統合失調症の発病まで
知的障がい、自閉スペクトラム、
統合失調症の姉を持つ
きょうだい児の芙蓉です。
昨日の続きです。
大打撃の後、私の心の中に
「家族の秘密」という言葉が、
必要以上に大きく住み着いてしまいました。
口外してはいけない。
隠さなければいけない。
もしも、誰かに姉が自閉症だとしゃべってしまったら、
家族をとんでもない危険に
晒すことになるのかもしれない……
ものすごい裏切りを
私が犯すことになるんだ…
そんな十字架を背負った気分でした。
しかし、現実の姉は、
「私は自閉症です」と、看板を付けて歩いている、
と言っても過言ではありませんでした。
右から見ても左から見ても
障がい者にしか見えないことを
両親は見てみぬフリをしているとしか
思えませんでした。
姉は、普通学級に進むことによって
小学校、中学校と
ものすごいイジメを受けていました。
まともな会話ができない奇声をあげる。
特定のものを極端に怖がる。
癇癪を起こすと手がつけられない。
暴力。
生きている虫をマッチの火で炙って
笑っている……など
いじめられないわけないですよね。
それに対して、母は
果敢に姉を守ろうと頑張っていました。
学校に乗り込んで行き
姉をいじめた奴らを引っ張り出し、
「謝れ‼️」
といじめっ子を怒鳴り付けていました。
かなり威勢の良いお母さんでした😅
そんな激しい光景を日常から目の当たりにし、
私は何となく
姉がいじめられる理由もわかる中で、
どう対処したら良いのか?
いつも答えがない出ないまま、悩んでいたのだと
思います。
高校は、都内でも偏差値最下位の女子校に
通っていました。
その中ではいじめられることはなかったようですが、
いろいろ問題を起こし
母はしょっ中、学校に呼び出されていたようです。
自閉症だと、カミングアウトをしてしまえば
ラクになっていたのかもしれません。
しかし、家族の秘密は
絶対に守られて、
姉は少し変わった、普通の人として
どこまでも生かされていました。
口に出してはいけないことがある
居心地の悪さが、
私の家族を支配していました。
私が姉の自閉症を知った1986年ごろ、
姉は、これまでと違った狂気を帯びるようになりましま。
とうとう誰にも手がつけられないほど、
暴れるようになり
家族全員が疲弊しきっていきました。
分裂病…
今でいう統合失調症が発病です。
続く。