死を垣間見る
もう1週間以上も前に記したきもちたちをここにも残しておこう
言葉の世界に入る前の場所に漂ってるきもちがたくさん居る
ひとつひとつすくい上げても、指の間からするする抜けてしまう
そのうち手のひらに残ったものたちをいつもここに記している。
今日見たものは、一生で何度味わえるかわからないようなもの
だから、大切に胸にしまっておきたい。
祖母の高熱が出て(また!)
脈拍と酸素濃度が著しく下がり、意識朦朧として、もうその時だ、と思った
数時間。
下の二人は怖さに震えて泣いていた。二人を慰めつつ、ハグしつつ、呼吸を止めないことだけを教えた。ハート瞑想が本当に心強い。
様子を見ながら
あ、死がやってくる。とおもった。
これまで本で読んだことや、何となく頭に入れておいたお守りの知識とは全くスケールの違う存在感でそれがやってきていた。台風が一番激しくなる時のそれだ。
でも、それは、体験するのではなく、迎え入れるのではなく、本当に「起こる」のだ、と感じた。わたしたちに成す術はなにもなく、ただそれが起こす強烈なエネルギーの流れに身を任せているしかないのだ。そこで起こるマインドの働きや思考と感情に気づきながら、自分の中心点を下に重く置いておく。見失わないようにだけ注意する。
でも、その流れの中でドキドキバクバクを受け入れそれと共に過ごしていたら
思いの外自分のコアがはっきりくっきり見えてくるのがわかった。
腹に力が入り、2本の足がズボッとグラウンディングして
しっかりと立っていた。
ハートが開いて、死がやってくることをハートで受け入れるための準備ができていた。
そして、苦しいけれど、自分は苦しみ自身ではないこと、深く呼吸をすること
なにがあっても本当の自分自身は変わらないこと
何も心配することはない、怖いことはない、と伝えながら覗き込む。
うんうんとうなずきながら呼吸に集中しはじめた。
ばあちゃんの顔のまわりはキラキラとしたエネルギーに満ち溢れて、顔がピュアに子どもの顔に戻っていた。
それすらも自然にやってきたのだ。
一呼吸一呼吸がトータルに、全身全霊で行われているその姿が、あまりにも美しく、その美しさに涙が溢れて止まらなかった。すごく綺麗だった。「ばあちゃん、今、あまりにも綺麗で涙が出るよ」と言ったらうんうんと言っていた。こんなにも綺麗なものは、もう見れないかもしれない。
その後、急遽呼んだ訪看さんたちの手当てのおかげでなんとか持ち直してくれた。
船塚クリニックの看護師さんと日高先生も後から来てくれた。
そこで、ばあちゃんの幼少期の話、高校卒業後の新卒で入った看護師さんの話をしたり、どう思ってたのか、どんな気持ちがあったのか、ということをお話しした。
さえこさーん。
甘えたかったのかもしれないですよねえ。本当は期待してたのかもしれないですよねえ。うんうん。
そうして先生が頭に触れると
表情ががらりとかわり、穏やかにまるい空間になった。信頼の眼差しで先生のことを見つめていた。嬉しそうだった。よかったねえ。
魔法、本当に不思議な力を持っている先生だ。
「まだやることが沢山ある」
ってぼそっと言っていた彼女。やること、沢山あるよね。どうなるだろうね。