居場所があること、やりたいことをみつけること
(2019/09/22 執筆 再投稿)
自分がやりたいことってなんだろう、というのが見えなくなって、それを見つける為に、気持ちのアウトプットの場所としてブログを書き始めた。
やりたいことをやって記録していくのは、気持ちも溢れてるからネタには困らないだろう。
でも、結局やりたいことがないので、書くことがないし、更新自体は不定期だし、停滞しがち。
私はこのブログを書き始めた同時期に、
ここオーストラリアでの、私にとっての居場所を2つ程、卒業、お別れをした。
一つは、メルボルンに来てすぐに出会った日本人留学生を中心としたコミュニティ。
"メルボルンを2倍楽しむ"をテーマにしたこのコミュニティの、企画部メンバーとしてこの1年活動をしてきた。
とは言っても、私自身が何か企画したいと思っていた訳ではなく、私はあくまで楽しいことのお手伝いがしたかっただけ。
他のメンバーが出す企画に対して、中身を練ること、色んな状況を想定して話し合うこと、当日スタッフとして動き回ること、そのどれもが楽しかった。
学ビザ期間、がっつりスタッフとして関わっていたが、ワーホリに切り替えて戻って来てからは、ベビーシッターや幼稚園の先生という新たな挑戦を優先したくて、会計担当として企画部に席は置きつつも、会議にはほとんど参加出来ず、完全裏方と、当日だけのスタッフとして参加する程度だった。
裏方として動く事が嫌だった訳じゃない。
でも、そのうち、このコミュニティの企画部で自分がやっていることが、
自分がやりたくてやっているのか、
必要とされることに安心して、任されるからやっているのか、
わからなくなった。
悩みに悩んで、
一度、離れてみることに決めた。
1年3ヶ月。
短いととるか、長いととるか、わからないけれど、確実に私の居場所だったその場所を、手放すことがとても不安だった。
ここがなくなったら、私の居場所がなくなってしまうようで。
スタッフという肩書きがなくなったら、自分を表すものがなくなってしまうようで。
でも、一方で、もしかしたら、新しい何か居場所や、やりたいことを見つけられるんじゃないか、他に新しく、ワクワクすることを見つけられるんじゃないか、そんな期待もあった。
自分が、本当にやりたいことを見つけられたら、居場所を探さなくても、自分だけで、自分という居場所に満足できるんじゃないか。
そうは思いつつも、そもそも自己肯定感が低い私は、他人から必要とされる居場所を、切ることが怖くて怖くてたまらない。
実際に居場所を失った今、そんなにすぐにやりたいことが見つかるわけもなく、自分がメルボルンに居る意味があるのか、なにがやりたいのか、ずっと、悩んでる。
悩めば悩むほど、負のループに陥る。
自分の価値を自分で見出すことが、とても難しい。
やりたいことを、やる。
その一見簡単なことが、こんなにも難しい。
子どもの頃は、きっともっと素直に出来てただろうに。
今回のブログも、嘘はないが、純度50パーセントくらいしかかけてない。
まだまだ文字になりきれない、未消化の気持ちが心の中でぐちゃぐちゃしてる。
これをもう少し吐き出して整理できたら、楽になるのかなぁ。