【信仰】岩手県一関の貝田和歌神子と旭神子
高清水に伝わる葛西氏の娘「朝日姫」は、
盲巫の始祖伝承を伝えるもので、
『梓神子の由来』(八戸市)に記録されています。
梓神子の由来
『人王八十二代御鳥羽院の御治世、源頼朝公の御時、
高清水に比久太郎という人がいた。
元は源家の侍であったが、民家に下った。
富貴に暮らしていて一人の娘が生まれ、正月元旦に朝日を受けて
誕生したので朝日と名づけた。
聡明であったが十六歳の春、盲人となり、両親は神社に祈ったが甲斐がなかった。
娘は出羽奥州五国には自分のような盲目の女もいるだろう、
末世に至るまで世を渡るための方法はないかと考えた。
十六歳の七月十六日、湯殿山へ行き、月山権現の御前で通夜したところ、
権現が枕上に立って、四寸四方の箱の中に十二の巻物がある、急いで伊達郡梁川の八幡宮へ行き、百日通夜して渡世の道を祈るがよいと告げた。
夢から覚めて枕元を見ると箱があったので、梁川の八幡宮へ行き、通夜して祈ったところ、八幡宮が枕上に立って箱を開けて巻物を取り出し、学問して法を広め渡世しなさい、座頭の妻になるがよい、あなたは朝日そうし和歌神子と名乗り、弟子を大勢取って和歌神子と名乗らせるがよいといった。(以下省略)』(画像:梁川八幡宮)
名取老女の場合は、熊野権現が枕元に現れますが、
和歌神子の場合は、八幡宮の神のお告げです。
梓巫女(あずさみこ)とは、特定の神社に属せずに各地を渡り歩いて託宣や呪術を行っていた巫女のこと。主に東日本に多い。
また、この始祖伝承の最後に藤原秀衡(奥州藤原氏3代目)
が登場します。
和歌神子が、藤原秀衡に伝えたところ、
秀衡が将軍頼朝公に話し末世に至るまで何国でも
盲人は朝日和歌神子と名乗って、口寄せ、祈祷を勤めても
よいという国主秀衡殿の印紙を載いたという。
福島県の梁川八幡宮からその史料を見出すことは
できないのですが、文政期頃の古文書に
「神子 紺野阿佐比」が見られ、アサヒの名をもつことが注目されるが、
これは、盲巫ではなく神社所属の巫女であると考えられるとの事。※1
一関の大和宗総本山大乗寺
ネフスキ―による口寄せ伝承は、
岩手県一関市川崎町にある大和宗からでした。
大和宗のお寺に、
「教祖貝田大法尼 旭大法尼精霊塔」
が建てられています。
※大乗寺
https://ameblo.jp/takahiro1962/entry-12427500120.html
大和宗は昭和28年に宗教法人となり、
明治時代~天台宗の盲僧支配が強かった地域とされます。
今では川崎町の観光マップに含まれるほどです。
大乗寺のオシラサマ(中央)
※2 かわさきおもてなしマップより
大乗寺には、オシラサマ信仰があります。
東北地方で信仰された養蚕や農業の神様という性格のものとは異なり、
オカミサマとの関係を考察する上で重要な資料がまとまって
存在する大乗寺のオシラサマは平成20年11月、
県の有形民俗文化財に指定されました。
現在でも、オシラサマの祭日である10月16日には、
僧侶や現在活動しているオカミサマたちが遠方から集まり、
それぞれのオシラサマに赤い布を1枚着せて
(コロモガエ)大切に祭っています。※3
※2020年10月17日付:岩手日日新聞社
盲人たちを救ったお寺
明治維新下の神仏分離の影響で神社や寺院は大混乱となり、
これまでのように目の不自由な人たちの面倒を見ていくことが
難しい状態になりました。
この状況に危機感を持った米倉如山という人が声がけをし、
昭和16年、宮城・岩手合わせて約200名で今でいう宗教法人の
ような団体を結成(活動拠点は川崎にある大乗寺)。
そうした動きは全国でも稀とのことで、
近年でも様々な研究機関に取りあげられています。
その時の写真がこちら。※4
旭神子や貝田和歌神子の伝承には、
中世の武将が深く関わっている伝承がある。
将軍の名に関わりをもたせる盲巫は珍しいとの事。
奥州藤原氏と源頼朝、葛西氏など
中世の武将たちと、天台宗による盲巫の活動が、
東北らしい宗教形態があると思います。
<参考資料>
※1 盲僧と盲巫の始祖伝承 石井正己
※2 川崎町マップ(PDF)
https://www.ichitabi.jp/feature/special/kawasaki/images/omotenashimap.pdf
※3 一関市文化財探訪
https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/18,14171,87,239,html
※4 いちのせき市民活動センター
センターの自由研究NO.5「オカミサマ」
https://www.center-i.org