Twitterを振り返りつつ、
毎日飽きずにTwitterしてる(今は”X”ですが、)のは、呼吸に近い感覚で、
無くなったらどうなるのだろう、と思いつつ、もしかすると、noteは肌に合うのかもしれない。
Twitterで繰り返し書いているのは「方法は何であれ、各自健やかに生きていこう」ということがテーマなのは全く変わっていない。
肉体や実際の生活も、占いや運や精神や魂の話も、人間関係の話も全部がそう。全部、それぞれが幸せであるように、ジタバタあがいているときの、ちょっとした手がかりになるといいな、と思って書いているもの。
自分が我慢弱く、気力も体力も人並みか、それ以下のため、丁寧に取扱わないと直ぐに動けなくなる、というのもあるのかもしれない。
実体験をもとに、立ち直り方法とか、少しでもマシになる方法を模索している軌跡でもある。
基盤としての国政がめちゃくちゃなので、本当に一揆が必要な世になったのかも、とも考えていたり。
現実の世界がめちゃくちゃなのに、気の持ちようだけで幸せになるのはあまりにも不毛で過酷なので。
日記や散文など、こちらにも書き散らかしていく予定でいます。