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22年ぶりに浜崎あゆみのライブに行って爆泣きした話
あけましておめでとうございます。
昨年もたくさんの素晴らしいドラマに巡り合い、過去に自分がハマったドラマをあらためて見返してみるなどもして、大好きなドラマ鑑賞に存分に浸ることが出来た一年でした。
その中でも特に昨年は、フジテレビ7月期 月9ドラマ「海のはじまり」について、情報公開からなんやかんやで半年ほどひたすら記事を書き続け(笑)
放送開始からは毎話ごとに重すぎる愛情を書き散らかしましたが、思った以上にたくさんの方からのいいねやコメントをいただき、皆さんの記事も拝読させていただいたり、一緒に作品を楽しむことが出来ているように感じ、とても楽しく過ごさせていただきました。
今年も素敵なドラマに出会えますように。
皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします!!
…で、ですよ。
2025年一発目の記事なのですが、すみません、テレビドラマとは全く別の話をします。
書きたくて書きたくて。
どうか私に、浜崎あゆみというレジェンドアーティストの話をさせてください。
私、年末に東京・国立代々木競技場第一体育館で二日間開催された浜崎あゆみさんのカウントダウンライブ「ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2024-2025 A ~I am ayu~」に参戦してきました。
浜崎あゆみと私
浜崎あゆみさんといえば、もう誰もが知る日本のJ-POP界を代表する歌姫です。
年齢がばれそうですが、私も中学生の時に「あゆ」に夢中になった大勢の人たちの中の一人で。
人生で初めてのファンクラブに入会したのが、あゆでした。
敬意と愛情を込めてこの記事では「あゆ」と呼ばせていただきます。
中学生になって初めて自分で買ったケータイは、あゆが出演していたツーカーのケータイでした(エモ)
店頭で配布されるツーカーのカタログを集め、あゆが載る雑誌は切り抜いてファイリングして。
学校では授業中にノートの表紙にあゆの歌詞を書き綴り(勉強しろ)、スクバにはポスカであゆの歌詞を書きました(スクバとか十億年ぶりくらいに言った)。
なんで歌詞書くんですかね。
なんかあの頃ひたすら身の回りのものに歌詞を書いていたんですよね(笑)
あゆの真似をしてショートカットにしたら想像を絶するフォルムになり絶望をしたり(それ以来ショートは避けてる)、あゆの真似をしてホワホワのしっぽを買ってみたものの身につける勇気がなくてそっと引き出しにしまったり。
年会費数千円という料金が当時の私にとってはとても高額で、それでも勇気を出して入った人生はじめてのファンクラブ、Team Ayu。
あゆが書く文字が好きであゆフォントは一通り書けるようになるまで練習したし、あゆのサインも完璧に書ける(無駄なスキル)。
きっと世代が近い方には共感していただけるのではないでしょうか。
そんな風に、当時たくさんの少女があゆに憧れて、あゆになりたくて、あゆを追いかけていたあの時代、中学生だった私も、あゆに夢中になっていたのです。
初めて行ったあゆのライブは、2002年に開催されたスタジアムライブ。
中学生の私にとっては、ライブなんて本当に未知のイベントで。
会場も遠くてまず辿り着くことが出来るのかが我ながら不安だったし、グッズを買うお金もそんなになかったんじゃないかな。
スタジアムの後ろの方の上の方の座席で、ステージに立つあゆなんて米粒よりも小さかったと思う。
なんならスクリーンに映るあゆが米粒くらいだったかもしれない。
それでも、あゆと同じ空間にいられたことが嬉しくて、私は目をキラキラさせて、飛び跳ねて、人生初のあゆのライブを大興奮で満喫した思い出があります。
それくらい好きだったんです、あゆ。今も好きです。
それでも、高校生になり大学生になり大人になり、時が過ぎ、いつの間にかなんとなく、あゆから離れていった私。
ずっと好きだけど、ファンクラブは何かのタイミングで更新をせず退会したし、いつからかCDやグッズを集めなくなり、活動もマメに追わなくなり。
ライブも結局その2002年のライブが最初で最後の参戦となり。
音楽はぼちぼち聞いているし、テレビに出演していれば見るし、SNSなども見たりするし、あゆはずっと好き。私の青春。
それでもなんというか、そういう距離感だったんです。
少し前、あゆがデビュー25周年を迎えた頃かな。
そうか、もうそんなに経つのか。
あれ、私がライブに行ったのは何年前だったっけ?
そんなことを思いながらふと胸に抱いた、「いつかもう一度浜崎あゆみのライブに行きたい」という夢。
それを叶えることが出来たのが、年末のカウントダウンライブでした。
あゆがいた
ライブ当日。
ライブ自体は色々なアーティストのものに結構参戦している方なのですが、あゆのライブはなんといっても22年ぶり。
今の客層はどんな感じなのだろう、私浮いたらどうしよう、今のあゆってどんなライブするのだろう。
若干緊張しつつソワソワした気持ちで席につき、入場時に配布された光るうちわの点灯具合を入念にチェックしながら開演の時を待つ私。
ところでこの光るうちわがですね、なんとセーラームーンとあゆのコラボグッズになっていて、それはもうめちゃめちゃ可愛くて、嬉しくて嬉しくて今も大切に部屋に飾ってあります。
そんなこんなで開演の時。
演出が始まり、今か今かと待っていたあゆが遂に登場。
その瞬間、私、全身鳥肌でした。
あゆだ。あゆがいる。浜崎あゆみがいる。
震えました。
あゆがいたの。そこに、あの日のあゆが。
キラキラしていて、圧倒的なオーラを放っていて、めちゃめちゃ可愛くて、お人形さんみたいで、パワフルな歌声で、凛として、魂で叫ぶみたいなあゆが、そこにいたんです。
そこからなんだかもう私は情緒不安定。
目に涙が浮かんだり引っ込んだり鳥肌が立ったり熱くなったり震えたりと大忙し。
なぜなら目の前であの浜崎あゆみが、あまりにも浜崎あゆみで、浜崎あゆみをがんがんにカマしてきて、がんがんにそれをくらってしまうから。
私がなんとなくあゆと疎遠になり、進学やら就職やらなんやらかんやらと人生のページをいくつもめくってやってきた今、この目の前に、あゆはあの日のあゆのままでそこにいた。
もちろん、年齢も重ね、時代も変わり、あゆだってたくさんの変化があっただろうけれど、なんかもう、全然変化っていうか、進化で。
あの頃のあゆよりも、もっと自由になって、もっと強くなって、もっと素直に愛を抱きしめて全身で全力で放っているように見えたあゆ。
それでもやっぱり、あゆはあゆなの。そこにいるの。
あの日私が、みんなが憧れて夢中になって追いかけたあのまんまのあゆが、そこにいたんです。
これはもうすみません、語彙力を失う衝撃と感動だったのでうまく言葉に出来ないのですが、でも書きたくなってしまったくらい、誰かに伝えたくなったくらい、すごかったんです。
あゆは綺麗で、でもやっぱり可愛い。最高に可愛いの。
あゆはステージでパフォーマンスをしている時が一番最高に可愛いんだよ。
ちらっとだけ見て劣化したとか言ってる人たちは全員ちょっと一回ここに会いに来いって感じ。
進化して、でもあのまんまのあゆが、浜崎あゆみが、今もそこに確かにいたのです。
爆泣きSEASONS
そんな衝撃のまま聞いたSEASONS。私、爆泣き。
それまで涙が目の表面に浮かんだりひっこんだりしながらも零れることはなく鑑賞していた私。
SEASONSを歌うあゆを見て、突然溢れ出し止まらなくなった涙。
もうただただ涙を垂れ流しながら聞いていました。
ああ、グッズのうちわって、涙を乾かすためにあるのか。
さまざまなライブに参戦してきて、推しの名前を書いたりとにかく一瞬でも目に入りますようにと振りかざしてきたうちわだったけれど、うちわって本当は流れる涙を乾かすためのものだったのだなと、このとき初めて知りました。知らんけど。
いや、なぜSEASONSというベタな曲で泣いたのか、という話なのですが。
曲が好きで久しぶりに生で聴くことが出来た感動というのもあったけれど、それよりも、ああこの曲をあゆは昇華させたんだなって、それを感じてしまって、震えて涙が止まらなかったのです。
SEASONSといえば、浜崎あゆみの代名詞みたいな曲。
あゆのファンじゃなくても日本のJ-POPの代表ソングとして知っている人がたくさんいるであろう曲。
けれどこの曲、あゆファンにとっては「vogue」「Far away」「SEASONS」の絶望三部作と言われるもので、ファンとしては特に発売当時、この曲に込められていたであろうあゆの想いに触れると、あんまり手放しに呑気に聴けない曲だったんですよね。
苦しそうに歌っていたあゆの姿とか、未だに覚えているし、曲も詞も素晴らしい名曲だけれど、どこか切なくて儚くて、あの頃は「あぁ、あゆ、消えないで」と願ってしまうような曲でもあった。
そのSEASONSをね、カウントダウンライブでのあゆはね、「一緒に歌おう」と笑顔で会場にマイクを向けて、それを受けて会場が大合唱するんですよ。
あゆはそれを、にこにこして、本当にあったかい笑顔で見ているんです。
「一緒に歌ってくれてありがとー!」って笑うんです。
ああ、そうか。
SEASONSはあれから時を経て、そんな曲になったんだ。
あゆはたくさんの出来事と時間をかけて「浜崎あゆみ」を受け入れて、「浜崎あゆみ」を生きることを本当に受け入れたんだ。
この曲も、本当の意味でファンのための歌になったんだ。
ファンのための歌に、あゆがしてくれたんだ。
そんなことを思ったら、涙が止まりませんでした。
SURREALの披露もあったのですが、この曲もかなり会場を盛り上げる曲になっていて。
会場のボルテージがぶわーっと上がってみんなで光るうちわをぶんぶん振りながらうぉーーーーってなるんですよ。
まあ私は引き続き、再び溢れ出した涙を光るうちわで涙を乾かしていたわけなんですけど。
この曲も発売当初、忙殺されていたであろうあゆが声を枯らして目元にくまを作りながら叫ぶように自分をすり減らすように歌っていた姿を知っているから、時を経て今目の前で、晴れやかな顔で会場を盛り上げようと歌うあゆの姿にぐっときてしまって。
「どこにもない場所で私は私のままで立ってるよ」って孤独のど真ん中で叫んでいたあのあゆが、「ここにいるよ、この場所にずっといるからね」って、みんなに向かって笑いかけるみたいに歌うんだもん。
泣けません?(圧)
長い間ずっとあゆが好きであゆを支えているファンの方がたくさんいるように、私みたいにあゆが思い出になりつつあるような、少し疎遠になったファンもたくさんいると思うんです。
時代だって変わって、大衆の音楽の消費の仕方も変わり、いろいろなトレンドやらジャンルやらの流入もあって、そういう中で自分というものを見失わずに貫き闘ってきた人、そういう人でなければ放てない強さがあゆにはあって、それがやっぱり、唯一無二のアーティストであり、歌姫でした。
浜崎あゆみというエンタテインメント
あゆはすごく進化していた。
でも、みんなが見たい「浜崎あゆみ」を見せてくれた。
浜崎あゆみのエンタメが、そこにあった。
それを見せつけられたカウントダウンライブでした。
VCRやMENTは最低限というかほとんどないし、たとえば無線コントロールペンライトや派手で大掛かりな機構もあまりなくて。
人が人の力でつくりあげるエンタテインメント・ショーという感じで、それが圧巻でした。
バンド、コーラス、ダンサーズ。
ステージの上に上がるこうした方々は、サポートメンバーなんかではなく、各々が大切な表現者の一人としてステージに立っているんです。
テレビ番組出演の際にちらっと見かけるだけだと「後ろにたくさん人がいるな~」くらいに思ってしまうかもしれないけれど、実際にライブというショーを見に行くと、あゆがこうした仲間たちを「一座」と呼ぶ意味がわかる。
あゆが自分の事をいつも「ボーカル あゆでした!」と挨拶する理由がわかる。
「浜崎あゆみ」をつくっているのは一座であって、その中で、あゆはボーカルという役割なんですよね。
「あゆ」と「浜崎あゆみ」、その乖離に苦しそうな時期も結構長くあったと思うけれど、今のあゆは、なんというか、「浜崎あゆみ」がどこまで行けるのか、どこまでも行ってみようよって、一座やファンと一緒にわくわくしているようにすら見える感じでした。
スタッフさんたちもきっと、長く一緒に「浜崎あゆみ」に携わっている方が多いのかもしれないですね。
ファンも長く連れ添っている方が多いのもあって、なんかもうみんなで「浜崎あゆみ」で。
進化も変化も取り入れながらも確固たる「浜崎あゆみ」のエンタテインメントがあって、そこが揺らがない。
それはやっぱり、時代に迎合したり馴れ合いをしたりせず、自分たちが目指すもの、信じるもの、誇るもの、そういったものへの想いや信念を強く持って、自分の足で泥臭く歩み続けてきたアーティストだからこそつくりあげることが出来るものだと思います。
あゆは歌姫だけど、綺麗におめかしして華やかな場所にいるお姫さまじゃなくて。
全身使って汗かいて涙流して歯くいしばって表現をする泥くさい人間で、そういうところが、あゆなんだよな。
だからみんな好きなんだよな。
日本のアーティストとして、エンターテイナーとして、エンターテイメントショーとして、「浜崎あゆみ」とそのパフォーマンスはもっともっと語られたり広く見られていってほしいと思う。
「浜崎あゆみ」はレジェンド歌手だけれど、まだまだ全然現役でそこにいるから。
あゆありがとう
やっぱり観終えた後はもう、「あゆありがとう」しか出てきませんでしたね。
もちろんあゆだけじゃなく、やっぱりこう、これだけの長い時間ずっと表に立ち続けて活動をし続けていくって、本当にすごいこと。
いてくれることって全然当たり前じゃないから、ただあゆが浜崎あゆみとしてそこに今も居続けてくれていることに感謝しかなかったし、また会いに行きたいと心から思いました。
昔あゆを通った人、あゆが思い出になりかけている人、もしよかったら、ぜひあゆに会いに行ってほしい。
すみません、私はどこの誰の何の目線で話しているのか謎なんですけど(笑)
何度も言うけど、いつまでもいてくれることが当たり前じゃないけれど、きっとこれからもあゆはいてくれるから。
だからいてくれて、会えるときに、会っておいてほしいなって思います。
そして、ずっとずっとあゆが好きであゆを支えてきたたくさんのTAの方たちにも、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
あゆとあゆのファン。
その空間が、なんだか本当に美しくてあたたかかった。
あゆ、ずっとあゆでいてくれてありがとう。
ずっとそこにいてくれて、また私を迎えに来てくれてありがとう。
やっぱり大好きだよ。
「浜崎あゆみ」が、私は好きです。
また会えてよかった。
また会いに行くね。
あゆ、ありがとう。