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"君たちはどう生きるか"という問いはむずかしいが、何をしたいかを明確に言える人間にはなりたい。

漫画「君たちはどう生きるか」を読みました。

漫画はビジュアルで認識できるため、ホリエモンが言うように、活字の本よりも明らかに早く概要をつかむことができます。

また、今回漫画を読んで、原典を読みたいなという気持ちになったことから、書籍を販売していく上で、効果的なアプローチであると感じました。

歴史的名著と言われると、読んでみたいという気持ち半分、難しそうだなという気持ち半分になり、なかなか手がすっと伸びないのが現実。

漫画というアプローチは、心理的ハードルをグググっと下げることができる。多動力の漫画版も面白かったですし、今後増えてきそうですね。

今週はイベントが盛りだくさんでした。

メガベンチャーの中途面接を受け、プログラミング教室の友人と4ヶ月ぶりに会い、菅付雅信さんと箕輪厚介さんの対談を聞き、会社の同期と飲みにいき、中途面接の結果に落胆するという今週。


中途面接の結果は×でした。

内心大丈夫(通過しているだろう)という気持ちもあったため、ダメージはありました。

金曜日は前からいい思い出がないです。ふと、就活生のときも19:02と19:07にお祈りメールが来たことを思い出しました。昨日は、20:00ぴったり。友人と会っていてもうまく笑えなくなりますね、、、反省です。

悔しかったですが、冷静に受け止め、学びに昇華させることができました。そもそもなぜ転職したいと考えているのか、応募者としてできる圧倒的努力とは何か、それを実践してどうなるのか、今の業務への応用等々。

現職では、新卒採用の担当として面接をする側ですが、面接される側に立つとどうかということを再認識することができました。もちろん就職活動を私自身も経験しているので、普段から自分の原体験を意識していますが、久しぶりに面接される側になると思い出すこともあります。

結果に関しては、単純な求めるスキルとのギャップもあったかもしれませんが、人がいいだけでは採用には至らないという、私が普段から人事部の上司と話している内容だったことを皮肉にも感じました。

スキルだけでなく、合っているか、その人のためになるかという視点も含めて判断しているということです。たとえば、非常に優秀で、明朗快活な東大生であっても、弊社ではないなと思う点があれば通過させません。

今回の中途面接における、私の反省として、オウンドメディアを全記事読んで会社の理解し、今後の展開も含め自分なりの視点を持っていたので、それを話せれば大丈夫ということと、スキルに関しては転職して環境に入ればキャッチアップしていけるだろうという2つの慢心があったことです。

環境に入れば身につくこと、転職前に必要とされるスキルの議論はむずかしいなと思います。環境に求めるな!という声も理解できます。ただ、環境に入ることで近道をして体得できるスキルもあります。

何者かであることは必須ではないが、自分が何者かであることを解像度高く理解できていないと他人に伝わらないし、採用する側としてもポストを任せるのがその人である理由付けにならない。誰でもできる仕事ではなく、個人的な想いを持って取り組める仕事を与える方がいい。ただ能力がある人から仕事が割り振られる世の中であれば、就職や転職も、能力順(ex.学歴)で上から選ぶだけ(=新卒は職務経験がないので期待値になりがち)。

でも、仕事ってそこまで単純ではないです。やらないといけない理由や想いがあるからこそ生まれるその人なりの理想的な姿やゴールがあり、現状とのギャップを正しく認識できる。

誰もができる仕事ではなく、自分だけができる仕事、自分であれば他の人と異なるアプローチで特別な感情を抱いて取り組める仕事をやることが、これから生きていく上で大事な視点です。

人間である以上、誰だって自分の才能をのばし、その才能に応じて働いていけるのが本当なのに、そうではない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やり切れなく思うのだ。(漫画 君たちはどう生きるか)


その仕事や役割を見つけること、もしくは探すこと自体が生きていくことに近いのかなと思いました。それが見つからないことは辛いです。

何より、自分しか答えを知らないし、答えに納得感があるかないかは明確にわかってしまいます。辛いからゆえに、現実に目を背けて、“これだ”と思いたいとしても、それがつくられた感情であることも、自分では理解できてしまいます。

真のものを見つけないといけない。自ずと見つかることもあるが、見つかりづらい教育になっているのかなとも思います。ひょっとすると、気づかない方が悩みが少ない人生を歩めるのかもしれないです。

本を読むこと、ブログを読むことは、誰かの人生に憑依して、疑似体験することで、自分はどうかと照らし合わせる探求に近い。

塩谷さんの文章は、うつくしくなめらかです。

菅付さんのイベントでは、“これからを生き抜く編集力”を学びました。
見城徹さんや石原正康さんがいる、“文芸”という同じ土俵では勝てないという気づきから、“日本一写真に詳しい編集者になろう”と決意したとのこと。

いいものではなく、すごいものに触れる。
You are what you read , 
what you see ,
 what you listen.

読んだもの、見たもの、聞いたものなど、普段口にしているものが今の自分を形成している。

これはかなり腹落ちし、同じ時代、同じ時間を過ごしているにも関わらず、現実には大きな差があります。それは、圧倒的な努力をしているか、1分1秒を大事に生きているかとの積み重ねによる差です。


能力に先天的と後天的という話があるかと思いますが、自己形成は、後天的事象によるものが大きいと感じています。まさに、幼少時代から、何を読んで、何をみて、何を聞くか、それにより、良い or 悪いの座標の解像度が高まり、AはBよりも+の方向に3良いなどの判断ができるようになります。

ただ、審美眼に近いものも、圧倒的な量の先にある質であって、最初から“すごいものないかな”と探していても、狭い世界の中であり、すごいものでない可能性が高い。

すごいものしか取り入れたくない、くだらないものを摂取する時間は無駄という意見もあるが、まずは自分が良いと思うもの、世間が良いと思うものに大量に触れ、自分の中での判断軸を形成していき、プロのモノサシと自分のモノサシを比べて修正し続ける。もちろんプロと全く同じモノサシを持てばそれでOKという訳ではありません。基準を知らないといけないということ。


いきなりバスキアを買うのはただの金持ちの遊びに過ぎない。

たくさんのアートにふれ、自分の人生とアートの関わりを考える中で、自分なりの良し悪しが判断できるようになり、その延長線上にバスキアがあったのが前澤さんだと思います。

やはり、すごいものを使わないといけない。

ミニマリストも大量消費をする中で、これいらなくない?的な発見があり、ものが少なくても同じ効用を得られ、フットワーク軽く何処へでも行けることのメリットを享受することによって、これも減らせるかな?的な発想に至っているわけです。

いきなりミニマリストになろうというのは、ただの流行を追うだけのミーハーであり、半年後にはミニマリストのかけらもないでしょう。


私もその道半ばです。
だから、周りから見れば中途半端な、ミーハーな人に見えるでしょう。
結局何がしたいの?と思うでしょう。
現時点においては、それでいいと思っています。
ただ、自分自身が一番それに苦しんでいます。

これをしないと生きていけないというほど熱狂できる何かに関して、内から出てくる心の声に出会っていません。

“何をしてきましたか?”という質問にどう答えるか。

これが冒頭で挙げた中途面接で聞かれました。

箕輪編集室やコピーライター養成講座など、色々な活動をしているが、結局そこから何を学び、糧としているか。

手段と目的を履き違えていないか、やっている自分に酔っていないかという至極まっとうな質問でした。その質問に答えるためにも、ただインプットをして気持ちよくなっているだけではなく、アウトプットも合わせていき、自分自身の内なる声の存在に気づくことを目的とします。

まずは、すごいものを知るべく、感じるべく、購入しました。

明日、展示会にもいきます。


26歳

結婚した友人もいます。子供がいる友人もいます。創業した友人もいます。世界を転々としている友人もいます。会社に染まりきっている友人もいます。

同じ26という年齢でありながら、それぞれをそれぞれの時間軸、空間で生きている。刺激もあります。

メシを食っている時の話も変わりました。昔はしょうもない話に終始していましたが、最近は、これからどうしていくのか?という真面目な話をするようになりました。

そのときに、僕は何がしたいということを強く言える人間になりたい。
そのために何をしてきているのかも話せるような人生を歩みたい。

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