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長谷釜集落の塩の釜

岩沼の昔話に「おすずひめ」というのがあります。
いつ頃の話しかは不明ですが、古くから斎宮の言い伝えがあるように、
斎姓・斎藤姓が多い集落と言われています。

このあたり一帯は製塩法が伝わっていたとされ、
藤原実方が多賀城へ赴任した時に名取の道祖神で亡くなっている話などは、
塩と砂金の交易のためであり、(39号線は塩の道と言われていた)
塩と深い関わりをもっていた藤原家がみえてきます。


塩の名取郡

古い文献『塩竈神社祭神考』より、
大歳神(大年神)は、農耕に力をもち、その御子奥津日子神、阿須波神とは同胞相並ぶもので、炊煮の事に大功ある神とされる。

塩釜神社 「神田」

それは、「塩を煮ることにも等しく
阿須波神=岐神のこの地方を鎮めるのは、
出雲族の最も進歩した製塩法を伝えるものであると言われます。

塩の精製技術を伝えた開拓の歴史は、
名取郡もそのひとつであったとの事。

「中田増田(共に名取郡にあり)、奥田刈田(共に刈田郡にあり)、村田柴田(共に柴田郡にもあり)、等の村君となり各耕し(開墾)その長子は、
当社の神官となり次の御子達は、神田の御民となり氏子は八十続と栄える。」

タケミカヅチ・フツヌシについては、
常陸国の(おそらく霞ケ浦)の方からきて、
山や川の形状を郷里として水利、治水を考えてきた民がきており、
塩を製りだしていた者で塩釜と同じルーツをもつ子孫と考えられている。

この事から、「釜」の地名は、
塩炊きの意味もあるとして
海側にある「釜」の地名は、塩をつくる釜に由来するのが定説。

千年希望の丘より(岩沼市) 遠く蔵王連峰と手前の山は千貫・深山。
深山がおすず姫の舞台とされ、長谷釜から山に向かって海と山が繋がっている。
津波の被害により今は神明社と大銀杏だけが残されている。

「おすずひめ」の昔話が伝わる岩沼の周辺は
「長谷」の地名が多い。

長谷には神明社を祀る神社が多いため、
また、多賀城の起点となる「原遺跡」の付近も「長谷」
ということから、神事としての藻塩炊きのために必要だった
伊勢(天照大神)と塩の関係がみえてきます。

岩沼:押分の神明社(伊勢内宮・外宮の土を運びご神体としている)

近くに原遺跡があります。阿武隈川沿いです。

律令国家の地域掌握の地。馬家(うまや)
の可能性がある遺跡が発掘された。
多賀城造営の起点となっていたところ。

後に、藤原実方が多賀城へ赴任し、
名取へきて落馬しているのは、塩のこともあったでしょう。

もし、その製塩法が出雲族のルーツとあれば、
伊勢と出雲の関係もあったことに。
そこで、熊野信仰が利府に繋がる背景を考えると・・・・

利府の塩竈明神

さて、場所は南の岩切の方へ。
「九門長者」
の伝説が岩切にあり、
伊豆比売神社付近にあった長者のこと。

坂上田村麻呂と長者の娘の伝説。
岩沼~岩切に塩の跡があります。

祭神は、伊豆佐比賣命となっていますが、
塩釜神社に「塩釜神社祭料一万束」(昭和初期)
寄付していることから、志波姫とみてよいと思います。

伊豆佐比売神社

『利府町誌』によれば、祀られている神は、他に三社あり。

・溝咋比売命(由豆=伊豆で、豊田川温泉の守り神)

熊野大神櫛御気野命

・加仁屋根神(アマノコヤネ?)
近くに「小刀明神社」あり。
おそらく天手力男(天の岩戸)との関係。

熊野と天手力男の関連がありますが詳細不明。
ただ、紀州熊野速玉大社境内に祀られているのが、並んで手力男神社、
ヤタガラスとあります。(参考に)

紀州熊野速玉神社境内

史料によれば、藻塩の儀式があるように、
「藻を狩り船にのせ、その藻に潮をくみかけ(藻塩場彦・藻塩場姫)
それを志波彦と志波姫は、「高森山」(現:岩切館)
より柴をかり、七釜神はそを焼き堅塩を製りだした。」
この釜(七ツ)は、四つ確認ありとされるが、他のひとつは色麻町にあるとの伝説。四釜→色麻町に転じた。

伝説の釜が沈んでいるという池

猿田彦命を祀る行神社付近。

行神社と須岐神社(大衡村)とセットになっている。
ゆき・すき神社。すき神社の方はスサノオで「赤崎明神」といった。

山や森に煙があがっている描写は、
堅塩を作りだしている様をみせている、と言われます。
(おすずひめ物語に描かれている)

また、柴は、シハであり大紫神=薪の神の意味で、
志波彦神社の志波は、紫にて「シハはシホ(塩)と訓読みに通じる」

その地に蝦夷征伐も重なります。
紫波(しは)は、岩手県紫波にある「志賀理和気神社」も塩釜と同じです。

伊豆比売神社の縁起では、

「当神社(伊豆~)は、岩手県斯波郡赤石村
(現在の岩手県紫波郡紫波町桜町付近)と、
仙台市宮城野区岩切字畑中に分霊された」

とあるため、赤石村とは、このことをさすのです。(画像下)
「赤石大明神」

志賀理和気神社にある霊石(赤い石)
赤い石があったので赤石村とよばれた。

「けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」

赤い石=辰砂のことと思われ(丹生)金ではないでしょうか?
金がとれたことと、神々が昇格していることもあり得ます。

氷上山の奥宮をみると、有名な「玉山金山」が隣接しています。
奥州の金はここから多く産出され海外に流出していたとも言われ、
氷上神社は、アイヌの神を祀っていました。

氷上神社
ご祭神は、衣太手神(きぬたてのかみ)、 登奈考志神(となこしのかみ)、 理訓許段神(りくこたのかみ) あるいは、天照大神、スサノオ神、クシナダヒメ(稲田姫命)

852年 『文徳実録』の8月の条より、
陸奥国伊豆佐咩神(利府)、
登奈与志神(氷上山)
志賀理和気神社(岩手県紫波郡)
に正五位下に加えています。
※正五位は、律令制下において上下にわけられる。

志賀理和気神社も坂上田村麻呂が、
香取・鹿島の大神を勧請奉斎しているため、
紫波=志波に加えて「志賀」となっているのです。

旭(名取老女)が活動していた(女性が中心の場といわれる)
「志賀」の岩蔵寺とも繋がる話です。※志賀=滋賀県由来説。

名取老女伝説に関わる背景には、
古くから堅塩をつくっていた民がおり、塩釜大明神や金が関係することは言えるのです。→藤原実方が多賀城から名取へきている理由。

長谷釜集落にあった境大明神。
藤原実方が道祖神で亡くなった伝説の「サエ(塞)」神は、
「岐神」であり境大明神と同一と考える。

岐神とは・・・阿須波神と同一。古くの「庭渡・三渡権現」or仁和多利と同一の神とされた(『塩竈神社祭神考』より)

この阿須波という神の存在は、旅の安全を保護する意味があり、
「足の神様」(足羽)と同じ意味があると言われているため、
後に「足の神」となり「わらじ」信仰になったと考えられるのです。

また、岐神は、波比岐神(はひき)の神とも言われ、猿田彦命のことなので、道祖神に猿田彦命を祀るのです。
その波比岐神の頭に「顕」をつけると「顕波比岐神」=アレハハキ。
アラハバキ説もあります。

また、『万葉集』の中に「庭に小柴をさし~」という和歌があります。
この柴が、シハと同じ意味をもつもので、先に述べたように、
アスハ→スハ→シハ→大柴神=薪の神と想像してしまう。

岩切の九門長者(熊野からきた人とされる)が坂上田村麻呂と関わりをもたせ伝説になっている背景には、金を発見した百済の阿知使主の東漢人まで遡ります。

そこに熊野神が関係していることがあったと思う伝説でした。


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