびにプラスアルファの知識を教えてくれた。新しい仕事はそこそこ自分に向いていて、ようやく"周回遅れ"で、働く人間としての基礎を作っていけていると実感できた。

その反面、生活は少しだけ不自由だった。たとえば、有給がない。休職していたのだから仕方がないとはいえ、平日にすごく行きたい予定があっても、我慢して諦めないといけない。遠征も可能となるのは土日だけ。2022年、DREAMのオフイベはほとんど諦めた。時間的に唯一行けそうだった東京の全員お見送り会は、倍率が高すぎて外れた。

2023年4月。年度が変わって、ついに有給が支給された。4月24日のFMLカムバ。この日は月曜日だったので、思い切って有給を申請してみた。

平日の渋谷を歩くのはずいぶん久しぶりだった。土日と比べたらスクランブル交差点の雑踏はこんなにマシになるのかと、早朝の渋谷を歩きながらびっくりした。HMVとタワレコとTSUTAYAで、予約していたアルバムを受け取った。何気ないこの一場面が、去年の、2022年の私にとっては、やりたくてもできないことだった。2022年の私だったら、カムバ日が平日なら仕事終わりの夜にお店に向かうしかないし、その時間に特典が残っている保証も、そもそも列に並べるかの保証もない(というか、店舗受取を諦めて全部通販にしていたかもしれない。ということは店舗ラキドロが引けないということ……)。2023年の私は違った。流れている時間が変わったようだった。あの日の日差しは暖かかった。

HMVでラキドロが1枚だけ当たった。ラキドロって当たるんだ、と思いながら、まあどうせ推しではないんだろうな、と中身をすぐ見ることもなく、モディのスタバで軽くご飯を食べることにした。注文の列に並びながら、先ほど手に入れた茶色の封筒を、そっと開けた。そこにはドギョムが写っていた。

小さく飛び上がってしまった。ラキドロが当たったその先に、13分の1の確率を超えて推しが当たるなんて、そんなことがあるのだと、考えたら薄い1枚の紙のカードが愛おしくてたまらなくなった。だから私は、どんなにビジュのいいトレカより、自分で引いた1枚が好きだ。世界にたくさん存在するカードのなかから、たまたま私の元へやってきたというそれだけで、それだけの価値がそこに生まれるから。
(ちなみに、その他店舗特典のたぐいはまっっったく自引きできず涙を流しました そういうものよね……)

この日の詳細を忘れることはあっても、
この日の感覚とまぶしさはきっと忘れないと思う


たかが有給、されど有給、という話だけど、まともに働けなかった期間のある(いわば前科がある)私にとって、有給というのは当たり前には使えない制度だった。「ちゃんと働けること」を証明して、年度が新しくなるその時まで仕事を続けられないと、手に入れられないものだった。FOLLOWに複数公演行けたのも、私にとっては当たり前のことじゃない。お見送り会のようなオフイベもそう。毎日をちゃんと始められること、趣味に使えるお給料を得られること、自分の予定に合わせて休暇を申請できること。これが揃わないと、参加するスタートラインにも立てない。そして2022年前半の休職中の私には、この3つが何もなかった。そこから1つずつ、一歩ずつ、前を向いて、ようやく達成できたことだった。2022年の私に、よく頑張ったねって言ってあげたい。2023年を経てようやく、2022年のことを強く思い返さずとも生きていけるんだと思った。だからこれは供養です、きれいに成仏させてあげるための儀式。さよなら、忘れるけど忘れないよ、2022年のわたし


そういえば1年前は何をやっていたっけ、と思い返すと、帰省中の祖母の家で資格の勉強をしていた(ちなみに簿記3級です)。3級なので勉強すれば受かるような試験だけど、あのときは、資格の1つくらい受かってやる気のあるところを見せた方がいいよな、と思っていた。歩みが遅れた分を取り返せるかはわからなくても、ちゃんと前に進みたかった。

スーツソクミンさんのアクスタに応援してもらいながら勉強しました
アクスタケース、電卓のサイズにぴったり


このあいだ、仕事で「ここってどうするんだっけ?」と思うようなことがあったとき、簿記の簡単な知識を使って仕訳の仕組みを考えたらこうか、と結論を出すことができた。簿記、3級だけでも取ってみてよかったな。着実に何かを積み上げられたんだな、と実感できた瞬間だった。


踏み出すのがこわい世界だけれど

「あいのちから」のドギョムのパートが好きだ。

踏み出すのがこわい世界だけれど
大丈夫だから今手と手を繋ごう

2022年以降の私は、できることを一つずつ増やしていったように思う。そういう環境を周囲が用意してくれた(ありがたいことです)

それまでの私は、最初から全てを上手くこなさなければ、と無意識に思い込んでいたのかもしれない。だからこそ踏み出すのはいつも怖かった。完璧にやらなきゃと思うほど、完璧になれない自分に嫌気がさして、一歩が踏み出せなくなった。いまは、その一歩が踏み出せる。一歩を踏み出せば、その先に道が続くとわかったから。

「踏み出すのがこわい世界だけれど」というフレーズを聞くたびにはっとする。そう、踏み出すのがこわい世界はたしかに私のなかにあった。「大丈夫だから」の部分は、大丈夫と教えてもらっているよりむしろ、大丈夫だとすでにわかっていることを改めて再確認してもらっている感じがする。きっと大丈夫だからさあ踏み込もう、というときに、最後のひと押しをドギョムが歌で伝えてくれる。

CARATであることも、一歩一歩の積み重ねだ。最初は何もわからなかったカムバのことだって、1回経験してみればこうやって投票をすれば良いのか、こうやって予約をするといいのか、こういうスケジュール感なんだと仕組みがわかってくる。少しずつ人と交流して、何かをやるたびに「これはこうすればいいのか」と学んでいく。少しずつコツを掴んでいく。仕事も趣味もおんなじだった。

きっと2024年も新しいはじめてがたくさん待っているのだろう。12月31日も、1月1日も2日も3日も、何も変わらないからこそ変わらずに愛していたい。何か大きな「みんな」がめでたいと言うからめでたいのではなく、私の中で嬉しいことがあったからめでたいんだと静かに笑っていたい。その嬉しいことのひとつが、SEVENTEENであったらいいな。




とっても私事ですが、年明けに入籍をすることになりました。別に言わなくてもいいんだけど、かといって何も言わないと本当に言えないままだな……と思いこちらでこっそりとご報告……。結婚という制度については色々と思うところがないわけではないのですが(最初にも書いたとおりあまのじゃくなので、結婚=幸せなこと、という価値観を浴びるたび、結婚していなければ幸せではないのか?と自問自答をしてしまう)パートナーと話し合って決めました。また新しい自分に出会えそうです。というわけで、ありがとう2022、さようなら2023、こんにちは2024。くやしいから12月31日には投稿してやらない