Hosier Ln アートの街メルボルンで、やりたいことをやる人たち
(2019/09/11 執筆 再投稿)
今日は仕事終わりにHoiser Ln に行ってきた。
アートの街メルボルンと言われるだけあって、City内でも少し離れたサバーブでも、いたるところにウォールアートを目にする。
私は絵に詳しくないので、細かいことはよくわからないが、いわゆる、グラフィティーというやつらしい。
基本的には壁に勝手に絵を描くのはご法度だそうだが、ここHosier Lnは合法的に絵を描くことが許されているそう。
そしてグラフィティーを描く(表現方法として合っているのかわからないけれど、、、)時のルールとして、”前に描かれている絵よりうまく描かなきゃいけない”というのがあるらしい。
とても粋なルールだなと思う。
そんなわけで、ここHosier Lnの壁は世界中のペインターや、アーティスト、時にはやんちゃ坊主や、観光客の手によって毎日姿が変わる。
メルボルンで知り合った友人がペインターで、その人の影響でグラフィティというものに興味を持ち、このHosier Lnに実際に描いているところを見に来ることもあり、今では私の好きな場所の一つ。
そして今日は、一人の日本人グラフィティーペインターがメルボルンを去るそうで、そのfarewell paintingとでもいうのか、要はみんなで最後に集まって絵を描こうぜ!!というのがあったらしい。
惜しくも描いている現場には立ちあえなかったけど、また姿を変えてしまう前に一目見たくて、仕事終わりにその足で見に行ってきた。
正直私は"アーティスト"というジャンルの人間ではないし、美的センスが優れてる訳でもないし、絵の技術に関しては全くの無知。
そんな私が人様の描いた絵に対して何かコメントをするなんて、烏滸がましいことは百も承知だけど、ただ感じたことを言葉として残したいというこの衝動を許してほしい。
そもそも絵やアートというものは、うまいとか、下手とか、素敵だとか、そんな言葉で表せない、感覚的な刺激だと思うので、言葉で表わそうとする時点で間違ってるのかとも思うけど、、、
先程も言ったように、実際に今日描いている現場に居合わせた訳ではないので、どこからどこまでが、このfarewell paintingで描かれた作品なのかはわからないけれど、、、
単純に、素敵だと思った。
何が素敵って、この街を去る彼と、最後に、ご飯や飲みに行くわけではなく、言葉を交わす訳ではなく、"一緒に絵を描く"という時間の共有の仕方。
みんな各々絵を描く、一見ばらばらな様で、きっと、本人たちの中では、主役の彼へどこか想いを寄せた作品になっているであろうこと。
ここで絵を描く彼らは、みんな、やりたいことに素直に向き合い、"やりたいことを形にしている"人たちであること。
この場所に、ここで絵を描いた人たちだけじゃなく、私を含め、完成された絵を見た人、あるいは描いている途中を見た人たちにも、何らかの刺激だったり、感動だったり、心を動かす力があること。
素敵。以上の語彙力があればいいのだけれど、私はこれ以上感動を表す言葉を知らない。
こんな風に、誰かの心に刺激を与える時間と場所を作り出したきっかけである彼も、その彼の為に集まったアーティストたちも、きっと素敵な人たちなんだろうなと思う。
自分がやりたいことが何なのか、まだわからない私は、ただただ感動するばかり。
こんな風に人の心を動かす力がある人たちを尊敬する。
羨ましいと思う。
でも、これを自分で目にできたこと、感動できたこと、それをこうして言葉として残せること、そこには嬉しさを感じてる。
現状に満足してしまうわけでは決してないけれど、今は、これでも悪くないのかもしれないなと思ったり。