丹後旅行④〜ちりめんの町、与謝野〜
丹後地方に伝わる伝統文化丹後ちりめん。そのちりめんを生産している場所が集まるちりめん街道。3日目はそこに訪れた。
ちりめん街道
ちりめん街道とは、与謝野町加悦の旧街道沿いの街並みのことを指す。ちりめん商家や工場、旧住宅、洋館の病院、銀行、酒蔵、旅館などが残っており当時の様子を伝えている。この町並みの基礎ができたのは天正8年の織田信長がいた時代。この頃丹後を支配していた細川幽斎の重臣、有吉立信が加悦に安良城を構えた。お城の南に城下町を建設した。その城下町が現在の町割の基礎となっている。その後ちりめんが導入され織物の町となった。
丹後でちりめんが生産された理由
ちりめんが丹後に伝わったのは江戸時代。西陣にいた人々がちりめんの技術を丹後に持ち帰り地域の人に伝えた。また、ちりめん生産には湿気のある気候が大切だった。丹後には「うらにし」と言われる独特の湿気のある気候がある。これがシルクを織るのに最高の相性だった。そのためこの地で生産が続き丹後ちりめんは定着した。
丹後ちりめんの特徴
⚫︎生地のしなやかさと肌触りの良さ
⚫︎シルク独特の光沢感
⚫︎シワになりにくい
⚫︎シボと呼ばれる生地の細かな凹凸
主にこれらの点が丹後ちりめんが人気な理由である。今では着物に使われるだけでなく服やハンカチ、ネクタイなど様々なもに利用されている。またシボとは緯糸に約3000回転もの撚りを掛けた糸で織った織物を熱湯につけることでシルク特有のセシリンを取り除く。その工程で糸の撚りが元に戻ろうとする時にできるのがシボである。
ちりめん街道散策
ちりめん街道へは丹後鉄道の与謝野駅からバスで行くことができる。バスは1時間に1本程度しかないため注意が必要。ちりめん街道で降りたらすぐのところに観光案内所がある。ここに行けばマップが手に入りやってる場所の説明などしてくれる。まずは案内所へ行こう。今回タイミングがよくアートフェスティバルの展示がされていた。
11月7日までやっている。ちりめんの着物の展示だが光と演出が組み合わされておりとても美しかった。これを見ただけで来てよかったと思えた。その後は歩いてちりめん街道を巡った。ちりめん街道には、旧加悦町役場、井筒屋旅館、旧川嶋酒造酒蔵、旧尾藤家住宅、天満神社、旧伊藤医院診療所など見所はたくさんある。この日はバスまでの時間もあまりなかったことと閉まってる場所もいくつかあったため旧尾藤家住宅屋ちりめんの機械、町並みを見るのがメインだった。
旧尾藤家住宅
尾藤家は中世では武士であった。江戸時代の幕開けごろには加悦谷の東にある温江村にいた。その後、加悦に移住した。17世紀から18世紀初めにかけて大庄屋善右として加悦の寺社に鳥居などを盛んに寄進した。18世紀後半には庄蔵屋が確立し代々庄蔵屋を名乗るようになった。1806年には丹後に訪れていた‘伊能忠敬と面会しておりその頃には520坪の屋敷を構え、70石を超えていた。ちりめん商としては幕末の動乱期に再出発しており文久3年に旧尾藤家住宅を建築した。そして生糸ちりめん商として明治を迎えた。その後大正11年に撤退するまでちりめん商として活躍していた。他にも銀行や鉄道事業など様々なことをしており現在残っている住宅の豪華さから繁栄していたことを知ることができる。
この後にはちりめん街道を歩きちりめんを作る機会をみるなどして天橋立へ向かった。
以下にここで撮影した写真を載せる。
こんな感じで数時間の間であったが与謝野を満喫することができた。また与謝野ではちりめんの体験もできるみたいなので今度来たときはやってみようと思う。午後は天橋立ホテルに泊まり天橋立観光をした。そのことは次の記事で書こうと思う。