N's 感想文|本当に小説のようなドラマだった、『おちょやん』
5月14日(金)に最終回を迎えた『おちょやん』。本当に今作は名作だったと思います。
昔の女優さんをモデルにした、ひとりの女性の物語であり、今この時代にずしんと響く、「家族の物語」でした。
女優としての成功譚とかガラかめみたいな話ではなくて、家族の多様性、ただの血縁ではない家族の形。人と人がどうやって絆を紡いだり、逆に途切れたりするのかを甘くも冷たくもなく描ききっていたと思います。
そして、主人公を演じた杉咲花ちゃんの演技力の凄いこと凄いこと。瞼の震えひとつで感情を表すとか、ここ数年の俳優さんの中で頭抜けた演技力だったように感じました。
とと姉ちゃんの三女役だった時は、最後の最後、中年になった時の演技では「いくら何でも無理がある」って、ちょっと笑っちゃってたのにな。
(それと、みつえ役の彼女も素晴らしかった! あの女優さんは絶対長く活躍する女優さんになる、そんな気がします)
今期の「連続テレビ小説 おちょやん」は本当に小説のようなドラマでした。拍手!
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(追記)
「おちょやん」とは無関係に、今朝ふと思いついた(ようでもあり、以前から考えていたことがただ言葉をまとっただけのうようでもあり…な)ことですが、ただ、離婚し、姪を引き取ってシングルマザーという人生を歩み始めたところで最終回を迎えた「おちょやん」と響き合う部分はあるな、と。
たぶん、女性がひとりでも不自由や不足なく子供を産み育てていける社会になるのが今の日本にとっては最も良いことなのではないか。……そんな気がしています。
と、言うのは簡単でも、実際この発想に世の中が「おお、そうだそうだ!」とは(少なくともすぐには)ならないのは、さすがに解っています。
別に、結婚制度を廃止しろとか、「家族の絆」みたいなものを軽視や非難するようなつもりは全くありません。
「男女がパートナー関係を結び共に子育てをする」、そういう家族の形はあって良いと思います。おそらくですが、きっと多くの方がこれを望んでいる、はず。
でも、この形が「原則」のようになってしまっているから、それ以外の形で生きる人が苦しい目に遭ってるんじゃないか。
巡り巡って、そのしわ寄せは子供にいく。
しかも、この「原則のようなもの」=固定観念に縛られて、苦しんでいる人も多いですよね。
夫を財源として確保しておかねば生活と育児が破綻してしまうから、家庭内においては家事負担を増やすだけの存在(夫)であっても現状維持しておくしかない、とかね。
でも、財源が別にあれば? 社会がそれを保障したら??
「財布としか認識されていないお父さん(夫)」も、「産んだ覚えのない長男(夫)に仕事とストレスを無限に増やされる妻」も、ずいぶん減るんじゃない???
絆や愛情で結ばれる理想の家族を求めるなら。自分らしく、あなたらしく、人生を謳歌する人を増やしたいなら。
上では「ひとりでも不自由や不足なく子供を産み育てていける社会」と書いたけど、これは言い方を変えれば「みんなで子供を育てる社会」。
シングルマザーだけでなく、シングルファザーも同じですが、先にシングルマザーを挙げたのは、事実として圧倒的に女性の方が様々な差別と格差(制度から慣習まで社会全体にはびこるもの)で制約を受けている割合が大きいからです。
今の日本社会ではシングルファザーも相当に大変なはずですが(少し調べればそういう情報は色々と出てきますね)、それは女性差別を放置・黙認していることの裏返し現象だと思うんですよね。
(現状で「放置も黙認もしていない! 自分は女性差別などしていない!」と言い切れる人は、おそらく、刷り込まれた差別を差別と認識できていない状態ですのでご注意もしくは勉強してください)
メモ的にとりとめのない書き方のまま終わりますが
「ひとりでも不自由や不足なく子供を産み育てていける社会」になれば、皆の人生に自由の幅が増えるから、それを目指すのが良いのではないかと言っているだけで、「ひとりで子供を産み育てるべきなんて話はしてない」、ということを最後に注記して終わります。
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